Toshio's ROOM

□大嫌いな村
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「こんな村大っ嫌いです」


朱音はそう唐突に言った。
敏夫はそれを当然昔から知っていたから驚きはしない。


「とかなんとか言いながら結局村に戻ってきたんじゃないか」


誰のせいだと思っている、と朱音は内心思いながら彼はどう考えても悪くなくて朱音は何も言えなくて押し黙る。


返事がないのを気にもせず敏夫は朱音に聞いた。


「今はどうしてるんだ」


「溝辺町のクリニックで採血バイトしてます。
実家なんで気楽なもんですよ」


「なんだ、ちゃんと看護師やってんじゃないか。うちは数ヶ月で辞めたのに」


「うっ…
その節は本当にご迷惑をおかけしました…」


「看護婦連中に虐められたか」



「そんなわけないでしょ」



「じゃあなんだ、給料が不満だったのか」


そうやって面白そうに訊ねる不良医師。
そんなこと思ってもないクセに。


「いえいえむしろ、私ごときに頂きすぎなくらいでしたよ」


そもそも契約前に大体の給料は提示されている。それを下回っているということもなく誠実なものだった。


「そんな謙遜するな」


「いえいえ私なんて、上昇志向もないし信念もないし志もないし別に仕事だからやってただけで、向いてませんよね」


「まぁ要領よくこなしてたとは言わんが、一生懸命やってて患者の評判もよかったのに」


「それは私が村の人間だからでしょ」


村の人間はどちらかというと他所の人間より村の人間の方を好む。
本当につまらない村だと思う。
でも結局こうして戻ってきてしまった。

先生だって若御院だって結局戻ってきた。
寺と尾崎はこの村になくてはならない存在だ。


虚しい。

先生だって本当は村を出たかったんじゃないか。
期待を一心に背負ってしんどくないんだろうか。

この人の気持ちは自分にはわからない。



「なんで看護師になったんだ」


ああそういう質問が一番忌々しい。


「あああああ!ほんと先生ってムカつく!!」



「は?」


「なんでそんな鈍感なんです?」


「なんだ、やっぱり俺のせいだったのか?」


辞めたのはやはり自分のせいだと思い始めたようで、とても驚いている。
どうしてこんな人に私は恋をしてしまったんだろう。

朱音は正面から敏夫を見上げる。


「そうですよ、先生のせいです。
先生が医者になるから、外で働いてたのに、こんな村にわざわざ戻ってくるから。
先生は、もしかしたらこの村には戻ってこないんじゃないかと思っていたのに」


敏夫は訳がわからないと言う顔をしている。それはそうだろう。


「それは…」


「私はこんな村大っ嫌いなのに、先生は村に戻ってくるし結婚もしてたって聞いて、なんかいてもたってもいられなくて、戻ってきて、先生のクリニックで働くことにしました」


敏夫は驚いた顔をする。
朱音は顔を顰めて続ける。




「でも、上手くいかなかった。先生と働きたくて、戻って来たけど…
でも村を出ようと思います。やっぱり、村は嫌い。
合わない」


「まぁ、朱音ちゃんは自由なんだし村を出てもやっていけるだろうが」


つくづく鈍感だな、この人はと思いながら朱音は溜息をつく。
片想いして数十年。長かったなと思う。

村を出て外の世界で看護師として働いていた。
辛いことも多かったが、頑張れた。
この人もどこか外の世界で頑張っているんだろうと思ったから。

外場村を出て会わない期間があっても結局再会すればこの気持ちに蓋は出来ず。




「違うんですよ…先生……
私ね、先生がずっと好きだったんです。
一緒に働けてすごく幸せでした。
村が嫌いでやっぱりそれは両立出来なかったけど、でも一瞬でも働けて嬉しかったです」



恋と仕事が両立できなかった。
結婚しているんだから仕方ない。
そうでなくても村の人間である限り尾崎の人間には選んでもらえないだろう。

そういうしきたり、無言の圧力、昔からの暗黙の了解みたいなもの。

寺と尾崎は外から嫁を選ぶ傾向にある。


でもそれだけじゃないけど。


頭をポンと撫でられる。

懐かしい感覚に晒される。

昔、学生の頃はこうして先輩後輩として接していたのに。

気が付けば涙が目に溜まる。

ああ情けない。
さよならを言うためにここに来たのに。


「そんなに俺のこと好きだったのか」


さらりとそんなふうに言われて、羞恥心が湧くが涙は止まらない。


「知ってたでしょ!」


「そりゃまぁ、学生の頃は、そんな感じもしたが」


昔の話だろ、と言うように。


「何十年も経って今もそうだと思わない」


「私だって自分が信じられませんよ」


「もったいないことしてる気分だな」


そう言ってちょっと意地悪く笑うこの人が憎たらしい。


「私、不倫はしませんよ!」


「何も言ってないだろうが」


そんなこと言わないで。
きっと押されると拒否できずに泥沼に嵌る。

朱音は涙をようやく止めて、溜息を深く吐いた。


「どうか幸せでいてください。
別に先生とつき合ったり結婚できるだなんて今まで思ってませんでした。
こんな村ですけど、それでも先生がそう選ぶなら、この村で幸せでいて欲しいです」


それは本心だったけど。



「でも先生みたいな人がこんな村で生きてるのすごく勿体無い」


「そんなことないだろ」



「どんな風に医者やってんのかなって思ってたけど、想像以上に優秀でした。
先生の父親とは大違い」


先代のことは好きではなかった。
この人もそんな風な医者になっていたらどうしようと思いながらこの村に戻ってきた。
正反対だった。

それが嬉しくも悲しい。

そして村の人間からは少し嫌われていたりもする。

でもそれ以上に好きになってくれた人も多いと思うけれど。


「まぁあんな医者には絶対なるまいと思ってたからな」


「まぁ、もうちょっと真面目そうにしてもいいと思いますけど。
そういうところは、変わってないですね」



変わらないまま戻ってきたこの人と再会して変わらない恋心が再燃した。


「そうかな」


「そうですよ、村には勿体無い。こんな村に閉じ込めておくなんて」


別に人生80年なんだからそんな誰かの期待のために生きなくてもいいのに。

だから自分はそう思って村をまた出て行く。

朱音は歩き出す。


「東京に戻るのか」


「そうですね、そっちの方が私には合ってますから」


残念だけれどそっちの方がいい。
一瞬でも側で働けてよかった。


「子ども生まれたら年賀状でもください。
私から送りますから、気が付いたら」


「生まれる訳ないだろ」


「これから長く一緒に生きるのは奥さんなんだから大事にした方がいいですよ」


何回か会ったことがあるだけでそこまで人となりは分からないが、選んだ相手なら仕方ない。
自分の人生だ。
自分でなんとかするしかない。


「あ、東京に出てくることがあってもまた教えてください。ご飯くらい行きたいですね」


敏夫は曖昧に頷くことしかできない。

なんとも言えない表情をしている敏夫を見て朱音は笑った。


「どうか幸せで」


「朱音も」


名前で呼ばれて悉く懐かしい気持ちがぶり返す。

学生の頃はただただ純粋にこの人が好きだった。


「医者の不養生の典型みたいな生活してるんだから健康には気をつけてくださいね」


そう言ってにこやかに微笑んで朱音は歩いて行く。

実家はここだからたまには戻ってくることもあるかも知れない。

でももう二度と会うこともないのかも。


これで本当に終わりなんだなぁと思うと切ない気持ちに晒される。


振り返れば彼はきっとまだいる。
今生の別れというわけではない。


尾崎医院はずっとあるだろう。
だから大丈夫だと言い聞かせて朱音は振り返ることなく歩いて行った。
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