連載

□砂上の唄5
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ここにはもう沙稀と朔夜の二人きりしかいなかった。
体格は二人ともほぼ同じか、朔夜のほうが若干がっしりしているような気もしなくはない。やりあえば、おそらく互角くらいのかんじだろう。“普段ならば”。
今しがた目にした沙稀の尋常ではない強さを前に、どうするべきか朔夜は考えた。逃げるべきか、それとも受けるべきか。
答えは瞬時に決まった。
しかしそれは選択肢にはなかったことだった。
顔の半分を返り血で真っ赤にした沙稀がゆっくりとした足取りで朔夜のほうへ向かってくる。
朔夜は無意識に後退るが、背中に当たった木の感触に思わずカタールを構えた。
その瞬間だった。沙稀の体が自分に向かって倒れこんできたのは。
朔夜は咄嗟に沙稀の身体を支える。
「大丈夫か…?」
「う…ッ…」
朔夜の言葉に小さく呻いて、沙稀は朔夜の肩を強く掴んだ。

どうやら疲労困憊の様子だが、もう大丈夫なのだろうか。先ほどまで異常な目つきをしていた男だ。このまま支えていても危害はないのか心配だった。
「沙稀…?」
名前を呼んで、背中を叩いてやる。
余りにも呼吸が苦しそうだったからだが、あまり刺激を与えない方がいいのかとも思い極力優しくしたつもりだった。
すると、肩に捕まる沙稀の指先が朔夜の黒装束を強く掴んだ。
「…!?」
びりっ、と布を引き裂く音が鼓膜を貫く。
「さ、沙稀…ッ!!」
何とか沙稀を引き剥がそうとしたが、このまま抵抗したらどうなるのか。周りに転がる“人間だったもの”を見ると力がぬけてしまった。
自分は殺されてしまうのだろうか。
「…ッ」
首筋に吐息が触れる。朔夜は硬く眼を閉じた。瞬間、首筋に何かが突き刺さったような痛みが走った。
その痛みに朔夜の眉間に皺が寄る。ずるり、と体液が逆流する感覚に鳥肌が立った。

「…うぁ…」
それは何とも言い難い感覚だった。首筋から伝わる痛みが甘美なものへとすり替わってゆく。
一体何をされているのだろう。
徐々に力が抜けてゆく中で、朔夜は無理やり腕を上げると思い切り沙稀を突き飛ばした。
「っ…」
恐怖と、言いようのない感覚におかしいくらい呼吸が乱れている。
朔夜は地面に座り込んでいる沙稀を睨み付けた。
「目ぇ醒ませ!!」
怒鳴るのと同時に、朔夜は沙稀の胸倉を掴むとその頬を拳で殴り付ける。
足元がふらつくせいで、力一杯と言うほどでもなかったが、沙稀は受け身も取らずにそのまま地面に倒れた。
「う…っ?」
暫くして起き上がった沙稀が朔夜を見上げる。
その瞳は元の紫に戻っていた。
しかし彼は心底驚いた様な表情で朔夜を見つめてから辺りを見渡すと、落胆した様に大きなため息をついて俯いた。
「すまない…」

その言葉があまりにも普段の沙稀とはかけ離れていたために、朔夜は思わず笑ってしまう。
「どーしちゃったんだよ沙稀ww」
こんな時に笑っている場合ではなかったが、沙稀がようやく普段の沙稀に戻ったであろう事がわかって安心してしまった。
しかし、安心するのと同時に朔夜の意識は突然糸が切れるようにぶつりと途切れてしまい、その後はどうなったのか全く分からなくなってしまった。
目を覚ました時には傍に沙稀がいたから、きっと沙稀が朔夜を運んで帰ってくれたのだろう。
その時に沙稀は初めて朔夜に、自分の過去や生い立ちを語ったのだ。
沙稀の話では弟である琉稀も似たような特徴があるらしいが、それは頭に血が上ったら起こる変化に過ぎないらしい。だが沙稀は一旦“キレる”とあの様になってしまうらしいのだ。
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