連載

□砂上の唄4
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しかし、どうやってもこの不安感を完全に拭い去ることは出来ない。

自分の名前さえ思い出せないのだ。
こんなときに頼りになる人物といったら、今は彼しか居ない。

『貴方の名前はなんていうんですか?』

俺は取り敢えず出してもらった紅茶を一口飲んでから彼に問う。
同じく紅茶を飲んでいた彼は優雅な仕草でカップをソーサーに戻すと、俺の目をじっと見つめた。

『私は、カグヤといいます』

銀髪のプリースト、カグヤはそう答える。
俺を見つめる青灰色の瞳は底の見えない湖のようで、少し鳥肌が立つ。
奇妙な感覚が頭をよぎった。

『薬を飲みましょう。貴方は酷い怪我をしていますからね…』

俺が感じた事を覚られたのだろうか。
カグヤは不意に目を逸らすとそう言い残して部屋を後にした。

室内は静かだった。
あの人は、一体何者だろう。
元から警戒心の強い人間だったかなんて事は微塵も感じないが、俺はその時何か違和感を感じていた。
それが何であるかは未だに解らない。

カグヤは暫くして幾つかの錠剤を手に部屋へと戻ってきた。

『早く治すために、飲んで下さいね』

カグヤはそう言って、俺に錠剤の入った瓶を手渡してくる。

『……』

俺はただその瓶を見つめたままでいた。
これは、一体何の薬だろう。
たった今カグヤが言った事から推測すれば、これは“怪我を治す為の薬”の筈だ。
なのに、俺はそれが必要以上に気になって仕方がない。
何か薬にトラウマでもあるのか。
しかし今の俺には全くその疑問に対しての記憶がない。どうでもいいことなのだろうか。
僅かだが、ズキズキと頭が痛くなってくる。

一方、一向に瓶を受け取ろうとしない俺に痺れを切らせたのか、カグヤは俺の隣にやってくると俺の腕を掴んで手のひらにその瓶を握らせた。

『薬が嫌いなんて言ってる場合じゃないでしょう? 早く怪我を治さないと、記憶を探すことなんて出来ませんよ』

手に渡された錠剤を見つめている俺に向かって、カグヤは言う。
俺は瓶から眼を外してカグヤを見上げた。
彼はにっこりと微笑んでいる。

確かに、彼の言うとおりかもしれない。
ここでうだうだしていても埒があかないことは目に見えている。
今はそんな薬に対しての違和感など、気にしている場合ではないのだ。
俺は胸中に蟠る思いを振り払ってその錠剤を一粒手に取った。
頭には相変わらず鈍痛が響いている。
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