+chaos+

□Distance
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―Distance―






沙稀の顔色が良くないと気づいたのは、任務を終えた直後だった。
中継地点であったラヘルまで辿りついたところで、沙稀の足元がおぼつかなくなる。

「報告はwisで済ませたから、少しここで休んでいこうか」

朔夜は沙稀の持っていた荷物を受け取りながらそう言った。

「…すまない」

小さな声で謝罪する沙稀。
そんな沙稀の様子をみて、これは相当だな、と朔夜は思う。
大丈夫だと言える余裕もないのだろう。
それほど急いで帰還する必要もないし、朔夜もそれなりに疲れていた。
丁度いい、と思いながら朔夜は宿の手配をするために宿場へと向かったのだが…

「申し訳ありません、生憎今空いている部屋は一つしかなくて…」

カウンターにいる女性は頭を下げながらそう言う。
礼拝の時期なのだろうか。確かにロビーには結構な人数の人影が見えた。
仕方がない。体調の思わしくない沙稀にはベッドで寝てもらい、自分は床の上でも休めればそれでいい程度だ。
朔夜は宿帳にペンを走らせる。

「今部屋、一つしかないみたいなんだ」

ごめんね、と苦笑しながら言うと、ロビーの椅子に座っていた沙稀は渋い表情を作った。

「…まぁ、男同士で申し訳ないけど我慢してw」

何度かこんな状況になったことがある沙稀が、どうしてそんな表情をしたのか理由はわからなかったが、それ以上文句を言われる前に荷物を拾い上げる。

「……」

そのまま無言で歩きだした朔夜の背中に向かって、沙稀が深い溜息をつく。
その気配を背中で感じ取りながら、朔夜は苦笑した。
体調が思わしくない時に人が横にいるのはそれほど嫌なものだ。
あまり弱味を見せたくない朔夜はそんな風に考えることも多かったし、沙稀の気持ちもわからなくはないが、そんなにあからさまな態度を取らなくても良いのではないかと思う。
それならば、沙稀が休んでいる間は酒場にでも行っていようか。
そんなことを考えつつ、朔夜は部屋の鍵を突っ込んだ。

「荷物ここに置いとくね」

そう言って、朔夜は沙稀の表情を見ないまま部屋の隅に荷物を下ろす。

「…あぁ」

生返事を返した沙稀が、申し訳程度に置かれたローテーブルの脇にあったソファの上に腰掛けた。
そのまま背もたれに頭を乗せて天井を仰ぐ。
閉じられた目を縁取る金色の睫毛がいつもよりも濃く影を落としているように見えた。

「…ベッドに寝たら?」

朔夜はそんな沙稀の様子を横目に見て、ため息をつく。
今更遠慮してベッドを使わないなど、嫌味に見えなくもない。
少しつっけんどんな言い方になったかもしれないが、それを聞いた沙稀は、

「そうさせてもらう」

と言って、ゆっくりと立ち上がった。

「俺、ちょっと飯食べに行ってくるけど、沙稀ちゃんなにか食べたいものとかある?」

倒れこむようにベッドに横になった沙稀に、水差しからコップに水を注ぎながら問うと、ぴくりと沙稀の肩が跳ねる。
返事はワンテンポ遅れた。

「…いや、いい」
「…そう?」

何か様子がおかしいと思ったが、目の上に腕を乗せたままの沙稀の表情を伺うことはできなかった。




* * *



巡礼者が多くごった返す夕食時の食堂は騒がしかった。
カウンターに腰掛ける朔夜は、食事を終えてブランデーの入ったグラスを傾けている。
部屋に戻ってもこれといってすることはないし、暇を持て余しているといったらその通りだった。
喧騒の中にいると落ち着く。
普段些細な音を気にして行動している身としては、何を気にすることなくいられるこの状況は居心地がいい。もちろん左側と背後に壁がある場所であることが大前提ではあるが。

「お連れの方はどうされました?」

カウンター越しに立つ酒場の店主がそう聞いてくる。

「…あぁ、具合が悪いみたいでね」

朔夜は苦笑しながらグラスに口をつけた。
稀ではあるが、沙稀はこんな風に具合が悪くなる時があった。
理由はなんとなくではあるがわかっている。
沙稀はヴァンパイアと人の狭間にいる特殊な人間ではあるが、食事も摂るし太陽の下にいてもそれ程ダメージを負うことはない。
もちろん聖属性攻撃に弱いわけでもないし、朔夜のような普通の人間と何ら変わることはないが、それは上辺だけのものだ。
おそらく、“血を飲みたい”という衝動を抑え込んでいるのだろう。
幾度となく、沙稀が我を失う場面を目撃したことのある朔夜だ。なんとなく予想はついている。
今の沙稀に血を与えれば、直ぐにでも沙稀の体調は回復するのだろう。
けれども、それを酷く嫌がっているのは沙稀自身なのだ。
沙稀は、自分がヴァンパイアであることを最も嫌悪している。

―あぁ、だからか。

朔夜は今更ながらに、一部屋しかないと知った時の沙稀の表情が何を意味していたのかを悟る。
誰かいたら、耐えられるものにも耐えられなくなる。
そう言う意味だったのだ。

―…いい加減、現実と向き合えるようにならないと…。

沙稀が何者であれ、朔夜やギルドのメンバーが沙稀を見る目が変わるとは思えない。
それに比べて弟の琉稀はよく現実を見ているし、要領よく自分の短所をカバーしているんじゃないかと朔夜は思った。
都合の悪いところは見せずに、都合の良いところだけ見せるコツを、琉稀は知っている。

―どうして兄のお前がそうできないんだ。

朔夜は思わず息を吐いた。
カラリとグラス氷が音を立てる。

沙稀が、血が欲しいというなら、自分が少し位分けてやってもいい。
もちろん危なくなったら殴ってでも沙稀を止める気でいるし、そんなに容易くやられるような人間ではない。

―まぁ、切れちゃった沙稀ちゃんを相手に勝てるかどうか分かんなけどw

朔夜としては沙稀が我を失うその前に、なんとか理性を保つための方法として血を吸う事くらいしてもいいんじゃないかとさえ思えた。





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