連載

□砂上の詩8
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力の抜けた男の体が、カインの肩に被さる。

「あ…あ…」

唇から、血の味がする。
男の声が耳から離れなかった。

俺も、愛してる―…。

「…沙稀…沙稀…さ、き…?」

走馬灯のように、数々の想いでが脳内に溢れだしてくる。

初めて料理を作った時、全然うまく作れなかったものを困ったような顔をしながらも全部食べてくれた人。
一緒に仕事をした時、大怪我をした自分を大げさな位心配してくれた人。
熱を出して寝込んだ時、料理など全く出来ないのに手を絆創膏だらけにしてお粥を作ってくれた人。
優しい掌で頭を撫でてくれた人。
言葉数が少なくて、滅多に笑わないあの人が見せた笑顔が―…。

「あ、あ…あ―――――――ッ!!!!!」

沢山の思い出が次から次へと色鮮やかに浮かび上がって、カインは思わずその体を抱きしめた。
とめどなく溢れだす涙と、記憶。
どうして、どうしてこんな事になってしまったのか。
失われていく沙稀の体温を逃すまいと抱き寄せる体に、力が入る事は無い。
もう二度と、沙稀が自分を抱きしめてくれる事は無いのだ。
殺してしまった。
大切な、自分の命よりも大切な愛する人の命を奪ってしまった。
嗚咽が止まらない。
自分は絶対に思い出してみせると誓ったのに、これでは何の意味もない。
こんな事をするために自分はあの薬をのんだのか。
否違う。自分は自分が人間にでもなったかのようなつもりでいたただの化け物だ。
あの施設で作られた化け物でしかなかったのだ。
所詮は、わかったつもりでいた様なものだったのだ。

「それでも俺は…貴方の傍に居たかった…ッ」

誰になんと言われようとも構わない。
化け物と罵られようが、蔑まれようが、それでも自分は沙稀の傍に居たかったのだ。
温かい手で触れられることの喜びが、嬉しくて。
だから沙稀の為ならば何でも出来た。
沙稀の為に死ぬのなら、それすらも本望だった。
あの時、死んでいればよかったのだ。
何故自分は生き残ってしまったのか。

「殺してやる…」

自分が生き残ったせいで、大切なものを壊す羽目になった。その自分を助けたのは、あの男だ。
あの男さえ居なければ。
あの男さえ居なければ自分はあの場で死ぬ事が出来たかもしれないのに。
利己的な妄想かもしれないが、一時は人を愛することも出来た。
その温かい記憶と共になら奈落の底にでも落ちていけたのに―…。

「……」

カインは俯いたまま立ち上がり、地面に転がっていた血まみれのナイフを色い上げる。

「沙稀、直ぐに…帰ってきます…」

桜の花びらの上に横たえられた沙稀の亡骸に向かってそう言うと、カインはゆっくりとした足取りで丘を下って行った。






















ざり、と砂を踏みしめる音。

「こんなところで、死ぬなんて…」

目隠しをした男が、横たわる沙稀の傍らに屈みこんだ。

「…沙稀…」

ざ、っと風が通り抜け、舞い落ちた花弁が再び舞い上がり視界が奪われる。
そうして風がやんだ後に、二人の姿は消えてなくなっていた。







***







湯呑に口を付けたところで蝶番の軋む音が聞こえ、カグヤは席を立った。

「おかえり、カイン」

暗がりでよくは見えないが、戸口に立つその姿から血の臭いが漂ってくる。

「上手に出来たかい?随分と汚れてしまったね…」

コツコツと足音が近づいてくるが、カインは微動だにしなかった。

「ええ、思った以上に血が出たので吃驚しました…」

俯いたまま低い声で答えるが、カグヤは全く気付かない様子でカインに近付く。

「どんな風にしたか、訊きたいですか…?」

そう言ったところで、ピタリとカグヤの動きが止まる。

「カイン…?」

様子がおかしい事に気付いたのだろうか。
カグヤは訝しむ様にカインの名前を呼んだ。

「おしえてあげましょうか…どうやってあの人を殺したのか…」

素足が床を滑る様に進む。
逃げる暇を与えずに、カインはカグヤの腹部にナイフを突き刺した。

「…!!」
「…こうやって殺したんですよ…」
「がっ…」
「ああ…一回だけじゃわかりませんか…?」
「っま…ッ!!」

カインは制止の声を聞かずにナイフを引きぬくと、もう一度カグヤの腹にそれを刺す。

「貴方が分かるまで何度でも教えてあげますよ…」

そうして何度も何度もナイフを突き刺しては引き抜き、一体いつカグヤが動かなくなったのかわからない程同じ事を繰り返して、カインは真っ赤に染まった室内に立ち床に転がった無残な生き物の残骸を見下ろした。
もう、思い残す事は何もない。

「…さようなら」

カインはそれだけ言うと、その場を後にした。

外に出ると冷たい風が頬を斬る。
それすら今のカインにはどうでもいい事だった。
着物一枚しか身につけていないというのに寒ささえ感じない。
ベッタリと体中に浴びた返り血を隠す事もなく、カインは再びあの丘へと脚を向けた。

「沙稀…?」

しかし、その場所に沙稀の姿は無い。
誰かに見つけられてしまったのだろうか。
最期まで一緒に居る事すら、自分には許されないのか。
それも、仕方のないことかもしれない…。
自分はこの世に居てはいけない生き物だ。
きっとこれから先も、自分が生きている所為で誰かが傷つき命を落としていくかもしれない。
大切なものでさえ、壊してしまうのだ。

「俺は、助けてもらわなかった方がよかったのかもしれませんね…」

研究所とともに、葬り去られる記憶であればよかった。
けれど…

「だけど…俺は貴方に会えた事が…」

一番うれしかったから。

「ごめんなさい…沙稀…今度はちゃんと…」

崖の上に立ち、カインはナイフを振り上げた。
これで、今度は確実に…。




「…!」



不意に、振り上げた腕を掴まれ、後ろに引っ張られる。
まるで気配を感じなかったことへの驚きと、唐突な出来事にカインは思わずナイフを落としてしまった。

背後から伸びてきた腕が、肩を抱きしめる。
耳元に寄せられた唇が音を紡いだ。

「ちゃんと、鼓動を確認したか…?」

「…!!」

懐かしい声が、鼓膜を揺さぶる。

「確認しろと、いつもいってるだろ…?」

二度と手に入らないと思っていた温もりが、背中から伝わってくる。

「それに、人を殺す時はここを狙えと…」

声はそう言って、カインの左胸に触った。

「言った筈だ…」

見開かれた紅い瞳から、大粒の涙が零れおちる。
カインは堪らずに身を返すと沙稀の胸に抱きついた。

「ごめんなさ…っ…ごめんなさい…っ」

そうしてひたすら謝罪の言葉を繰り返し、泣きじゃくる。
沙稀はそんなカインが泣きやむまで、そっと頭を撫で続けた。

「お前は、悪くない…」

悪いのは、俺だ。と沙稀は言う。

「お前を失いたくないと思っていながら、突き離してしまったのは…俺だよ」

抱きしめる腕に、力がこもった。

「でも、これからはもう…離さない…」

言葉に、込み上げてくるのは、心から溢れだす温かい涙。

「勝手に居なくなる事は、許さなから…」
「はい…」

カインは沙稀の背中にまわした腕に力を込めて、そう答えた。









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