連載

□月光8
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一日中眠っていたせいか、眼が異様に醒めていた。

外から月の明かりが差し込んで、窓の格子の影が墨を引いた様に床に描かれている。

―俺は、一体何をしたかったんだろう。

頭に過るのは、あのアサシンに無理やり体を開かれてしまった事。
自分は彼の中の踏みこんでいはいけない場所に脚を踏み入れてしまったのだ。

彼は自分にはっきり言った。
『プリーストが嫌いだ』と。
それなのに自分は何故、彼に付き纏ったりしたんだろうか。

―それでも俺は、あの人と友達になりたかったんだ…

一体何故だろう。
どうしてそんな風に思ったのだろう。

すべて自分の所為だ。
彼が一体どんな理由でプリーストが嫌いなのか、それを知らなかったとはいえ踏み込んでいったのは自分だ。
だからこうして制裁を受けた。
これは自分に与えられた罰なんだ。

でも、どうして彼はそんなにもプリーストが嫌いなのだろうか…。


譜迩はベッドの上で膝を抱えて暫く考えていたが、どうしようもなく同じ場所をぐるぐると回る思考はどれほど時間を費やそうとも到底答えに辿りつきそうもない。
はぁ、と小さな溜息をついて、譜迩は冷たい床に脚を降ろした。
少し、外の空気でも吸おう。
寝癖の付いた髪を手で撫でつけたが、どうせこんな深夜に出歩いている人などいないだろうと思い跳ねた髪をそのままに上着を羽織った。

漆黒の空にぽっかりと満月が浮かんでいる。
きっと昼間なら見事な快晴なのだろう。
建物の陰影がくっきりと浮かぶモノクロの世界だった。

「…?」

微かに、シタールの様な音が聞こえた気がする。
一瞬だけ。
弦を軽く揺らしただけの音が間隔を置いて聞こえて来る事に気付いた譜迩は、音を頼りに建物の影を曲がった。

教会の裏手には墓地がある。
夜中にそこを訪れるモノ好きなどいる筈もないし、譜迩とて余程の様がない限りこのような場所には脚を向けようとは思わなかった。
けれどもその時は不思議と恐怖は感じなかったのだ。
ざわり、と木々が葉を揺らす音に混じって聞こえてくる、透き通った音色。

「……」

譜迩はその光景に見入った。


「…僕は、ただあの子たちが幸せになってくれればいいと思ってるんですよ。
 …嫌だなぁ…幸せの形は人それぞれです。
 人は不幸というかもしれません。
 でも、それでも本人が一番だと思う事がなにものにも代え難いものになるとは思いませんか?
 …っふ、貴女は本当に…」


男が一人、不躾にも墓石に寄り掛かって喋っている。
その他には誰の姿も見えないが、男はまるで誰かと話しているかのように笑いの混じった声を出していた。
月光に逆光の男の姿は黒いシルエットだけで、それが誰であるかなど譜迩には分からない。
分からないが、明らかに自分の知っている人物ではないという事は分かった。

「…おや、これはこれは…白銀Gの…譜迩さん?」
「…え」

男は真っ黒な顔をこちらに向けたかと思うと、譜迩に話しかけてくる。
真っ黒なシルエットだけでは誰に話しかけているのか分からなかったが、名前を呼ばれた事で譜迩ははっとした。

まるで自分だけ切り取られた世界に居る様な気がしていた譜迩にとって、この情景は酷く非日常的で夢の中に居る様な気がしていたのだ。
だからまさか男が自分に気付くとは思っておらず、隠れようともしなかった自分に唖然としつつも譜迩は男を見返した。

「なんで、俺の名前を…」

男の手がシタールの弦を揺らす。
譜迩は無意識に呟いていた。

「そりゃ知ってますよ。僕もつい最近白銀の鐘というギルドに入ったんです」

男は寄り掛かっていた墓石から体を離すとゆっくりとした動きで譜迩の方へ歩み寄ってくる。

「貴方の名前は、桜譜迩。どれどれ、顔をよく見せてください」

近寄ってきた事で男の容姿が分かった。
顔を覗き込んでくる眼には、漆黒の眼隠しがある。
頭の上には狐のお面。
身にまとうのは、バードの服だった。

「…っ」

見えない筈の男の眼に凝視されている様で、譜迩は思わず怯んだ。
男の薄い金色の髪がさわりと風に揺れている。

「…なるほど…よく似てますね…」
「…え?」

一体誰が、誰と。
譜迩は訳が分からないと言った表情で男を見た。

「いいえ、なんでもありません」

バードは口元だけを三日月形に変えるとくるりと後ろを振り返る。

「アナタは…誰ですか…?」

譜迩は恐る恐る口を開いた。
まるで影絵の中に居る様だ。
誰が何で、何が誰なのだろう。
男の奇妙な雰囲気に此処がまるでどこか不思議な世界にでも迷い込んでしまったかのような錯覚を覚える。

「…僕の名前は、キヅカ。キヅカ=イオアといいます」

にっこり。
まるでそんな形容詞がぴったりとはまる様な笑顔(実際は口元だけだが)で男は言った。

「キヅカ・・・さん?」
「…今、変な名前ッ! て思いませんでしたか?」

口元に指を当てたキヅカは大げに表情を歪めるとそう言う。

「そ、そんなことは…」

思わずどもってしまう。
これでは肯定しているも同然だ。
譜迩は居心地の悪い空気をどうにかしようと頭をフル回転させるが、空気を変える様な言葉は見つからない。

「まぁしょうがないでしょうね…どうせ無理やりつけた名前ですから?」

キヅカはふぅ、と小さく息を吐いてそう言った。
キヅカの言う事は些か言葉が足りない様で譜迩には理解できない。
その科白はキズカにとってただの独り言でしかなく、譜迩に理解させようという意図は何処にもないのだ。

「…アナタは、ここで何をしてるんですか…?」

譜迩は苦笑すると、キヅカに向かってそう言った。
こんな深夜にこんな場所に居るなど正気の沙汰ではない。
訊きながら、譜迩は先程キヅカが見下ろしていた墓石に眼をやる。

「…この、お墓…。知り合いなんですか?」
「まぁ…そうですね…」

再び陰ってしまったキヅカの表情は見えないが、その声から悲しそうな気配を感じたのは譜迩の気のせいではないだろう。
墓石に刻まれた名前は、この明かりでは見えない。

「…こんな事を言ったら君は怖がるでしょうけれど、僕には“見える”んですよ…」

ふ、とキヅカが笑みを浮かべる気配がする。
ざわりと風が吹き抜けて、譜迩は背中を嫌な寒気が走るのを感じた。

「え…と…」

言葉に詰まる。
深夜の墓地。
“見える”とは、主語を聞かずとも何であるのか分かってしまった。

「…少し、昔話をしていたんです。僕は…彼女を幸せにできたでしょうか、と」
「……」

キヅカは隠された眼で宙空を見つめながら小さな声で呟いた。

「彼女は、幸せだったと、僕に言ってくれました」

シタールの弦が揺れる。

「次は、子供たちが幸せになる様に、と…」

ふ、とキヅカが笑った。

「あの子たちなら大丈夫ですよって、僕は答えたんです。きっと、自分たちの幸せを見つけてくれるはずだと。そうしたら、彼女は僕になんて言ったと思いますか?」

一人で舞台に立つ役者の様に言葉を紡いでいたキヅカが、不意に譜迩へ問いかける。
その両の眼は相変わらず黒い布によって覆われていて、今のキヅカが一体どんな表情で譜迩を見ているのか分からなかった。

「…なんて言ったんですか?」

答えのわからない譜迩は、問いかけを質問で返す事しかできない。
キヅカは空を仰いだ。
暫くの沈黙が流れる。


「…僕にも幸せになってくれって、言ったんです…」


キヅカの声は、風に消されてしまうのではないかと思うくらい小さかった。

「…僕には、彼女だけしかいなかったのに…本当に酷な事を言う人だと、思いませんか…?」

譜迩にはそう言ったキヅカが泣いているのではないかと思えて仕方がなかったが、その予想に反してこちらをむいたキヅカの口元には三日月形の笑みがあるだけ。

「…君は幸せですか? 譜迩くん…」
「俺は…」

キヅカの科白に、何故か昼間の事が思い出されてしまう。
果たして自分は幸せなのだろうか。
そう言う思いが胸を締め付け、息が苦しくなりそうだ。

「…まったく、君にそんな顔をさせるなんて…、…」
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