小説

□虚空を視る瞳
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その瞳が時折、虚空を視るように何も映さないことに気が付いたのは、一体いつの頃からだっただろう。

湖面のように凪いだ碧の瞳を、オレは事あるごとに、密かに見つめていた。

それは春の陽気に温む水面のようであったり、凍てついた冬の冴え冴えとした冷たさであったりと、時と場合に応じて、ふとした瞬間に表情を変える。

それでも、本当の意味で水面に波が立つことはない。

暗い水面を照らし出すような明かりによって、反射し輝いて見える時もあるが、それも表面だけのことだ。

すべては上辺だけで、本来の水底に何があるかは、誰にも見せようとしない。オレから見たレイヴンは、そういった男だった。

単なるオレの主観に過ぎないが、案外的を射ているんじゃないかと思う。

ザーフィアス城の地下牢では、男が何者なのかを考える時間もなく、カプワ・ノールで騙されトリムで再会した時も、悪びれた様子もない男に振り回された。

ケーブ・モック大森林で合流した時も、一癖も二癖もあるふざけたおっさんが同行することになったと、それぐらいにしか思っていなかった。

そしてレイヴンの様子を観察していた時に、いつしか気付いたのだ。

一見何処までも軽薄で、いつでも誰でも受け入れているかのような態度を取りながら、この男はその実誰も信じていない。

そんな瞳で男は笑う。何人たりともその中に踏み込ませないように。

死んだような瞳で、男は虚空に何を視ているんだろうか。普段隙を見せない男が、不意に浮かべた冷たい瞳が、オレは忘れられなかった。

道化めいた笑顔の裏にあんたが何を隠しているのか。

ただ、レイヴンを知りたいと、オレはそう思った。

その時のオレはらしくもなく、後先考えずに、レイヴンの領域に踏み込んだのだ。





一番最初に、オレが異変に目を向けたのは、月明かりのない静かな夜のことだ。それがすべての始まりだ。

この夜は『凛々の明星』のギルドの依頼で立ち寄ったヘリオードに泊まっていた。

その時に気付けたのは、本当に偶然だった。たまたま眠りが浅かったせいか、人の動く気配に目が覚める。

慎重に音を立てずに歩く足音、その小さすぎる音が耳を捉え、部屋の空気が動いたのがわかった。

閉じていた目を完全に開き、頭だけを動かして隣のベッドを確認すれば、レイヴンがいない。

深夜、仲間たち全員が寝静まった後、一人で何処かへ出て行ったらしい。

オレたちの真ん中で眠っているカロルは、レイヴンが抜けたことに気付いた様子もなく寝息を立てている。

足元に寝ているラピードは、オレが起きたことに反応したらしく顔を少しだけ上げたが、ドアの方をちらりと眺めただけで、また伏せていた。

こんな時間に、とも思ったが今に始まったことでもないと思い至る。いつものことだ。

この時間に行く場所といえば、酒場かどこかだろうか。

最近は、それなりに打ち解けて、レイヴンに飲みに誘われることも増えてきたが、今夜はお呼びがかからなかったようだ。

それか、潔癖な子供たちの目を忍んでいくような店に向ったのかもしれない。

成人している男はオレとレイヴンだけだし、そういう発散をしたい時もあるだろう。けれどオレの直感がそうではないと言っている。

ベッドから起き上がると、立ち上がってそっと壁に立てかけてある刀を取る。カロルを起こさないようにオレも足音を殺した。

暗闇に目が慣れてきたところで、レイヴンの寝ていたベッドを確認する。

着替えなどが入っている大きめの背嚢はあるが、寝る前は置いてあったはずのレイヴンの使っている弓と、道具袋が無くなっていた。

外に出て行ったのは、何か他に理由があるんじゃないだろうか。オレが引っかかったのは、レイヴンが普段とは違い装備品の一式を持って行ったことだ。

結界の中とはいえ、何処かの店に行くにしろ、こんな時間に出歩くのはそれなりに物騒だ。

それはわかっているが、魔物と戦うわけでもないのに、いくら用心のためとはいえ、武器と荷物を持ち出すのは剣呑だ。

「何をする気だ、おっさん」

このまま放っておいて眠る、そういう選択肢もあった。実際、いつもならお互いに干渉しないのが暗黙のルールにもなっている。

レイヴンの実力は知っている、仮に魔物や暴漢が出ても、難なくかわして切り抜けるだろう。

だがその時のオレはそれを選ばなかった。どうしてかはわからない。いい加減気になっていたのかもしれない。

レイヴンが何故部屋を抜け出すのかを。

空のベッドを尻目に、部屋を出る。廊下の冷たい空気を感じながら、オレはレイヴンの後を追うことにした。


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