Toshio's ROOM

□誘惑
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「先生、稼いでるんでしょ?珈琲奢ってくれません?」


仕事の休憩中にクレオールで珈琲を飲んでいるといつのまにか朱音がやって来ていたようで自分の近くに寄ってくる。

そのまま何も言われないのに自分の隣に腰掛ける。


「長谷川さん、私も珈琲一つお願いします〜」


朱音はにこやかにそう言うが、頼んだ後、はぁ、と一つ溜息を溢す。


どうした、とは敏夫は言ってやらない。
何も気にせずに煙草に火を付ける。


「煙たいんですけど」


「隣に来るのが悪い」


「ちょっと冷たくありません?」


「優しくする理由がない」


朱音はまた溜息をこぼして何も言わずに頬杖をつく。


「話、聞いてくれません?」


敏夫はまた何も言わない。
何も言わない敏夫を朱音は睨めつけるが、どこ吹く風だ。

これは拒絶ではなく、許可の意と勝手に捉えて朱音は話し出す。


「室井さんにこっ酷く振られました」


「はぁ?」


「あなたのアドバイスに従ってアピールしたつもりがドン引きされました」


敏夫の方は何と言ったか覚えていない。
思い出すように口に加えていた煙草を手に持ち直すが思い出せずに眉を下げる。


「図書館に現れるって言ってたので図書館に毎日通ったら室井さんはもう来なくなりました」


「気のせい、じゃないのか」


「いえ。もう1ヶ月見てません」


「1ヶ月通ったのか…」


敏夫が引いた目で朱音を見る。


「先生が言ったんでしょ!
室井さんは押しに弱い、図書館に必ず現れるからって!」


朱音が叫ぶようにそう言う。


敏夫は呆れたように押し黙る。
朱音は長い溜息を吐いていた。


「まぁ、なんだ。残念だったな」


「まだ終わってません」


「いや、もう諦めたらどうだ」


ストーカー紛いなことをされれば静信だって恐怖だったろう。
しかもそんなアドバイスは絶対しない。
限度がある。


「だって、好きなんです」


「どこが」


「顔も好き、佇まいも好き、雰囲気がよくて姿勢がよくてシュッとしてて、優しくて、
すごくタイプなんです」



長い溜息を朱音は吐いていた。
顔や雰囲気は悪くない女なのに、どうにも残念感が漂っている。


「静信なんかやめて他の男に目を向けたらどうだ」


「えっ、それって長谷川さんとかですか?」


突然長谷川さんに話が振られて長谷川さんは驚いている。勘弁してくれ、という風情だ。
それもそうだろう。

いつもこうしてクレオールでダラダラ話し込んで、こんな話ばかりしているから、危なっかしい女だということはよく分かっているだろうから。


長谷川さんが朱音の前に珈琲を置くと朱音は嬉しそうに受け取って礼を言う。


「いい匂い」


朱音はそう言って一通り匂いを楽しんでから珈琲を一口飲む。

こうしてればやっぱりいい女なのにな、と敏夫は思う。



「それか、先生も男の人でしたね〜そういえば」



朱音は思い出したように楽しそうにそう言った。
敏夫は頭を振る。


「いや、ないだろう、それは」


「まぁ、不倫になっちゃいますからねぇ、この村の若先生に手を出したら私の方が村八分にされてしまいそうです」


朱音はそう頷きながら言う。
こわいこわい、と言いながら。


「でも、先生が離婚したらアリですね。
よく見ると顔も悪くないし医師ってステータスは悪くないし…
まぁ無精髭はなんとかした方がいいかも…」


朱音がマジマジと敏夫を上から下まで見やる。

敏夫は居心地悪く肩を震わせる。



「先生が離婚したら1番に教えてください。
私なら先生の子どもをすぐにでも生んであげられます」



長谷川さんが、それならそれでいいかもしれないな、なんて呟く。
村事情を考えれば、確かに自分は後継を望まれている身だ。
しかし妻は家にはほとんど帰らない。
その事情を思えば敏夫は苦笑を溢すしかない。



「でもストーカー女はごめんだな」


「すぐに相手してくれればストーカーになんてなりませんー」


朱音は拗ねたように言って珈琲を口に含む。



「まぁ話ぐらい聞いてやるから」



「私、冗談で言ってるんじゃないですからね」


朱音はちらとこちらに視線を寄越して意味深に微笑む。

敏夫はゾクリと何度目かの肩を震わせる。



それを知ってか知らずか朱音は声に出して笑っていた。
待ってますからーなんて語尾をふわふわ伸ばして冗談めかして笑う。

全く何を考えているのか分からないと敏夫もふと笑う。


そんな昼下がり。


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