萌の掃き溜め

□10月25日*
2ページ/6ページ





ふと眼が覚めると、日は僅かに西に傾いている。
そう言えば昼食を採っていなかったと言う事に気付いた。
いつもならバイトのまかないだとか、コンビニのパンなんかを買って食べているのだが、生憎今日はバイトもない。
何処かで調達しない限りこの空腹を満たす事は出来ない状況だった。

「城之内!」

どうしたものかと思案していると、ノックの後すぐにドアを開けたモクバが弁当らしきものを2つ持って部屋に入ってくる。

「ごめんな! お腹すいてるだろうと思って、スタッフ用の弁当あまってるの貰ってきたぜ」

そう言いながらモクバが手渡してきたのは、いわゆる幕の内弁当と言う奴だった。

「おー、サンキュー! うまそうだ」

腹の減っていた城之内は早速割りばしを取り出すと弁当に箸を付ける。
口に運んだ卵焼きはそのへんのコンビニ弁当とは比べ物にならない位上品な出汁の味がした。

「やっぱ違うよなー! 流石海馬コーポレーションで出す弁当ってだけあるぜ…」

城之内はそう呟きながら、黙々と弁当を食べ始める。
そんな城之内の様子を見ながら、モクバは少し浮かない顔で箸を置いた。

「兄様、まだ仕事が片付かないみたいなんだよ…」

視線を伏せたモクバが溜息をつきながらそう呟く。
城之内は弁当と一緒に渡されたペットボトルのふたを開けながら、小さな溜息をついた。

やっぱりな、という感想しか出てこない。

別に、だからといって苛々するだとか悲しいだとかそう言う感情が湧いてくるわけではない。
漠然と、やっぱりそうだったか、という感覚なのだ。

「まぁ、仕方ねぇよ。アイツは自分の事だけ考えてる立場じゃねぇしなぁ…」

何千人という社員を抱えた企業の社長ともなれば、公私混同する思考では成り立たないというものだろう。
それはモクバも分かっているだろうし、そんな兄の支えになる為に彼自身も頑張っている。

だとしたら、自分にできる事と言えばただ待っている事だ。
文句を言うのもお門違いというものだろう。

「そうかもしれないけど、兄様はもう少し他の社員も信用してくれればいいんだ。全部兄様がやらなくても、少しくらい休んでくれたって誰も文句言わないよ」

モクバはやりきれないと言った感情をぶちまける様に喋った。

「確かに兄様が納得するように仕事をするのは、そりゃあ大変だし、ちょっとでも気になる事があれば徹底的にそれを無くすまで妥協しないっていう兄様が他人に何か任せられるかって言ったら、無理なんだけどさ…」

はぁーっと長い溜息をついてモクバはソファの背もたれに倒れ込む。

「…お前も大変なんだな」

海馬の性格を考えたら、モクバはいろいろと気を揉む立場に居るのだろう。

暫く無言の空気が応接室に広がった。

「…なぁ、城之内は兄様の何処が好きなんだ?」
「っぶッ!? は、はぁ!? お、お前何訊いて…ッ!?」

唐突なモクバの質問に、城之内は思わず口に含んでいたお茶を吹き出してしまう。

「いや、俺は兄様の事が好きだよ、誰になんと言われようともな。けど、城之内はいつもケンカしてばっかりだったのに、なんで兄様のところに来るんだろうって思って…」

上目づかいにじろりと睨むような目つきで城之内を見るモクバに、城之内は面食らった様な表情で視線を逸らした。

「ど、何処が好き…って、言われてもなぁ…」

海馬の実の弟にこんな質問をされて、一体どう答えればいいのだろうか。
しかも、それは実際城之内が今まで考えた事のない様なものだ。

「…まぁ、そんなこと聞いてもどうにもならないんだろうけど…」

一体何が知りたかったのか。
モクバはしどろもどろになって答えられないでいる城之内を尻目に、そんな事をいって自己完結してしまう。
そんなモクバに対して城之内はモクバの科白が聞こえなかったのか、必死に答えを探して頭をフル回転させていた。

考えてみればどうしてこんな関係になったのだろう。
海馬がライバルと勝手に決め付けていたもう一人の遊戯が居た頃はこれ以上ないくらい、天敵と言ってもいいくらいに嫌な相手だと思っていた。
いつからだろう。
そんな海馬に対して、こんな感情を抱くようになったのは。

海馬は、これと決めた事は何が起こっても曲げる事は無いし、言った事は何があっても実行しようとする。
遊戯には勝てなかったが、モクバを助けるために自分の命を掛けて勝利をもぎ取った事もあった。

海馬のやる事はすべてがむちゃくちゃに思えた事もあったが、裏を返せば譲れない何かを護る為の行為だった。
同時に欲しいものややりたい事があれば、力ずくでも手に入れる。
それが誰かを不幸にすることであっても。

非情だ、非常識だと、海馬を非難した事もある。

けれどそんな海馬を、いつしか自分は…。


「そうだ!城之内!」
「えっ!? な、なんだよ!」

いつの間にか物思いに耽っていた城之内は、モクバの声に、自分でも驚くほど過剰に反応してしまった。
今まで考えていた事がすべて聞かれていたのではないだろうかと錯覚して、頬が熱くなる。
そんな面持ちでモクバを見たが、変な顔をしていたのだろうか、モクバは怪訝な表情で城之内を見返していた。

「そんなに驚かなくてもいいだろ?」
「あ、あぁ、悪い…。で、なんだ?」

まさかそんな事はある訳が無い。
城之内はモクバの科白に取り繕う様な愛想笑いを浮かべた。

「多分兄様も今食事中だと思うんだけど、今から社長室に行ってくれるか!?」
「は、はぁ? そんなの海馬に迷惑だろ…」

モクバの提案に、城之内は苦笑しながら答える。
海馬の手伝いなどまるで出来ない城之内は、せめて海馬の仕事の邪魔になる様な事だけはしない様にしようと思っているのだ。
それを、邪魔しにいくような真似は…

「迷惑じゃないって! この後の試運転は、特に兄様がみてなくても俺が監視してれば何とかなるんだ。何かあったら兄様には報告するから、それまで城之内は兄様の相手をしていてくれよ」

モクバは最良の方法を思いついたと言わんばかりの笑顔で城之内に言ってくる。
渋る城之内の手を握って、その大きな黒い瞳で城之内を見つめるモクバ。

「いや、それじゃ休憩にはならねぇだろ…」
「そんなことないね。兄様は城之内が居ればそれなりに息抜きできると思うんだ。暫く会ってないんだろ?」
「う、あぁ、そりゃそうだけど…でも…」
「なんだよ、城之内は兄様に会いたくないのか?」
「…うぅ、別に会いたくない訳じゃ…」
「じゃあいいじゃないか!」

会えば、それで海馬の疲労が回復するのか。
そんな事が出来るのならば城之内も喜んで海馬に会いに行くのだが、そんな魔法使いの様な事は生憎自分にはできない。

「ほら、早く行ってくれよ! 兄様が仕事に戻る前に!」
「ちょ、ちょっと待ってくれよ!」
「これ、俺のセキュリティパスだから。警備員には俺から言っておくから!」
「いやモクバ、俺は…」
「じゃあ頼んだぜ城之内!」
「お、おい話聞けって!」

そんなやり取りをしながら、エレベーターの前まで連れてこられた城之内は有無を言わされないまま中に詰め込めれてしまった。
最後の科白も虚しく、エレベーターの扉が閉められる。

「冗談だろ…」

城之内は思わず頭を抱えて座り込んでしまった。
そんな城之内にはお構いなく、エレベーターは徐々に最上階へと近付いて行く。
急な展開に頭が付いて行かない。
今日はいろいろと考え過ぎる事が多かった所為で、どんな顔をして海馬に会ったらいいのかまるでわからなかった。

赤くなったり青くなったり、城之内がころころと心情を変えているうちにエレベーターは最上階に到着したらしい。
扉が開く。
誰もいない廊下の先に、「社長室」と掲げられたドアが小さく見えた。

このまま逃げ出そうか。

一瞬そう思ったが、ここで逃げ出してもどうにもならない。
海馬ならそんな城之内をみて「負け犬が」とでも言うに決まっている。
城之内は意を決して立ち上がると、締まりかけたエレベーターのドアをこじ開けて最上階へと降り立った。

棒のように動かない脚で、少しずつ扉に近付く。
自分の心臓の音以外何も聞こえない位に緊張しながら、城之内は扉の前に立った。
大きく息を吸って、吐く。
震える指先を握り締めてから、城之内はドアノブを捻った。

「…あぁ、そうだ。手筈は整えてある」

音を立てない様にドアを開くと、どうやら電話をしているらしき声が聞こえてくる。
城之内はそっとドアの隙間から体を滑り込ませると、開けた時と同じ様にドアを閉めた。
見知った室内。
ドアからすぐには部屋全体を見渡す事が出来ない様に僅かな壁がある。
その影から中を窺う様に覗いてみると、執務机に座った海馬はパソコンのキーを叩きながら受話器を肩に挟んだまま会話をしていた。
一瞬だけ、蒼い瞳が城之内を捕らえる。
その視線は直ぐにパソコンへと戻されてしまったが、海馬は城之内が来ている事を認識したらしい。
お咎めなしという事は、入室を認められたのだろう。
城之内はもう一度息を吸い込むと、部屋の中へと足を進めた。

「…どうした」

城之内が机の前へと来るのと同時に、海馬は受話器を戻すとそう訊いてくる。
相変わらず視線はパソコンに向けられたままだった。

「……」

城之内は何と答えていいのか分からず、俯いてしまう。
そんな城之内の視線の先には、机の上に置かれた弁当があった。
先程城之内とモクバが食したものと同じ幕の内弁当が、全く手を付けられてない状態で置いてあったのだ。





.
次へ
前へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ