連載

□砂上の唄3
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任務はいつものようにこなした。
少しばかり手間取ったところもあったが、疲労感のみを残して家に帰り着いた。
いつもより返り血を多く浴びただろうか。
沙稀はそういうことには案外無頓着である。
そういうところは弟の琉稀にもあるとことで、彼らが兄弟であるということを知れる一面でもある。

服を脱ぎ捨てて浴室へと向かう。
鏡を覗き込めば普段の紫がかった蒼い瞳は消えうせ、先ほど切り刻んだ生き物から流れ出たような生々しい鮮血の色をした眼がそこにある。
沙稀と琉稀の家系は特殊な血を引いている。彼等は巷で吸血鬼と呼ばれるヴァンパイアの血を引いているのだ。
沙稀は身体的特徴の割りに血を欲することは少ないが、琉稀は身体的特徴もさることながら血に対する欲求も強い。なので仕事の選り好みは相手の血が「美味そう」か「不味そう」かという観念で決めることも多々あるのだ。
殺す前には、血を戴くこともするのだから。
瞳の色は気分が高揚したり感情が高ぶっている時に本性として出てしまうのを受け継いでいるようだ。
沙稀は鏡の中の紅い瞳で自分を見つめた。
瞳の色は徐々に青みを帯びてゆく。


シャワーのコックを捻って冷水を浴びる。


黒髪のプリーストは、行儀よく人形のように眠っていた。
今でも、コレは夢なのではないかという思いに襲われる時がある。
彼は記憶を失ってはいるが、こうして沙稀の元にいる。それだけでも、彼が生きていたという証拠だけでも手に入れられたことが、沙稀にとっては何ものにも変えがたい程の喜びでもあった。
多少の残酷さなど、現実は呪うほど悪いものではないと沙稀はそう感じていたが、それさえも奪われてしまうのではないという不安は拭い去れない。
突如として失った彼の存在は沙稀の中でそれほどの地位にあったといえる。

このまま記憶を取り戻さなくてもいい。
せめて、傍にいてくれさえすれば―・・・。



沙稀は暫く冷水を浴びたままでそんなことを考えていた。
結構な時間そうしていたのか、浴室の小さな窓が薄明るく染まっている。

そろそろ上がるか、と髪の毛を掻き揚げた時だった。

バンッ!!

風呂場のドアが激しく開く。
同時に人が飛び込んできて、それは沙稀にぶつかる様に抱きついてきた。

「・・・どうした」

突然の出来事に暫し呆気に取られたものの、沙稀は冷静に腕の中の人物へそう言う。
沙稀に抱きついて震えているのは、同居人である自分の名前を知らないプリーストだ。彼は記憶がないからか、時々情緒不安定になる。そういうときにはこういう突飛な行動に出てしまうのだ。

「濡れるぞ・・・」

甘やかすような低い声で言いながら頭を撫でてやると、プリーストはおずおずと顔を上げて沙稀を見る。
今まで―彼が記憶を無くす前―、彼のこんな頼りない顔を見たことがあっただろうか。これは沙稀の知る人物であってそうではないのかもしれない。
だからこそ、沙稀は彼に何も伝えられないで居るのだ。もし、記憶を無くしたのが自分で、行きずりに出会った人物から『恋人だった』などといわれて信じられるだろうか。
胸中に苦いものがこみ上げてくる。
何か難しい顔でもしていたのだろうか。プリーストは怪訝な表情で沙稀を見ていた。

「沙稀、貴方は・・・俺の事を知っているんでしょう?」
「・・・」

唐突な筆問にひやりとした、。
何故急にこんな事を言い出すのか沙稀には理解できない。何か彼に関するものを部屋のどこかに残されていたのだろうか。そういった類のものは全て処分したはずだ。

「服を着てもいいか」

真面目な話をするのに風呂場は似つかわしくない。
それにこのままで居たら風邪を引きそうだ。プリーストも服が濡れてしまっただろうから、着替えさせなくてはいけない。
彼はいわれて初めて沙稀が全裸だったことに気付いたようだ。申し訳無さそうに視線を泳がせている。

「すいません、お風呂の邪魔をしてしまって・・・」
「気にするな」

黒いシャツにジーンズを履き、沙稀は食卓へと向かった。
そこには黒いパンツに白いシャツを纏った彼の姿があり、彼が用意した紅茶も置いてある。

「・・・」

沙稀は無言でそこへ腰掛けると、紅茶を一口飲んだ。
沙稀好みの少し濃い目のアールグレイ。味は昔とちっとも変わらないのに、可笑しなものだ。
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