萌の掃き溜め

□Miss You!
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一体何がどうなってこんな状況になっているんだろうと、妙に冷静な頭で考える。

いや、もうすでにこうなるんじゃなかろうかと予測はしていた。

今、俺は、海馬と壁に挟まれて全く身動きの取れない状況にある。



事の発端は、バイト終了間際に届いた一通のメールだった。

『部屋に来ていろ』

主語もなにもあったもんじゃない。
送り主の名前を見た瞬間の少し浮足立った心境を返してほしい。
コイツは何時だってそうだ。
たまたまかけもちのバイトが無かったからいいものの、こっちの都合など全く考えていないこの文面。
今までだったら何を偉そうな!と、一蹴していたに違いない。
けれど、それについて難癖付けなくなったのはいつからだろう?

このメールも、きっと会議室だの何だのを移動する僅かな時間のうちに打ったんじゃないのかとか、そんな予想をしてしまう。

俺はたった6文字しか書かれていないメールの画面をしばらく見つめると、小さな溜息をついてそれをパンツのポケットにねじ込んだ。




海馬の家にももう慣れたもんだ。
門から玄関までの間は50mくらいあるんじゃないかと思われる。
そして玄関のドア付近には使用人の部屋があり、来客があれば直ぐにでも対応できるようになっている。

今ではそこに居る人間も、Tシャツにジーパンという明らかに此処の家に出入りするわけがない格好の俺を見ても会釈をするだけ。

そして、そこを進んだ中央には大きな階段があった。
まるでホテルみたいな作りである。

「あ、城之内!」

海馬の部屋は三階にあったが、階段を上ろうとしたところで聞き知った声に呼び止められた。
モクバだ。

「よー。兄貴はまだ仕事か?」
「そう。もうすぐ新商品の発売なんだけど、生産工場の目途が立たないんだ…いろいろと経済状況がよくないから…」
「…ふ〜ん。」

正直、俺には難しい話はこれっぽちもわからねぇ。
モクバも忙しいのだろうか。
少し忙しない様子で腕時計を気にしている。

「今ちょっと、昔の資料を取りに来てたんだ。兄様はもう少し遅くなると思うけど、ゆっくりしてて! お茶出す様に言っておくぜ!」
「おー、そんなに気を使わなくても大丈夫だぜ! お前も慌てて怪我したりするなよ!」

俺がそう言うと、モクバは大きく手を振りながら玄関へと向かって行った。

「それじゃ、ゆっくり待たせてもらおうかな…」

俺はそう呟くと、海馬の部屋へと向かう。

外装の割に、この部屋は驚くほどシンプルだと思う。
あの派手好きなアイツがこんな小ざっぱりした部屋に住んでるなんて誰が想像できるだろうか。

確かに置いてあるものはどれも品質の良さそうなものではあるが、余計な装飾のない使いやすそうなものばかりだ。

部屋の中央に置かれたソファに身を投げ出すと、心地よく沈む体。

自分の家がすっぽり入ってしまいそうなくらい広い部屋だ。
一人きりでいると何をしていいのか分からなくなってしまう。

壁に掛けられた時計を見れば、もうじき短針が
12に向けられるだろうといったところだった。

アイツはあまり学校に来ない。
だから普段一体どんな生活をしてるのかなど全くと言っていいほどわからない。
こんな付き合いにならなければ、アイツの事は未だに『イケ好かない嫌な奴』のままだっただろう。

こんな付き合いになってからは、心配する事ばかりだ。

ちゃんと寝てんのか、とか。

ちゃんと飯食ってんのか、とか。

以前それを聞いた時には。

『そのような生きる基礎の基礎が出来ない人間ではない』

と宣われた。
暗に自分の事を言われている様な気がして、俺は少しだけ生活を改善しようという気になった。

そんな体調管理まで万全を記している海馬だが、繁忙期には流石に不規則な生活になるのだろう。

ふと、溜息が出た。

する事もなければ、眠気も襲ってくる。
考える事を止めたわけではないが、流石に12時を回れば眠くもなるだろう。


「……」

欠伸を噛み殺せば、目尻に涙が浮かんだ。

このまま横になってしまえば、恐らく3秒で眠りにつけるだろう。
けれどもそうしないのは、この部屋の主がわざわざ寄越したメールの所為だ。

久しぶりに、顔を見る。

それなのに眠る訳にはいかないだろう。

俺は、眼を擦りながら時計を見た。

12時45分、秒針が丁度12を通過した瞬間だった。
コツコツと廊下を歩く足音が聞こえた様な気がする。
防音も完璧なこの部屋の事、そんな音が聞こえる筈もなかったが、予感めいた何かが俺心臓を騒がせた。

無意識に立ち上がり、帰ってきただろうアイツを迎えにドアの前まで行ったところだった。



そして文頭へ戻るのだ。

『おかえり』という言葉が言えただろうか。
海馬はドアを開くなり、俺がそこに居るのを知っていたかのように抱きしめると、そのまま壁に押し付けたまま動かなくなった。

俺も俺で、一瞬の出来事に二の句を告げない状態だ。

俺の首筋に顔を埋めたまま、海馬は大きな深呼吸をする。
そしてゆっくりと息を吐き出した。

沈黙が続く。

久しぶりだし、何を言ったらいいのか分からない。
それにこの雰囲気は、冗談を言っていい様なそれではない様な気がする。

いつもならきっと、『命令を聞くようになってきたな、駄犬』とかなんとか言うんだろう。

今日はその代わりに、痛いくらい体を抱きしめられた。

「か、海馬…っ、」

文字通り、骨がギリギリと音を立てそうなくらい、だ。
俺は思わず海馬の背中を叩く。

コイツはひょろ長く見えて、かなりの怪力の持ち主だ。しかも手加減というものを知らない。

「いてぇって!」

そう言うのと同時だった。



「もう少しこうさせていてくれ」


耳元でそう言うくぐもった声。

息が止まりそうだった。

その声に、ありとあらゆる感情が入り混じった複雑な思いを感じとってしまった。

俺は背中にまわしていた腕で、そっと海馬の背を撫でる。
背骨の感触が掌に伝わってきた。

久々に顔が見れると思ったのに、これじゃあ顔なんて見れたもんじゃない。

けれども、触れ合った体から伝わるのは確かに海馬の体温だ。

俺は、何時からか気付いてしまったんだ。
海馬には手放しで甘えられる人間が居ない。

そう、俺しか、いないんだ、と。







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