萌の掃き溜め
□10月25日*
1ページ/6ページ
10月25日
城之内は朝一で銀行のATMに駆け込んだ。
残高を確認して、少しばかり震えた指先で画面の数字を押す。
出てきた現金を慌てた様子で取り出すと、すぐさま銀行を飛び出して目当ての店へと走り出した。
街頭モニターに海馬ランドが主催するハロウィンイベントの告知が放送されてているのを横目に、小さなシルバーアクセサリー店へと入る。
顔中にピアスを開けた男が、駆け込んできた城之内を見るなり、奥の棚から一つの箱を取り出した。
「出来てるぜ、こんなんでいいのか?」
男は箱を開けて得意そうにそれを見せてくる。
細部まで繊細に再現されたそれを確認するや否や、城之内は先程降ろしてきたばかりの現金を数え直してから男に手渡した。
「ありがとな!」
挨拶もそこそこに、城之内は店を後にする。
目指すのは、この童実野町で一番高い建物だった。
「海馬はいるか?」
慣れた様子で受付嬢に話しかける。
受付嬢は、あの海馬が経営している会社とは思えない位丁寧な対応で一礼すると、申し訳なさそうな表情で城之内を見た。
「申し訳ございません。ただ今社長は緊急会議中でして…」
「それはいつ終わるんだ?」
「…何分、緊急の会議ですから、終了時刻はいつになるか…」
「…そっか」
一応、海馬コーポレーションも大企業の肩書を持つ会社だ。
例え同級生と言えども、社長が不在の間に社長室に通してくれるわけがない。
それに城之内も無理やり中に入ろうという考えを持っている訳でもない。
此処は出直すしかないか、と踵を返した瞬間だった。
「あ! 城之内、久しぶり!」
そう声を掛けてきたのは、大きな段ボール箱を抱えたモクバだった。
「よう、相変わらず忙しそうだな」
「あぁ、今度海馬ランドでハロウィンイベントをやるんだけど、その時に使うソリッドビジョンに不具合が出ちゃってさ…。今その対応で兄様も緊急会議を…」
そう言いながら、モクバは重そうな段ボールを抱えなおす。
「大丈夫か?運ぶの手伝ってやるよ」
その様子を見た城之内は、モクバの手から段ボールを持ち上げると、
「何処に運べばいいんだ?」
と訊いた。
するとモクバは、
「ありがとう。ごめん、ちょっと今本当に人手不足なんだ。城之内に時間があるなら手伝って欲しい事があるんだけど…」
そう言って困った様な顔で城之内を見上げてくる。
「あぁ、今日はバイトもねぇし、全然大丈夫だぜ?」
用事があった相手も仕事で会えそうにもないし、時間はいくらでも開いているのだ。
城之内は二つ返事でモクバの仕事を手伝う事を了承したわけだったのだが…
「重要な設計図なんだけど…実は開発担当者が病気で入院しちゃって何処あるのか分からないんだ。それを探すのを手伝って欲しいんだけど…」
そう言ってモクバが開いた部屋の中には、
「ゲェッ!? 何だよここ!」
無数の書類が山の様に積み上げられていた。
城之内は思わず頭を抱えてしまう。
「この中の何処かにある筈なんだけど…あれが無いと何処が壊れているのか分からないんだ。コンピュータのデータも、ショートした時に消えちゃったみたいでさ」
「マジかよ…この中つっても、一枚一枚探すしかないのか? 俺にはどれも見分けがつかねぇンだけど…」
拾い上げた紙を眺めてみても、城之内には全く何を書いてあるのかわからない。
どれもこれも同じような文字と図面の様にしか見えなかった。
「この上の方に、ハロウィンプロジェクトって名前が書いてあるんだ。違う書類だったら、こっちの棚においといて」
そう言ってモクバは書類の束を取り出すと、黙々と図面を探す作業に取り掛かる。
城之内も隣の棚から書類を移すと、モクバにならって図面を探し始めた。
どれくらい時間が経っただろうか。いい加減目と肩が疲れてきた頃だった。
「あった! これだ!」
書類の山に埋もれたモクバの口から、喜びの声が飛び出す。
「良かったなモクバ!」
「うん、これも城之内のお陰だよ!」
やれやれと言った心境で、城之内は嬉しそうに図面を見つめるモクバの頭を撫でてやると、
「ありがとう城之内! 俺今から兄様のところへいって来る! お前が来てる事も兄様に伝えておくから!」
そう言ってモクバは部屋から出て行こうとしたが、
「あ、城之内」
城之内の名前を呼んで振り返った。
「今日は、兄様の…」
「…あぁ、誕生日なのに忙しそうだな、あいつ」
城之内は苦笑しながら散らばった書類を棚に戻しながらそう返す。
「ごめん、折角来てくれたのに…多分夕方には何とかなると思うから、それまで待っててくれ!」
「んー…でも、俺は別に…」
「何言ってんだよ。俺だって兄様には誕生日くらい休んでもらいたかったんだ。別にお前の為に言ってるわけじゃないからな、俺は兄様の為に待っててくれって言ってるんだよ!」
モクバは強い口調でそう言うと、「後で連絡するから!」と言いながら部屋を出て行ってしまった。
城之内はモクバの居なくなった部屋の中で小さな溜息をつく。
「兄様の為に、か…」
呟いて、ここ数日学校にも来ていない海馬の顔を思い浮かべた。
「…なにやってんだろ、俺…」
自分は、海馬の為に、今は待つ事しかできない。
如何にか力になれればいいのだが、生憎城之内では海馬の仕事を手伝う事など到底できないだろう。
そう思いながら、部屋を出ると…
「おい、お前! こんなところで何をしてるんだ!」
「!?」
廊下に立っていたのは、帽子を目深に被った警備員らしき男だった。
「此処は関係者以外立ち入り禁止だぞ!?」
「い、いやあの…モクバに頼まれて…」
「モクバ様だと!?」
「ええっと、あの…スイマセンでしたッ!!」
「おい、コラ! 待てッ!!」
城之内はそう叫ぶと同時に警備員とは逆の方向に走り出した。
警備員は慌てた様子で追いかけてくる。
「冗談じゃねぇぜ! 俺はモクバも仕事を手伝ってただけなのにッ!!」
確かモクバについてきた時にエレベーターに乗ってきた様な気がするが、此処は一体どこなのだろうか。
海馬コーポレーションのビルは何階建てなのかも、その中で今いる場所が何処なのかも全く分からない。
闇雲に廊下を走り抜け、階段を上って見つけたドアを開けようとしたがセキュリティがかかっていて全く開く気配が無い。
「くそっ! 開かねぇっ!」
ガチャガチャをドアノブを捻っても、ドアはビクともしなかった。
「逃げても無駄だぞ!」
その間にも警備員は城之内を追いかけて階段を上ってくる。
城之内は更に階段を駆け上がった。
一つ一つ見つけたドアノブを捻っては階段を駆け上がり、押したり引いたりしながらまた階段を駆け上がる。
段々脚が上がらなくなってきたころ、見つけたドアノブを捻ると、軽快な音を発ててドアが開いた。
「!!」
やった、と思いそのフロアに飛び込み、すぐさまドアのかぎを閉める。
安堵と疲労で思わずその場に座り込むと、ドアの向こうで警備員が何かを叫んで扉を叩く音が聞こえてきた。
城之内は暫くその場で息を整えながら辺りを見渡す。
此処は一体どこだろうか。
漸く呼吸が収まってきた頃、城之内は疲れた脚で立ち上がると、足音を立てない様に廊下を進んだ。
壁に隠れて角の先を窺う。
するとそこには、黒いスーツを着た見覚えのある男が立っていた。
あれはたしか、磯野という男だった様な気がする。
城之内は見知った顔を見つけて声を掛けようとしたが、部屋の中から出てきた白いスーツの男を見た瞬間に思わず壁に隠れてしまった。
一瞬だけ振り返った海馬の表情は、城之内からは見えない。
「瀬人様、この後はどうされますか?」
「…なんとかなりそうだ。今からソリッドビジョンの稼働テストを行う」
「では、準備が終わるまで少し休まれてはどうですか?」
「フン、そんな事をしている暇はない。開発担当者が不在でうまく事が進むとは思えん。すぐ地下へ向かう」
「…かしこまりました」
そうして二人がそこから去るまでの間、城之内は腰が抜けたようにその場に座り込んでいる事しかできなかった。
治まっていた筈の鼓動が再び煩くなっている。
これではまるで泥棒に入ったみたいだ、と、自分が情けなくなった。
否、理由はそれだけではない。久々に海馬の姿を見たからというのもあるのだろう。城之内は気付いていないかもしれないが。
しかしこれからどうすればいいのだろうか。
あのドアから階段を降りようにも、あの警備員が居るに決まっている。それに、ここに長居する事も出来ないだろう。
きっともう自分が此処に居る事は通報されているに決まっているのだ。
早く何処か安全な場所へ移動しなくてはならない。
城之内はもう一度壁から様子を窺い、誰もいないだろうことを確認するとその場から歩き始めた。
通路の先には、エレベーターが2台設置されている。
これに乗るしかない。
城之内は意を決してボタンを押した。
エレベーターの数字がどんどん上昇してくる。
誰かのっているかもしれない。
数字が上がってくるにつれて、段々と緊張が高まってきた。
あと3階。
ごくり、と生唾を飲み込む。
あと2階。
震える拳を握り直す。
あと1階。
逃げ出したくなる脚を叱咤して、城之内は開くだろう扉を凝視した。
静かに、エレベーターの扉が開く。
「あれ? どうしてお前が此処に居るんだ?」
そこに居たのは、
「な、なんだぁ…モクバかぁ…」
先程別れたばかりのモクバだった。
城之内は思わずその場にへたり込んでしまう。
「どうしたんだよ?」
「…いや、お前…」
お前が置いて行ったせいでこうなったんだぞ、と、言う気力もなくなった城之内は乾いた笑いを浮かべる事しか出来なかった。
「取りあえず、応接室を開けるからそこで待っててくれよ」
自分の置かれた状況を掻い摘んで説明すると、モクバはきちんと城之内に謝ってくれた。
同じ兄弟とはいえ、その辺は海馬とは大違いだなと感じながら用意された部屋に入る。
「お茶くらいしか用意できないけどごめんな」
兄があんな性格でも、弟はこんなに普通な人間に育つのはどういう理由なのだろうか。
モクバは持ってきた紅茶を城之内の前に置くと、やはり忙しいのだろう、早急に部屋を出て行ってしまった。
城之内は紅茶を一口啜ると、やることもなく部屋の中を見渡す。
部屋の角にある棚の上には、ブルーアイズの銅像らしきものが置いてあった。
「…ホント、好きだよな、アイツ…」
海馬のブルーアイズ溺愛っぷりは、もう異常人間を通り越すくらいのものがあるんじゃないかと思うくらいだ。
何をするにも、ブルーアイズ、ブルーアイズ、だ。
「…まぁ、俺もレッドアイズは好きだけど…でもなぁ…」
海馬の頭の中には、ブルーアイズと海馬コーポレーション、それに海馬ランドとデュエルモンスターズくらいしかないんじゃないか。
そう言う思いを抱きながら、ブルーアイズの銅像を撫でる。
海馬の頭の中に、自分の事はどれくらい入っているんだろう。
ふと、そんな思いが脳内を過った。
「………」
考えて、馬鹿らしくなる。
ちっとも入ってないとは思わないが、今の海馬の頭にはおそらく存在してないかもしれない。
あの男は恐ろしく集中力の高い男だ。
それと決めたらその事以外は頭の中からすっぽりと無くなってしまう事など良く知っている。
城之内はソファの上に倒れ込むと、天井を見上げて溜息をついた。
「…なにやってんだろ、俺…」
本日2度目の呟き。
そのままぼーっとしていると、だんだんと眠気が襲ってくる。
城之内は目を閉じて、されるがままに眠気に身を委ねた。
.