Toshio's ROOM

□first day
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村に来て最初の頃は、若先生、とか若御院とか、そんな言葉にすら違和感を覚え、小さな村独特の閉塞感に息が詰まりそうになりながらもなんとか仕事をこなしていた。



信仰が生きている村には転入組としては何とも入りづらいオーラがあって、なんとなく村人とは距離を置いてしまう。


そしてたぶん避けられているような気もする。



余所者、と言われることもある。悪気がなくても。


仕事内容はと言えば、もう少し楽に働けるんじゃないかと思っていたのに、患者数は結構多くて、その上往診があったりして、中々に忙しい。



想像と違った、と言って辞めてしまってもよかったが、そうしなかったのは、医院内は居心地が決して悪くはなかったからだと思う。



そして、その唯一の医師は人としてももちろん医師としても経営者としても尊敬ができた。



こんな村で好き好んで働いているのだから変な人間じゃないかと思っていたのに少し前までは大学病院で働いていたらしく、まだまだ若いからか今でも勉強熱心で、よく医学書を読んでいるのを見かける。



スタッフなどに偉そうにしているところは見たことがなく、患者には憎まれ口を叩いていたりして、いろいろ陰口など叩かれているのを聞くこともあるが、自分たちにとっては気安くて、医師という仕事にきちんと向き合っている、そういうところが働きやすく、そして日々のことで自分も勉強になることが多かった。



他のスタッフももちろん良いが、この医者が上司で経営者でなければきっと辞めていたんじゃないか、とも思う。



それくらいにはこの医者を信頼していたし、もう少しここで経験を積みたい、と思えた。




それでもまだまだ村に馴染めているとは言い難く、仕事はやり辛いことも多い。



それを察してか他のスタッフももちろんこの医師も自分に気遣ってくれていた。



だからか何となくそのままこの医院で働いていた。









ある朝の通勤時。
医院から住んでいるところまで歩いて20分ほど。
大抵は歩いて通勤をしていた。

この村の朝は早く、5時ぐらいからもう既に起きていて行動している人も多い。


現在の時刻は7:30、
始業は8:30だが、朱音は大体8時前にはもう医院にいることが多い。

他の職員も比較的集合が早い。


この日は天気が良くて、朝日なのにもうジリジリと照らし出している。
たぶん昼にはすごく暑くなりそうだ。

熱中症も増えるかもしれないから、老人の多いこの村では飲水をできるだけ促していた。


医院までの道中で、いろいろな村人に会って挨拶をする。


ここに来て半年くらいになれば、知っている人も増えて、通勤経路にある家の人は大体顔見知りになる。

親切にしてくれる人も来た頃よりは増えた。


ただ監視の目が初めはあっただけで、そんなに悪い人ばかりじゃない。

良くも悪くも外から来た人間が目立ってしまうだけ。

慣れてしまえば、村人も気にしなくなってくるのが分かる。

もう少しここにいて我慢すれば、居心地も悪くはなくなってきて気にはならなくなるだろうか。


そんな風に思いながら朱音は尾崎医院までの道をなんとなく早足で急いでいた。


その時。


背後から切羽詰まったような叫び声が聞こえた。
この長閑な村の朝には似つかわしくない声に朱音ははっとして、その瞬間に脈拍が上がるのが分かった。

すぐに背後を振り向けば、向こうの方に人がいるのが見える。


先程、挨拶をした家の人が、家の前にいる。

崩れ落ちるように地面に膝を突く人がいるのが見える。


何かがあったのだ、と朱音は思うが動機がしているせいかすぐには体が動かない。
どうしよう、と思いながら何が起こったのか異変に気がつく。


その人は胸を押さえている。
苦しそうな表情が見て分かる。


その瞬間、朱音は走ってさっとその場に近付いていた。


名前は何だっただろう、と思いながら駆け寄れば、その人はそのまま地面に伏せていく。

拙い、と思った。

叫んでいたのは倒れた人の傍にいたこの人の妻だろうか。

その人はただただ動揺していて動けないようでおろおろとしている。

朱音は慌ててその場に伏せて、倒れた体を横に向ける。

眼は上天している。
明らかに様子がおかしい。
胸を押さえていた手は脱力していた。


「大丈夫ですか?わかりますか?」


予想されたことだが返事は何もなく、ガタガタと痙攣がはじまると、そのまますぐにふっと力が抜けて完全に動かなくなってしまう。

拙い、と思って首筋に触れれば脈も取れなくなっていることに気がつく。
呼吸ももちろんない。

このままでは非常に拙いことになる。

その瞬間に朱音は更に自分の脈拍が上がるのが分かった。


「奥さんですか!?
救急車!呼んでください!!それから若先生も!!!あとAEDを!」


叫ぶようにそう言って、朱音は持っていた荷物を荒っぽく取り落として、倒れた人の胸の上に両手を置いて、力の限り思い切り押した。

心臓が停止したならとりあえず心臓マッサージをするしかない。

何度も何度も強く押しているが、反応はなくそのまま動かないままで、力なく押される力に揺さぶられているだけだった。

それでも脈が戻らないのならもうこうして1人ででも心臓マッサージをするしかない。

周りに人がいる気配がするが、近付いては来ない。
こんな状況ならそんな人が多いのも仕方ないし、自分の方にも余裕がなかった。

その人の妻らしき人が戻ってきて、電話の子機を片手に自分の前に這いつくばって、叫ぶように問う。


「ご、ごめんなさい、状況聞かれて!」


救急隊から状況を聞かれたのだろう、搬送先もあるから分かる範囲では答えた方がいい。

心臓マッサージを止めないまま、叫ぶようにスピーカーになっている子機に告げた。


「心肺停止の状態です!胸を押さえていたので、心臓の疾患かもしれません!!
バイスタンダーすぐにCPR開始しています!
住所は?」


「は、はい、言いました」


「じゃあ、若先生、呼んで!!!AEDは、」


村の中全部を把握しているわけではない。
AEDがどこにあるのか、朱音は思い出せない。
ここまでくると尾崎医院が1番近いかもしれない、と朱音は思いながら懸命に胸を押すしかなかった。

手伝ってくれるものはいない。
自分は看護師だ。
救急車もすぐに来るはずだ。

慣れているものが心臓マッサージをした方がいいに決まっている。
周りの人間だってそう思う。間違っているわけではない。

誰かが来るまで、朱音は懸命にそうしているしかなかった。







暫くすると先生が来てくれる。
急いで自分の傍までやって来て状況をすぐさま把握してくれる。

言わなくてもAEDを持ってきてくれているのが分かって朱音は汗を流しながら大きく息を吐く。

今の状況が何も安心していい状況ではないのは分かってはいるが、それでもやはり医者がいるのは心強い。


「ちょっと止めろ」


先生にそう言われて朱音は心臓マッサージをしていた手をすぐさま止める。
その瞬間に汗がどっと噴き出してくるのが分かった。

腕は重くなって自分の脈はますます速くなっている。

滴り落ちる汗に構う余裕もない。
自分の呼吸が荒く、浅く呼吸を繰り返す。


「駄目だな、脈が戻ってない。
除細動するぞ」


そう言って先生はAEDの機械を開けて朱音は素早く服をまくって胸を露出させる。

先生がさっと胸に電極パッドを付けて、除細動が開始されるのを見守る。

しかし除細動が終わっても心拍は再開されずまだまだ余談は許さない。


朱音はまた再び心臓マッサージを開始する。
先生はアンビューを持ってきており、患者の口を覆い、空気を肺に送り込む。


このまま、戻らないかもしれない。

先生も必死で対応してくれている。

私が諦めてはならないと思って、懸命に胸を押していた。


そのとき患者が微かに身動ぐのが分かった。

あっ、と思った瞬間に、ゲホゲホと咳をし始めるのが分かって、朱音はその瞬間に胸を押すのを止める。

先生と顔を見合わせる。

朱音は大きく息を吐いた。



「渡邊さん、あんた、分かるか」


呼吸は開始され、心拍も再開されているのが見て分かる。

しかしほっと息を吐く暇もなく、意識は未だに曖昧で不安定だ。
またいつ心停止してしまうか分からない。

ドクドクと胸の音がまだまだ収まらない。


そのとき救急車の音が遠くに聞こえるのが分かってようやくその赤い光が見えてきた。

先生もそちらをちらと見て息を吐く。

呼吸も心拍も再開された。
あとは然るべき病院に搬送されれば、助かるかもしれない。

この場でできることはもうない。

先生は脈をとって心音を聞いて酸素を測り瞳孔反射を見る。

とりあえずは問題ないようで小さく頷いていて朱音は一度目を瞑った。

血圧を測ったところで、救急車は漸く現場に到着した。







先生がある程度の説明を救急隊員にしてくれて、朱音は急変時すぐの対応について詳しく話した。


ストレッチャーに乗せられて救急車内に搬送されるところを見送る。
奥さんだろう人も乗せられるのを見ていた。

不安そうにしているのを見ると胸が痛む。







「胸を押さえていました、心筋梗塞かもしれません」


朱音はそっと先生にそう告げる。先生も頷いていた。


「朱音ちゃん、ついて行ってやってくれないか、
1番状況も分かってるだろうし」


「あ、は、はい」


「今日は午後勤務で構わないから」


「えっ、午後から!?」


朱音はそのまま先生に見送られるように救急車に乗り込む。
心拍は再開している。
救急隊員もいる。
あとは総合病院に運ばれるだけ。
それでも微かに指先が震えるのが分かる。


助かりますように、と祈りながらモニターを見ていた。
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