Working girl

□伊作、失敗する
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仙蔵も帰り、鈴は布団のなかで安静にしている。目を閉じて静かに呼吸をする鈴を見て、伊作は先ほどとは違う疑問にかられていた。




この人、僕のこと覚えてない?




これが伊作の疑問である。鈴は伊作を見たとき、「どちら様ですか」と聞いてきた。確かにあの夜は名前を言う暇もなく別れたけど、もし覚えていたならもっと異なる反応をするだろう。疑問という割にはもう答えは伊作のなかで出ていた。

(完璧に僕のこと忘れてるよね。ヤバいなんか泣きそう。結構濃い出会い方だと思ったんだけどな)

自分はそんなに印象薄いのか。伊作は食堂のおばちゃんのカレーひとつで彼女のことを考えるのをやめた自分を完全に棚に上げていた。

でも、彼女の名前とこの山に来た目的が就活というシビアなことだと分かったし、これで良いんだと自分を慰める。鈴が起き上がったときに落ちた手拭いを桶に戻し、使わなかった分の包帯を巻き直す。

彼女は二日後にはこの学園を出て恐らく山を越えた所にある町へと働き口を探しに行くのだろう。逞しいことだ。こんな年端もいかない女の子が一人でこの学園に着いたのだって凄いことだ。まぁ、案の定倒れてしまったけれど。

包帯を巻きながら伊作は思った。くの一でもない彼女が、この山を越えて町に行くのは無理だ。だってこの山には裏山、裏裏山、裏裏々山、さらには裏裏裏々山…と、無数に山があるのだから。忍者ならいざ知らず、一般人しかもこんなボロボロの彼女には、絶対に無理だ。また倒れてしまうのが目に見えている。

「…ていうかそんなこと僕が許さないよ」

怪我人がいれば敵味方関係なく治療してしまう性分の伊作が倒れると分かって行かすなど、あり得ないのだ。けれど、問題は別にある。山を越えさせない。ではもと来た道を引き返させるのか?それはそれでまた山賊に襲われるのではという心配がある。どうしたもんか。

「それに、これは僕の推測だけど、君は元居た所には戻りたくないんじゃないかい?」

「何故分かったのですか」

「うわああっ!?」

またもやいきなり起きた鈴に伊作は仙蔵より遥かに大きなリアクションをした。せっかく巻いた包帯がまたバラバラに崩れてしまったが、今はそんなことどうでもいい。

「び、びっくりしたー!君起きてたのかい!?」

「寝ていました。あれだけ独り言を喋られたら誰だって起きます。それより質問に答えてください」

「あ…そうだった」

びっくりして速くなった鼓動といまだにドキドキしている心臓を落ち着かせ鈴を見る。

「働き口を探すためにわざわざこんな危険を伴って山を越えるなんて、余程山を越えた町に働きたい所があるのか、もしくは元居た所にはもう居たくないのかと思って」

「正解です。さすが忍者…いえ。忍たまですね」

「当たった…!ていうか、忍たまを知ってるってことは君やっぱり僕のこと覚えているね!?」

「勿論です。命の恩人をそう易々と忘れるほど馬鹿ではありません」

「じゃあ何で知らないふりなんて…」

「私は名前が分からないので聞いただけで知らないふりは一度もしていませんが」

その節はどうもありがとうございました。飄々と真顔で言う鈴に伊作は力が抜けた。一人気にしていた自分が馬鹿みたいじゃないか。

「それで、元居た所に戻りたくないっていうのは…」

「…他人に言う義理はありません。と、言いたいところですがあなたには色々と恩がありますので。あまり楽しい話ではありませんから手短に話します。私は前まで、私が来た方向の山を越えたらある町はずれの茶屋で住み込み店員として働いていました。」




〜五分後〜




「…といった感じで今に至ります。…ちょっと善法寺さん大丈夫ですか」

ここへ来たいきさつを話終わると伊作が信じられないという顔で鈴を見てきた。

「大丈夫じゃないよ!君が!」

伊作の言い分が鈴は訳が分からなかった。私が大丈夫じゃない?確かに現在無職な自分は大丈夫じゃないだろう。それなら納得だ。

「理不尽じゃないか。君は店や客を守ったのにクビになるなんて!」

「なるほどそういうことですか。私がクビになるのは当たり前ですよ。私が居たらどのみち客が来なくて潰れてしまうんですから」

「そんなの分からないだろう」

「そうなってからでは遅いんです。善法寺さんには分かりかねないかもしれませんが、社会って理不尽なものなんですよ」

鈴のはっきりした物言いと達観した意見に伊作は出る言葉がなかった。自分は忍者になるため今まで不運ながらも頑張ってきたから、社会のそういったことはよく分からないのは事実であり仕方ないことだ。

「きり丸なら分かるのかなぁ…」

「何か言いましたか」

「あ、いや何でもない」

鈴はそんなある意味世間知らずな伊作の言葉を咎めるでもなく、むしろ喜んでいた。素直に、こう言ってくれるのは本当に嬉しかったのだ。

「ありがとうございます。善法寺さんは心優しいですね。」

「え、そんな…ははっ」

話も済み、空気が和やかになったところで鈴は布団のなかへと戻っていった。その様子を見て今は他のことは考えず彼女の看病を全うしようと伊作は決意し、新しい水を入れに桶を持って部屋を出ていった。


物腰丁寧な鈴を甘く見た。これが善法寺伊作の敗因である。




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