Toshio's ROOM
□then and now
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「朱音ちゃん、
仕事はどうだ」
尾崎敏夫がふとしたとき、そう言った。
尾崎医院に転職して2ヶ月。
正直、舐めていた。
朱音は引きつった笑いを浮かべていることを自分自身分かっていたが、どうにもそれを誤魔化すことができていなかった。
「…け、結構忙しいんですね…」
そう言うのが精一杯で、何かを察した先生は声に出して笑っていた。
気安い先生だ。
口が悪くて無精髭で、身なりにもそこまで気を遣わない。
忙しくて気が回らないのだろう無精髭をたまに生やしているイメージからか、見た感じは清潔感ギリギリ、と言った感じ。
白衣を着てるから医者なんだ、とかろうじて分かる。
ただ、医師としては優秀だ。
1人で全て取り仕切っているだけはある。
ここの看護師も想像以上に優秀だった。
彼がきっとここまで育ててきたんだろう。
いい医院だと、そう朱音は思ってはいる。
彼がこうして自分に声を掛けてくれたのは、きっと転職したての私に気を使ってくれたからに違いない。
仕事もできるしスタッフに対する気遣いもできる、自分の彼に対する評価はそんなところだった。
「…私、前は大学病院の救急で働いてたんです」
どこまで言っても構わないだろうか、と朱音はちらと敏夫の顔を見る。
気安い医者だが、何でもかんでも言ってしまっていいのかまでは分からない。
「ああ、そうだったな、確か」
敏夫は視線を上げて思い出すようにそう口にしていた。
履歴書には職歴などを書いているので大学病院で働いていたことは知っていて当然だが、志望動機などはもちろん印象が悪くならないようなでっち上げた。
「本当は人間関係に病んで、辞めたんです。
だから、この病院の人間関係はすごくいいですね」
先生は本当に気安く、スタッフを怒鳴ったところなど見たことがない。
患者とはたまに喧嘩でもしてるのかと思うことはあるが。
ややこしい患者が多いからそれも仕方ない。
看護師も村の看護師などレベルが低いんじゃないかと思っていたがそんなことはなく。
村にいるとその理由も判然とした。
患者数が圧倒的に多い。
一医院が請負う患者数を超えている。
確かにオペやカテなどはできないが、高齢者が多いのでいきなり急性期対応を迫られることもある。
呼ばれて行ってみれば重症の状態、など。
手に負えない事態になれば救急車に乗せて仕舞えばいいのはいいのだが、この医師は優秀でプライドもある。
そして、村唯一の医師として頼りにされている。
適当な対応はせず、自分できちんと見る。
医師1人につき患者は一体何人になるのだろう。
1人で背負いすぎているのでは、と思わなくもない。
「看護師仲間は悪くはない、と」
彼はそう言って面白そうに笑みを溢す。
「先生も、もちろんいいです」
そう言う意味じゃないんだろう、先生は声に出して笑っている。
「ただ…うーん、
患者さんが…ですね…
なんというか、キャラ強めですね…」
なんとか誤魔化しながらそう言った。
そう。患者の人となりが厄介なことが多い。
余所者の自分が看護師なのが気になるのかもしれないが、何となく村の輪に入れてもらえていない感じがする。
まだ信用していないから採血はしてくれるな、と面と向かって言われた事もある。
「まぁ、そりゃ大変だろうなぁ、偏屈な老人が多いから」
そう言って先生は笑って肩を竦める。
村の人すらそう思うんだ、と朱音は思いながら、曖昧に愛想笑いを返す。
この医師は信用できるし、尊敬もできる。
看護師や事務方も皆親切だ。
そういう面では働きやすいと言える。
しかし、この村の信仰も朱音は苦手だった。
信仰というより、この信仰で繋がった集団、だろうか。
「できれば辞めないでくれよ。せっかく入ってくれたんだし」
「も、もちろんです」
正直、毎日が忙しく、看護業務というよりかは別のことで慣れないことも多く、いつ辞めてやろう、と思わなくもなかったが、転職して数ヶ月で辞めるのは情けない、と思う。
村の人も悪い人たちばかりではない。
一部が濃いだけで。
信仰、というよりこういう狭い村はこんなものなのだろうか。
土地の繋がり、結び付きが強く、深い。
外の人間の話など聞くことをしない。
当たり前のようにスピリチュアルなものに傾倒する節がある。
医療が科学と知らないかのように。
薬を処方しても勝手に断薬する、根拠のない言い伝えに縋って悪化するまで病院に来ない。
そういうのを上手く諭すことができなくてヤキモキする。
でもそうすることができないのは自分が特にこの村の人間ではないからとよく分かっている。
この村自体が嫌いなわけではない、と思う。
医師も同僚も優秀で不満はない。
ただ自分の無力感は自覚した。
この人は医者で医院の経営者だ。
この人が今の給料を払ってくれている。
そして私を雇うことを決めてくれた人だと思う。
そんな人がそう言ってくれるのだから。
もう少し頑張ろう、と朱音は思っていた。
「無理はしないように」
と言って、朱音は敏夫に肩を叩かれる。
不思議と嫌ではなかった。
医者なんて嫌いだったのになぁ、と朱音自身不思議に思う。
嫌味がなく下心がないのが透けて見える。
「はい、ありがとうございます、先生」
彼は部屋を出ていくのを見送る。
この人の人となりは好きだ、と思う。
良くも悪くも医者らしくない雰囲気を持っている。
なのに仕事はきっちりするから。
それだけでも転職した価値はある、と朱音は納得した。