Toshio's ROOM

□sweet sorrow
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隣で眠っている彼。
自分と同じシャンプーの匂いがする。一応女性用なんだけどなぁ、と思いながら、匂いを嗅げば落ち着くような、いけないことをしている背徳感があるような、そんな複雑な気持ちになる。


先生といるときの朝は早い。

村全体の朝が早いからまだ薄暗い時間に出ないと誰かに見咎められてしまうかもしれない。


朱音は落ちている服を拾って適当に着替え、キッチンに立つ。
お湯を沸かして熱い珈琲を淹れてテーブルにことりと小さな音を立てて置いた。

そして先生がまだ眠っているベッドルームへ向かう。



「先生」


ベッドサイドに膝を突き、そっと囁くように呼び起こせば、眠っていた先生はもぞもぞとベッドの中で蠢く。

仕事の時と雰囲気が違って、力が抜けていてなんだかとても愛おしい。


そしてそんな気持ちは口が裂けても言ってはいけない。

先生は目を薄く開いてこちらをぼんやりと見ている。

そっと手が伸びてきたかと思うと、私の頭に手を伸ばされ、そのまま先生の方に引き寄せられる。

そうして半ば無理やり唇を合わせられる。


それでも焦ったいほどゆっくり優しく合わせられるだけ。


それだけなのに胸が高鳴るのが分かる。

先生は欠伸をしたあと、身体を起こすと大きく伸びをする。
服は着ていなく、裸体が目に入る。
程よく引き締まっていて、なんとなく目のやり場に困る。
下着はたぶん履いているのだろうが今は見えていない。


「おはよう、朱音」



「…おはようございます、先生。
珈琲淹れたので、家出る前にどうぞ」


朱音は平静を装ってそう言う。
顔が少し赤いかもしれない。
だからすぐに視線を逸らした。


自分はこの人に翻弄されていると思う。

こんなはずではなかったのに。


先生が服を着替えてから、静かに珈琲を飲んでいる間に朱音はカーテンを小さく開いて外を見やる。

まだ外は薄暗い。
この時間ならまだ人に見咎められる事はないだろう、と勝手にそう思っておく。


「君は今日仕事は休みだったか」


「はい。だからお誘いしたんです」


朱音は口元に手を当てて笑う。


「俺は仕事だ」


「先生は休みなんてあってないようなものじゃないですか」


朱音はそう言って笑った。


先生は仕方ない、と言って肩を竦める。


先生が帰り支度を始めて、と言ってもたいした荷物は持っていないが、朱音はその様子をどこを見るでもなく眺める。


人には知られてはならない関係。


先生が玄関に向かっていくのをゆっくり追う。


先生が靴を履く前に自分のほうを振り返ると、先生は私の手首を握って、引っ張って先生の胸に収める。

ドキドキとして、朱音もそっと先生の背に手を回す。


普通の恋人関係ではない。


だからこんなに自分は盛り上がってしまうのだろうか。

匂いを嗅げば自分の家の匂い、そして微かな煙草の香りが漂う。

先生の匂いに愛おしさが増していく。


「じゃあ、先生、帰り、気をつけてくださいね」


朱音は意味深にそう言って、名残惜しくも身体を離す。

いつまでもこうしていたい、とそう思っている。


「ああ。じゃあ、また」


「はい、また」


そう言って先生は薄暗闇の中に帰っていく。

扉をゆっくり閉めて鍵を閉じる。

愛おしく思う気持ちと切ない気持ちが降り混ざる。


また、なんて言葉を交わして、いつまで続けられるのだろう。


こんな関係が続いてもう1年弱くらいになるだろうか。
村に来てからは、1年半くらいになる。

朱音は指折り数えてみる。


自分は転入組だった。
元々は大学病院で看護師をしていたが、そこを退職して尾崎医院で看護師をするためにこの村に来た。

そうして出会ったのが先生だったのだ。


それがいつの間にやら欲望の赴くままにこうして逢瀬を重ねる。
といっても月に数回程度のことだから制限されている。


昨晩を思い出せば胸を熱く焦がす。

あの人が自分勝手に振る舞う人ならば、きっとこの関係は一度で終わっていただろうが、丁寧に自分に触れて、抱かれてしまったものだから、簡単に忘れられなくなってしまった。


もともと、あの人のことを私は酷く勘違いしていたのだ。
女っ気があまりにもなかったから。

だからたまにはこういうのもいいだろう、とそう思って自分の方から誘ってしまった。

それがそもそもの失敗だったのかも。


朱音はもう一度寝直そうとベッドに入った。

また彼の温もりがベッドに残っているような気がして。

一晩中は一緒にいられない。 
それ以前もこれからもそれは変わることがない。

それが切ない。

微かに煙草の匂いがする。


いつのまにか、こんなにも好きになってしまっていた。
そしてそれは絶対に言うことは許されない。

後腐れなく始まり、そのまま終わりを迎えるためにこの関係は存在しているのだから。


このままここであの人のもとで働き続けたいのならば、朱音にはそうするしかなかった。
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