プレゼント
□花のように
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さあさあと降りしきる雨が、窓の外の世界をしっとりと濡らしている。
四角いそこに目をやって、レイヴンはほうとため息を零した。決して憂鬱であるわけではない。むしろその逆。心のうちはひどく穏やかである。
雨は嫌いではなかった。空気がしっとりと冷え少しばかり重たくなるその気配。自然と家々にこもるひとたちと、自分。まるで世界が小さな、見える範囲しかないような感じがして、ひどく安堵したのだ。途方もない世界でただひとりではない。自身の見える範囲で、ただひとりであることは、それほど怖くない。
ただ、雨で気温が下がると、自然と調子が悪くなる。それは、効率の悪い自身の生の循環のせいもあるだろうし、単に寒がりなせいもあるだろう。
それはともかく、外は雨である。
けれど、レイヴンがいる場所は、しっかりと暖められた宿の一室であり、廊下にでも出ない限りは寒い寒いと嘆くこともない。丁寧に淹れた紅茶の、好い香りが辺りに漂う。両の手でしっかりと握る盆には、そのほかにころりとした焼き菓子がいくつも乗せられていた。カップは4つ。パテーションに隔たれた部屋の向こうでおしゃべりをしているらしい女の子たちのためのものだ。
数日に亘る長雨のせいで足止めを食らっていたが、おかげで穏やかな日々を過ごしている。こんな風に、甲斐甲斐しく3時のおやつを用意してあげるくらいには穏やかで、そうして退屈であった。あくまでも、暇を持て余したときだけの気紛れにすぎなかったが、それでも、彼女たちがほわりと表情を綻ばせる瞬間が、レイヴンは好きだった。
ちょっといいかい?
と、いつものように声をかけ、それから返ってくる声はきっとエステル。そうして、何故か室内を覗かせてくれない彼女たちは、パテーションから出てお茶とお菓子を受け取る。美味しそう、とか、ありがとうございます、とか。そんな言葉を聞きながら。
けれど、それは、叶うことはなかった。
肺にすっと空気を溜めた瞬間、聞こえてきたのはリタの声。
「おっさんはだめでしょ」
会話らしき音だけが微かに届いていたなかの、突然のはっきりとした言葉。どきり、と跳ねた紛い物は、宿主の動揺を表すためにわざとそうしているのかと勘繰るほどに不規則に動く。
駄目、とは、穏やかでない物言いだ。確かにリタは辛辣であり、普段からやさしい言葉をかけられているとは言いがたい。しかし、本人がいないなかで、そんなことを言うだろうか。思案しようにも、レイヴンは動揺から抜け切らずにいた。
かちゃ、とカップが触れ合う音に、はたとレイヴンはその場を離れなければと思い至る。
『おっさんは駄目でしょ』
リタの声が、頭のなかで繰り返し再生される。
(駄目でも、それでも、俺はここに居たいと、)
それらはまるで、茨のようにレイヴンを蝕んだ。
「やっほー」
弾んだ声に、ユーリが緩慢に振り返った。低い位置で結わえられた黒髪が、それに倣ってするりと肩を滑る。
「どうしたんだよ、…珍しい」
そう口にするユーリの視線の先には、お茶のセットを持ったレイヴンの姿。レイヴンは、それを手にしたままひょいと肩を竦めて小首を傾げただけで返事をしなかった。別段不自然さはなかったが、それでもユーリには目にしたそこに違和感を感じた。なにが、とははっきりと口に出来ないそれを確かめるために、ゆっくりと開いた口。
「…レイ、」
「あ、お菓子!」
好い匂いに誘われたカロルが、ユーリの言葉を遮るようにしてレイヴンに駆け寄った。
「そうよーん。あんまり暇だったから街に行ったらね、かっわいい子が売り子しててつい買って来ちまったのよ」
にへらと締まりのない笑みを浮かべるレイヴンに、カロルは一瞬で遠い目をして眼前のおっさんを眺める。
「へー。レイヴン食べれないのにね」
「そうなのよー」
明らかに棒読みのカロルであったが、レイヴンは気にした様子もなく困ったーといった風で(しかし笑顔全開)頷く。
「にしても、多くねぇか?」
「ほんとだよね。エステルたちも呼んで来ようか?」
テーブルに乗せられた盆を覗き込みながら、ユーリはその焼き菓子の量に呆れたたと言わんばかりに呟く。カロルもそれに苦笑で同意し、ついでに提案をする。甘党のユーリ、そして甘いものは当然好きな自分。食べ切れないわけではないが、ひとりが一個を取ったとしてもまだ余るだけの焼き菓子があるのだ。彼女たちだってお誘いするのが、至極当然の流れだった。ユーリも、それに頷きかけた。
「ああ、」
「やめといた方が、いいんじゃなあい?」
それを遮ったのは、間延びしたレイヴンの声だった。お茶の用意をしているために俯きがちな彼の表情は、カロルにもユーリにも窺えない。しかしそれを言うなれば、声にこそ、感情が乗っていなかった。
「なんで?」
常であれば、うるさい!と怒られるほどに女性陣にちょっかいを出すレイヴンである。こんなに美味しそうな焼き菓子をたくさん買ってきたのであれば、一番彼女たちを誘いそうなのはレイヴンであるはずなのに。困惑したカロルの問いに、レイヴンはゆっくりと顔を上げた。緩く貼り付けた笑みが、苦笑とも微笑ともとれないものであることに、果たしてカロルは気付いただろうか。
(さっきに感じた違和感は、これだったのか)
と、ユーリがその笑みを見ながらぼんやりと思う。
「さっき覗いたんだけど、すっごく白熱してて入れる雰囲気じゃなかったのよ」
「え、そうなの?」
「そうそう。なんか入ったらリタっちの犠牲になることは必死ねぇ…」
「…そっ、それじゃあ、仕方ないね!」
まんまと丸め込められるカロルを横目に、ユーリはひっそりと苦笑してテーブルの焼き菓子を見る。
(へったくそな嘘吐きやがって)
そんな状況でも入っていくのがレイヴンだ。それに、彼はただデリカシーのないおっさんなわけでもない。入る前にはきちんと部屋のなかに声を掛けるだろう。たとえなかが白熱していたとしても、お茶のお呼びであれば一時中断するだろうことは火を見るより明らかである。にもかかわらずこちらに来たということは、声を掛けたがすげなく断られたか、掛けることすら出来なかったかどちらか。
「んじゃま、全部食っちまわないようにしねぇとな」
嘘に気付き、そのいきさつを推測しながら、ユーリは突っ込むことをしなかった。些細な嘘だ。夕食ででもみんなが集まれば、自然とバレるだろう嘘。そう思ったし、嘘を吐きたかったレイヴンの心境を慮ったのもある。
「そうね…ま、てきとーに頂いちゃってよ」
「うん、いただきます!」