Working girl

□こっち向けよ
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昨日は散々な目に遭った。まさかあんなに子供たちに追いかけ回されるとは思わなかった。精神的に少し疲れていた鈴はため息をつきながら洗濯物を干していた。今日は青空が眩しいぽかぽかとした洗濯日和だ。ちなみに洗濯物とは上級生が実習で着た忍装束だったりする。こびりついた血がなかなか洗い落とせず結構大変だったが、そこは長年の洗濯の腕と根性でやってのけた。鈴は食器洗いだけでなく洗濯までプロ並みだった。

今日の仕事を頭のなかで反復させ、洗濯をする。その途中で鈴の手がピタリと止まった。


「何かご用でしょうか」


端から見ると鈴が独り言を言っているように見えるが、それはきちんとある人に向けられた言葉だった。



「よく私が居ると分かったな」

その人物とは先ほどから鈴の後ろにいた作法委員会委員長六年い組立花仙蔵であった。ちゃんと気配を消してきたのに何故バレたのか…。彼のなかでは疑いよりも好奇心が勝っていた。

「仕事中はどんなトラブルがあっても臨機応変に対応しようと、回りには常に気を張っていますから」

「気を張って分かるものではないのだが…まぁいい」

「何かご用が?」

「用がなければ話してはならないのか?」

仙蔵の言葉に鈴は眉を潜めた。洗濯は既に再開しているのでお互い顔は見えていない。一体この人は何を考えているのだろう。鈴にはさっぱり分からなかった。仙蔵はなおも鈴の後ろでクスクスと笑っている。

「少し音無さんと話がしたくてな」

「はぁ。仕事をしながらでも宜しいですか」

「あぁ構わん」

仙蔵の申し出にますます鈴は眉を潜める。洗濯物を持ち仙蔵の出方を伺った。


「貴方は忍者なのではないか?」


はい来ました。最早恒例となったこの質問。鈴はまたため息を吐きたい気持ちになった。その勧誘には乗らないぞ。「違います」ときっぱり言えば仙蔵は「そうだろうな」と含んだ感じで言った。分かっているなら最初から聞かないでほしい。

「昨日一年は組に会っただろう」

「…会いました」

「他にも貴方に会ってみたいという忍たまが結構いるみたいだな」

「そうですか」

「嬉しくないのか?」

「そうですね」

鈴の返事に仙蔵は目を丸くしたあと、やはりこの人は違うな。と思った。何がどう違うかの話はまた今度として、そろそろ洗濯ばかりでこちらを見向きもしない鈴の態度が気になってきた。いや、仕事をしながらでもいいと了承したのは自分だが、こうも空気に扱われるのは好きじゃない。

鈴といえば最後の洗濯物を干し、ふうと額の汗を拭っていた。そして仙蔵に背を向けたまま話しかける。

「お話はこれで終わりなら、失礼させて頂きます」

「待て」

次の仕事をするためこの場から去ろうとした鈴の手を仙蔵は掴み顔をこちらに向けさせた。この時、今日初めて鈴と仙蔵は顔を見合わせたのである。

「少しはこちらを見たらどうなんだ」

「これは失礼しました。…貴方は以前にもお会いした…」

「六年い組立花仙蔵だ。私は貴方をかっているのだ。音無さんは私たち忍たまに媚びを売らない」

「必要性を感じませんから」

「私としてはもっと貴方という人がどんな方か知りたい」

「…?音無鈴好きなものは仕事と給料。忍術学園掃除のお姉さんですよろしくお願いします」

そう言うと仙蔵はプッと吹き出し、盛大に笑った。鈴はそれを見て少し驚いたが、ただただ不思議に思った。知りたいと聞かれたから答えただけだ。なのに何故こんなに爆笑されなきゃならないのか。そもそも仙蔵の言葉はいちいち不思議だ。生徒に媚びを売ったところで一銭の得にもならないだろう。ていうかそんな無駄なことをする掃除のお姉さんがいるなら是非見てみたいものだ。鈴の気持ちが分かったのか仙蔵は目の涙を拭って、先ほどまでの好戦的な態度を改め優しく笑った。

「すまんな。少し音無さんを試したかったのだ」

「別にこれといった支障がないので構いません。けど…」


仕事があるので手を離してはもらえませんか。


鈴の要望に仙蔵はまた笑いたくなったが、平静を保ち余裕の笑みで手を離した。私は学園一クールな男だからな。うん。離された鈴はお辞儀をしてその場を去っていった。

自分の手を見てさっきの鈴との会話を思い出す。「貴方のことを知りたい」そう言えばどんな娘だってたちまち機嫌を良くし、自分に取り入れてもらおうとするのだが、まさかまったく靡(なび)いてくれないとは。私もまだまだだな。

今度は鈴が暇なときを狙ってじっくり話してみたい。血だらけの忍装束を何の気なしに洗濯する女など面白い以外の何物でもないからなと仙蔵は思った。




***


鈴は今とても困っていた。

仙蔵と別れて、鈴はこれから三年長屋の方面の掃除をしなければならない…のだが。

「ここは一体…」

どこなのだろう。
そう、鈴は現在絶賛迷子中であった。情けない。なんて情けない。仕事中に迷子になるだなんて。しかもこんな時に限って学園の地図を部屋に忘れてきてしまうだなんて。失態だ。

あああと自己嫌悪に陥るがいつまでもそうしてもいられない。いち早く三年長屋へ行かないと。キョロキョロと辺りを見渡す。少しでもここがどこだか分かる目印などないものか。しかし見渡す限りうっそうと木が生える景色ばかりだ。これで学園内だというのだから凄い。ここの生徒はよく迷子にならないものだ。

立ち止まっていてもしょうがないので鈴は当てずっぽうで歩き出した。人の姿も見つからないので誰かに道を訪ねることもできないのだ。

はぁ…これで今日の仕事が遅れたりしたらどうしよう。自分の安否よりそちらのほうが心配だった。


ガサガサッ


歩いていると、突然草むらが動いた。その音に鈴も自然と足を止める。動物…だろうか。この学園には生物委員会という委員会まであるらしいし、動物の一匹や二匹いてもおかしくない。それか森の妖精。鈴がじっとその草むらを見ていると、ズバッと何かがそこから出てきた。

「…」

「…」

出てきたのは動物ではなく森の妖精…でもなく


「…アンタ誰?」


萌黄色の忍装束を着た男の子であった。




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