連載

□砂上の詩7
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以前ここに来た事のある男の顔を思い浮かべ、カグヤはニヤリと口元に笑みを浮かべる。

金髪に、藤色の眼をした男。
黒衣を纏ったその男は、一枚の写真を見せてカグヤにこう問うた。

『この少年に見覚えは無いか?』

そこに映っていたのは見間違える筈もない人物。
漆黒の髪に血色の瞳。
あの研究所で自分が手塩にかけて育て上げた『人形』だ。
そしてそれはつい先日偶然にも川べりで助け上げた人物でもある。
再度あの少年、カイン・ハーヴァイルを見つけた時は体中が歓喜に震えるかと思った。
当時、レッケンベルで共に働いていた錬金術師が調合した『記憶を消す薬』を保管していた自分を誉めてやりたい。
この薬はもともとレッケンベルに来た労働者の記憶を抹消するために使っていたものだが、目覚めたカインがカグヤを見て逃げ出さないわけがない。
使うには十分な理由だった。
これで、再びカインを手元に置いておく事が出来る。
なんという神の巡り合わせだろうか!
こうなる事が運命だったような気さえしてくる。
カグヤはうすら笑いが出るのをこらえ、黒衣の男にこう言った。

『いや…こんな気味の悪い眼の色をした人間なんて、見た事ありませんよ』

にこり、と愛想笑いたっぷりに答えれば、男は少しばかり眉根を寄せたが、

『ありがとう』

とだけ言って、踵を返した。

あの男は、カインを探しに来たのか。
カメラのシャッターをきる様に男の顔を記憶したカグヤは、直ぐにその男の正体を調べ始める。
そんなカグヤの前に姿を現したのが、『紅蓮の翼』というギルドを治めるチェイサー、紅夜だった。

『アンタが協力してくれるなら、うちのギルド員が作ったこの薬を分けてやってもいいぜ?』

紅夜の持ってきた薬は、使用した相手の意識を自由に操れるという代物。
記憶を消すだけでは心まで操る事は不可能だと限界を感じていたカグヤにとって、その提案は喉から手が出る程欲しかったものだ。
これを使えば、カインを完璧な『あやつり人形』に作り替える事が出来る。

カグヤは二つ返事でその提案を受け入れた。

カインが一度逃げ出したのも計算の内。
本能的に、潜在的に残った記憶でカインは紺碧の翼の元へ帰るだろう。
そうしてカインという生き物が生きていた事を再確認させ、彼らが油断した隙に内部から破壊してしまえばいい。

『お前も、出来上がったものの成果を試したいだろう?俺と手を組めば、アンタの目的も実行できるってことだよ』

紅夜は喉の奥で笑いながら言った。

今、あの金髪のアサシンクロスがアマツに来ている事は確認済みだ。
最初の仕事。
あのアサシンクロス、葵沙稀の命を奪う事。

「お前に、人間を愛する事なんて不可能だよ…カイン…」

カグヤは囁くようにそう言う。


酷い怪我をしていたカインが眼を覚ました時に、カグヤを見たあの鋭い視線。
殺意の籠った眼差しだった。
レッケンベルで殺人のスキルばかりを仕込まれ、人を殺す事など躊躇わない人間に育て上げる訓練を受けていたカインが戻ってきたのだ。
ゾクゾクと背筋か震えた。
しかしカインは、

『俺は、もうお前の言いなりにはならない!』

感情をむき出しに、そう叫ぶ。

『俺はもうあの時の俺じゃない…人を、愛する事が、どんなに素晴らしい事か…お前らの言う事なんて間違いだらけだった…!』

物心つく前からあの施設に閉じ込められ、不必要な知識は教えずに育てられたカインは世界が不誠実なもので埋め尽くされていると思い込まされていた。
しかし、世界はそれとはかけ離れた美しいもので溢れている。
虚実で固められたカインの思考を解き解したのは、無口で無表情で感情表現の下手な男の手。
温かいぬくもりに包まれて、カインは初めて幸せというものを感じる事が出来た。

『お前たちは、人を愛する事が醜い感情だと言ったが…嘘だった』

怪我の痛みに歪んだ顔をしながら、絞り出すような声でカインは言う。

『俺は、人を愛する事が悪い事だなんて思わない!』

『……』

カグヤは、その言葉を黙って聞いていた。
胸中にどす黒い感情が渦巻いて行く。
ああ、なんて醜い生き物になってしまったのだろう。
そんな風に育てた覚えはない。
折角綺麗な生き物に育ててきたというのに、一体誰がカインをこんな風にしてしまったのか…。
滑稽すぎて笑いが出る。

『お前に人を愛する事なんて出来やしないよ』

カグヤは笑いながらそう言った。

『なんなら、試してみるかい?』
『…!?』

カインはきつくカグヤを睨みつけている。

『ここに記憶を消す薬がある。これを飲んでも、今までの事を思い出す事が出来るかい?』
『何を…』
『お前が総てを忘れてもう一度最初から始めた時に、また愛だとかいう虚実を素晴らしいと思えるのかって聞いてるのさ』
『何故そんな事を…』
『人を愛しているんだろ?一度忘れても、思い出せる自信があるのかと聞いてるんだ』
『……』
『出来ないのかい?そんなものだよ、愛なんて…。全く不必要だ感情だ…』
『俺は…』

カインは、カグヤの手の中でカラカラとなる薬の瓶を見つめながらぐっと奥歯を噛みしめた。

『俺は、絶対に思い出して見せる…』

カグヤの手から薬を奪い取り、カインはそう言う。

『そして全部、全部思い出した時には…お前を殺してやる…ッ!!』

そう言ってカインが薬を嚥下する様を、カグヤは満足そうな笑顔で見守った。


「だから、お前を狂わせた男を真っ先に殺してあげなさい…」

カグヤは窓辺に立つと、不敵な笑みを浮かべてそう言う。
窓の外に桜の花びらが舞い落ちるのが見えた。










***









滑る舌先が首筋を這う。
密着した体の熱が一層増す、淫靡な感触。
同じようにカインの首筋に唇を滑らせた沙稀は、発達した犬歯を柔らかなそこに突きたてようとしたが、寸でのところでそれを制止する。
今、あの甘美な味を堪能してしまえばどうなるかわからない。
体内の血液が枯れるまで飲み干してしまいかねないから。
ずっと求めて求めて…きっと歯止めが効かない。
やっと触れられた体温を自ら奪おうなど、馬鹿げた話だ。

「沙稀…」

耳元で吐息混じりの声が自分を呼ぶ。
こんな甘い誘惑を受けた事があっただろうか。
不自然だと思う反面、ずっと渇望していたものだけに理性がなかなか働いてくれない。
押さえつけるのは得意だったはずだ。
けれど…

「お前は、本当にカインなのか…?」

沙稀は思わず口を開く。
何度目かの質問は、崩れ落ちてしまいそうな理性を繋ぎとめるための苦肉の策だった。

「何言ってるんですか…?」

ほら、ちゃんと見てください。
そう言ってカインは沙稀頬を両手で包み視線を合わせてくる。
紅い瞳がしっかりと沙稀を見つめていた。
ほら、ちゃんと触ってください。
そして沙稀の手を自分の胸元へ触れさせる。
鼓動の音が、掌を通じて伝わってきた。

「……」

けれども、違和感が抜けない…。

「…信じて、くれないんですか…?」

訝しげな表情が晴れない沙稀を見たカインは数歩下がりながらそう言った。
今までに見たこともない様な悲しげな表情で。

「…カイン」

何と言えばいいのかわからない自分に腹が立つ。
ただ名前を呼ぶ事しかできず、沙稀はその体を引き戻そうと手を伸ばしたが―…。

「貴方に信じてもらえなかったら…俺は…ッ!!」

俯いたままそう言い放つと、カインは袖口から取り出したナイフを自分の喉元に向かって翳した。

「…やめろ!!」

カインの突拍子もない行動に驚いた沙稀がそのナイフを奪い取ろうとした瞬間、身を翻したカインが懐へ飛び込んでくる。

「…!?」

腹部に感じる、熱い衝撃。
握り締められた柄まで深々と刺さった冷たい鉄の塊から、ぽたり、と花弁に散る紅。

「…貴方がいけなんですよ…」

頭を沙稀の胸に押しつけたまま、カインは小さな声で呟いた。

「貴方が…愛なんてくだらないものを教えるから…」

表情は見えないが、カインの声は僅かに震えている様な気がする。

自分は愛なんて大そうなものを教えただろうか。
カインの言葉に沙稀はそう思った。
ただ単に自分は、カインの傍にいただけだ。
何かを教えたわけではないし、それに自分は感情を押さえつける事だけしかしていなかった。
記憶を失ったカインを見つけたときでさえ、何も言えなかったのだ。
傷つくのが怖かっただけ。

―あなたの愛なんて、くだらない―

そう言われても、仕方ないのかもしれない。
総て、あの時何も出来なかった自分の所為か。
やはりこの3年の間は長すぎた。探し出す事も、思い出させることもできない自分の想いなど、所詮はそんなものか。
だが、これだけは―…。


ずるりと凶器が抜け、そこから生温かい液体が流れ出すのが分かった。喉の奥から鉄錆びの臭いが込み上げてくる。喀血がカインの着物を汚した。

「…沙稀」

カインがゆっくりと顔を上げて沙稀を見上げる。
紅い瞳から雫が落ちるのがはっきりと見え、沙稀はカインの頬に手を伸ばして確かめる様にその頬を撫で涙を拭った。

「…俺は、お前に伝えたい事がある…」

意識が混濁してくるなか、沙稀は視界の焦点をカインに合わせ震える声で言葉を紡ぎ出す。

「あの時、言えなかった…」

カインは虚ろな目でただただ沙稀の言葉を脳内に流し込んでいるだけ。

「…俺も、お前を…愛してるよ…」

ずっと蟠り続けていた言葉を口に出して、沙稀はカインの唇に触れるだけの口づけを落とす。
最期に、自分は笑っていただろうか?
それを確認できないまま、沙稀の意識は闇へと落ちた。











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