Toshio's ROOM

□influence
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「朱音、今日は空いてるか」


なんて、書類整理してる時に後ろから声が掛かり嬉しくなって振り返ろうとすれば、敏夫に腰を焦らすようにするりと撫でられて、朱音は驚いて体をピクリと揺らす。

振り返って見上げれば、敏夫は悪戯っぽく笑っていて、朱音は頬を赤く染めながらも軽く睨め付ける。


「仕事中に触らないでください」


誰かに見咎められたらどうするのか、と朱音は非難するようにまだ目を細めて彼の方を見ていた。


「怖い怖い、
悪かったな、思わずで、悪気はないんだ。
じゃあ、また後でな」


彼は反省している風もなく、そう軽口を叩いておかしそうに口角を弓なりに上げ、降参するように両手を上げると、そのまま部屋から出ていこうと踵を返してドアノブに手を掛けている。


朱音は待って、と声を掛ける前に敏夫の白衣を手で掴んでいた。

グイと白衣が引かれる感覚が伝わったのか、彼はすぐにこちらを振り返る。
朱音は思わずこんな行動をしてしまいパッと手を離して、少しバツが悪そうに視線を逸らす。

先生が面白いものを見たかのようにして笑っているのが視界の端に写っている。


「…すみません、思わず。
あの、えっと、
今日、家で待ってますから…」


恥ずかしい気持ちはあったが、この機会を逃す可能性があるのならば、なんとかせねばと思い、朱音は何とかそれだけを言う。


「ああ、分かった。
いい酒が手に入ったんでな」


1人で飲むのも勿体ない気がして、と彼はそう言う。


「あ、はい、じゃあなんか作って待ってますね」


朱音はやはり嬉しくなって溢れるような笑顔を零す。

敏夫はそれを見やって、踵を返すと、後で、とそう言い残して後ろ手に手を振り部屋から出て行く。


朱音は高鳴る気持ちを抑えきれずにそのまま見送った。












************




朱音は仕事が終わると家に早く帰り、部屋の掃除を軽くしてから、早めにシャワーを浴びてキッチンに立つ。

適当な酒の肴を作って、朱音は敏夫を待っていた。

敏夫がそこまで早く来れないことを朱音はよく知っている。

彼にしかできない残務があったり、医学書に読み耽ったり、いろいろあるらしい。


まだ若いからかまだまだ勉強は怠らないようで、不良医師、なんて村の人間には評されているようではあるが、全くそんなことはない。

気安いだけで立派な医者だ。
そうでなければここまで好きになることもなかっただろうに、と朱音はそう思った。


適当にビールを飲んだり、酒の肴をつついてテレビを見ながら待っていると、玄関のベルが鳴り、漸く先生がやってきたことが分かる。

時計をちらと見ればもう21時くらいではあるが、酒を飲むならまだまだこれからだろう。


玄関を開ければ、おう、とかなんとか言いながら何か一升瓶くらいの大きさのお酒を手に下げて部屋に入ってくる。

そのお酒を受け取って朱音は彼を部屋に通して、テーブル前に落ち着けて隣に座った。


「悪いな、遅くなった」


「いえ、全然。もう1人でちょっと飲んでました」


朱音は全然待ってない、という風を装う。
彼に箸を手渡し、缶ビールを冷えたコップに入れて渡せば、美味しそうにグイと飲んでいた。


朱音は彼が持ってきた一升瓶を取り出す。


「獺祭ですか」


「ああ。君、好きだろう」


朱音は頷く。


「もう、早速ですけど飲んでいいですか」


「ああ、もちろん」


そう言う前に朱音はその瓶をの蓋を開けてた。
芳しい香りが立つ。

先生がその瓶を持って、猪口に並々と入れてくれた。

朱音はそっと溢さないように持ち上げて、くいと呷る。


「いい飲みっぷりだが、潰れてくれるなよ」


先生がそう言うのが分かるが、そうは言われてもたぶんどうしようもない、と朱音は思う。


「流石に美味しいですね、ひと瓶1人で空けられちゃいそうです」



朱音が瞳を輝かしてそういえば、敏夫はおかしそうにして声に出して笑う。


「それならよかった」



少しずつ飲みながらも結局2人で瓶の半分くらいは空けてしまう。
これ以上酔うのも良くないか、とそのまま蓋をしておく。
作っておいた食べ物は粗方食べ尽くされている。




何となく会話が途切れて、2人は視線を合わせる。


どちらからともなく手に触れていて、絡ませ、そして近付いてゆっくりとキスをする。

朱音は敏夫に促されるままに膝の上に股がされる。

またそのまま正面から柔らかくキスをする。


唇を離して、そのまま朱音は敏夫に抱き付くようにして背中に手を回す。


「先生、髭」


朱音はなんとなくおかしくてそう言った。


「悪い」


先生から少しバツが悪そうな声が聞こえて、朱音はまた笑う。


「いえ、先生、折角かっこいいんですから、なんだか勿体ないんです」


朱音はそう言って真正面から敏夫を見遣って、顎に手を伸ばして撫でる。
少しざらりと手に触れる感じがする。

敏夫は朱音の手を取って触らせないように下ろさせる。


朱音は少し残念そうにしながら、もう一度柔らかな口付けを施す。

「嫌なんじゃなかったのか」


「別に、嫌なわけじゃないです」


敏夫はそう言う朱音をおかしそうに笑って、そっと抱き寄せる。
朱音は抵抗せずにそのまま敏夫に抱き締められている。
そして朱音は目を瞑る。


「…あの…先生、
もう、ベッド行きませんか」


「いや、もうちょっと」


そう言って敏夫は強めに朱音を抱き竦める。
その力強さが、心を揺さぶる感じがして、朱音はそのまま体ごと擦り寄るように抱かれている。


「…君には本当に癒されるな」


先生がふとそんなことを言う。
その言葉を不思議に感じて、朱音は小さく、え、と声を漏らす。
力が弱まるのが分かって、朱音は体を離そうとするが、そのまま背中を弱い力で撫でられて大人しくその胸に収まる。



「先生」


「ん?」


そう言って優しい色を含んだ声が聞こえて朱音はどきりと胸を鳴らす。


「先生は、
癒されてくれているから、こうやって会ってくれるんですか」


敏夫は困ったような笑い声を漏らし、なんとか言葉を選びとるように言う。



「さぁ…
そうなのかも、しれないな。
君といると…
こうしていると癒されている気がする」



朱音にとっては嬉しいような、なんだか不思議な気持ちだ。

それでもこの関係は普通の関係ではない。


愛人には癒しを求めて当然か、と思った。その言葉は急に自分に相応しいように思えた。



「ひどいひとですね…」


消え入るような小さい声で朱音はそう言った。
先生からも疑問を表すような声が聞こえたが、朱音は聞こえないふりをして、そのまましがみ付く。
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