Working girl
□迷子の迷子の子猫ちゃん
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「音無鈴です」
少年の質問に驚きつつも鈴は答えた。少年はきょとんとした顔で鈴を見たあとに、あ、と声をあげた。
「掃除のお姉さん」
「はい」
「こんなとこで何してんですか?っていうかここどこ?僕三年長屋に向かってたんだけど」
少年の質問の嵐に鈴は呆気にとられたがそのなかにあった「三年長屋」という単語を見逃さなかった。三年長屋は今自分が一番行きたい所だ。よくよく冷静になり思い出せば萌黄色の忍装束は三年生の色。つまり彼は三年生。三年生の彼が三年長屋の場所を知らないはずがない。
ここは恥をしのんで彼に道を訪ねてみよう。先ほどの鈴のように辺りを見渡す少年に向かって「あの」と声をかけると、「ん?」と少年は鈴を見た。
「実は私恥ずかしながら道を迷ってしまいまして。宜しければ三年長屋までの道のりを教えてもらえませんか」
「お姉さん迷子?じゃあ僕と一緒に行きますか」
「お願いします。申し訳ありません」
「別にいいけど」
「こっちです」と言って少年は歩き出した。それに続いて鈴も歩く…が、さっき少年は右を指差しながら「こっちです」と言わなかったか?普通指差した方向と逆の方向を向かうだろうか。
いや、これが彼の道案内の仕方なのかもしれない。今だって全く迷いなく道なき道を進んでいっている。頼んでおきながら横やりいれるのも失礼だと思い鈴は黙ってついっていった。
「あ」
「…?なにか」
「次屋三之助」
「え?」
「僕の名前、次屋三之助です。お姉さんの名前は?」
「…先ほども言いましたが音無鈴です」
「そうだっけ?……音無鈴さん」
「はい」
三之助の突拍子もない会話にも冷静に対処していく鈴。三之助は自分から聞いたくせに鈴の名前を反復したあと興味がなさそうにまた足を進めていく。
二人で少し話しつつ歩いていると、ついに木ばかりの景色が終わり、学園の建物が見えてきた。ここまで来たならもう鈴は三年長屋までの道が分かっていた。三之助にお礼を言おうと隣を見ると、そこに三之助の姿はなかった。え、と思いながら先を見ると三年長屋とは反対の方向に三之助は向かっていた…いやいやいや。
「ちょっとお待ちください!」
「うわっ…なんすか?音無さん」
鈴は急いで後を追い三之助の忍装束の襟をおもいっきり掴んでひき止めた。なんすかじゃないだろう。お前がなんなんだ。
「三年長屋はそちらではないかと」
「え?音無さん道分かるの?」
「ここまで来ればある程度は。明らかにそちらではないことは分かります」
「え〜、絶対こっちだと思う」
「絶対違うと思います」
鈴が言っても三之助は納得してないようだ。なんだか三之助の道案内は不安が募る。鈴は少し考えて一つの可能性が出てきた。
「次屋くんはもしかして、方向音痴ですか?」
「………なんで分かったんですか」
いや、そんな意外みたいな顔されても。ここで分からないほうが少ないと思う。
「僕、無自覚な方向音痴って言われてんですよね」
「無自覚な方向音痴…質(タチ)悪いですね」
「凄い不本意ですけどね。ていうか俺方向音痴じゃねーし」
「…先ほどは方向音痴と認めましたよね…」
会話まで方向音痴なのか。しかも一人称が「僕」から「俺」に変わっている。素が出たのだろう。よくこの方向音痴で森を抜けられたものだと今になって鈴は思う。
二人で立ち止まり話していると、鈴は思いたったように空を見た。途端に眉間にシワを寄せ、即座に三之助の手を握って凄い速さで走り出した。
「音無さんどうしたんですか?」
「こんなところで雑談している暇は私にはありませんでした。不覚です。仕事をする時間が大幅に減りました。申し訳ないですが三年長屋まで走らせていただきます」
切羽つまって早口に言いきった鈴はそのまま走り続ける。もともと鈴は足なんて速くない。だが仕事に関しては彼女はいつもの倍、足が速くなるのだ。自分の速さに三之助がついてこれているか気になったとき、ぐんっと手が引っ張られた。気づけば三之助が鈴の手を引き、鈴の速さよりもずっと速く走っていた。
「ていうかさぁ、音無さん足遅くねぇ?」
「はい。存じております。次屋くんはあり得ないくらい速いですね。ご両親は馬でらっしゃいますか?」
「両親は人間だけど委員会の委員長は人外です」
「そうですか。とても助かります。あ、ここは左ですね」
「はーい」
素直に鈴の指示に従いながら三之助は走った。これなら遅れた分を巻き返せると鈴は心の内でほくそ笑んだ。
二人して走っていると三年長屋にはすぐに着いた。なんやかんや色々あったが無事に着いたので鈴は安堵して、今度こそ三之助にお礼を言い、仕事場へ行こうとする。仕事は三年長屋の方面にあるのであって三年長屋には用がないのだ。
「あぁ!三之助てめぇどこ行きやがってたんだ!」
「作兵衛」
またもや三年生の登場である。今日はよく忍たまに会うな…。長屋の一室からスパァンッと障子を開けて出てきた髪が橙色の少年は鈴に目もくれず三之助に近づいた。なるほど。どうやら迷子だったのは無自覚方向音痴も同じだったらしい。少年は持っていた縄を三之助の腰辺りに結びつけてその先をしっかり掴んだ。迷子紐ならぬ迷子縄だ。
「これでもうどこにも行かせねぇからな!」
「やだー作兵衛ソクバッキー」
「て・め・え・の、せいだろがああああ!」
三之助の無自覚ゆえの悪びれない態度に叫んだ少年は、ハッとした。最初から三之助の横に居た鈴の存在に今さら気がついたようだ。少年が鈴を見て顔を蒼白させても鈴本人はまったく表情を変えずいつもの何を考えているのかまるで分からない真顔で見返した。
「あ、あんたは…っ」
「作兵衛、音無さん知ってんの?」
「ちょ、三之助ちょっとこっちこい!」
「え、なになに?」
三之助を捕まえて鈴には聞こえないよう背を向ける。三之助は何が何だか分かっていないようだ。
「あの人、新しい掃除のお姉さんじゃねーか!」
「だから?」
「新しい掃除のお姉さんっていやぁぜんっぜん笑わないし姿は見せないしで有名じゃねーか!忍者じゃないかって藤内が言ってたぜ!?」
「アホのはの藤内の言うことを真に受けないほうがいいんじゃ…」
「今だってこっち見ながらピクリとも表情変わらねーし…!きっと本当はすげぇ忍者で忍術学園を乗っとる気だ…!」
「聞けよ人の話」
「お前に言われたくねーよ!」
「あのさ作兵衛、音無さんは確かに笑わないしずっと仏頂面だけど、良い人だよ」
「はぁ!?何でんなこと分かるんでぇ」
「俺を三年長屋まで連れてきてくれた」
「え、お前連れ去られてたんじゃねーのか?」
「ちげぇよバカ」
三之助たちはくるりと回り鈴を見た。鈴は早くこの場から去り仕事をしたいと二人を見ながらずーっと思っていたが、挨拶もなしにいなくなるのはいささか失礼ではないかとも思ったのだ。
「あ、あの!」
「はい」
「お…俺はこいつの友達の三年ろ組富松作兵衛っていいます」
「初めまして。私は音無鈴です」
「え、あ、初めまして…じゃねぇ!えーっと、あの…」
作兵衛は言いづらそうに言葉を詰まらせたが一呼吸して意を決したように鈴を見た。
「ありがとうございました!こいつ連れてきてくれて!」
お礼を言われた。
まさかお礼を言われるとは思いもしなかった。てっきり自分は良く思われていないのだと。
「こちらこそありがとうございました」
そう言い返すと作兵衛は苦笑する。きっと苦労しているのだろうな…。もう仕事をしに行ってもいいだろうかと鈴が思ったとき、ヘムヘムの鳴らす鐘の音が響き渡った。
「やっべ授業始まる!三之助行くぞ!」
「あー、うん」
焦った作兵衛はグイッと三之助に繋がられてる縄を引っ張って教室へ行こうとした。三之助もそれに従って行くが、すぐ先で立ち止まり鈴に顔を向けた。
「またねお姉さん」
「はい。また」
鈴の返事を聞くと三之助はニコッと少年らしい笑顔を見せ作兵衛に引かれて去っていった。
残された鈴もやっと仕事ができると、意気揚々と歩いていった。
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