Tatsumi Dream
□werewalf and human
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夜が明けて朝になっても辰巳は本当にやっては来なかった。
代わりにすっかり日が登った適当な時間に着物姿の女性が現れた。
麗奈にははっきりと時間は分からないでいた。
「あたしは辰巳さんみたいに料理得意じゃないからね。言っとくけど」
「い、いえ。すみません…
あの、辰巳さんは?」
「当分来ないからって」
「どうして」
「飽きたんじゃない?」
「・・・・・・」
「冗談だって。手が空いたら来るって言ってたわよ。
…はぁ、にしても、なんだってあたしがこんなこと」
その人は薄い生地で淡いピンク色の浴衣を渡してくれる。
麗奈はそのままそれを羽織って適当に胸元を絞めた。
「服ももらってなかったんだねぇ。
まぁ、そういう役割なんだろうけど。
…あとは逃げられないようにか。
困ることもあっただろうに」
「うーん、そうですね…」
「にしても何が良かったのか、全く…」
その人は呆れたように息を吐いていた。
そのまま食事の用意をしてくれてさっさとどこかに行ってしまう。
麗奈は帯を締めて浴衣を着直す。
もうこのままの生活が続いていたから慣れてしまっていたが、でも何かを身に纏っていた方が落ち着くのは確かだ。
麗奈は出された食事に手を付ける。
「…美味しくない」
食べられないことはない。
屍鬼になると味覚など変質してしまうのかもしれない。
人狼なら食事はできるようだが、辰巳も人の食事を美味しいと感じていなかったのかもしれない。
それはとても虚しいことだ。
その日はとうとう辰巳が顔を出すことなく夜を迎えてしまった。
本も全部読んでしまったから退屈でしかない。
そして余計なことを考えてしまうようになる。
尾崎医院ももう奪われてしまう。
スタッフもどんどん減っていっているのかもしれない。
若御院は先生の味方にはならない。
そして自分もここにいる。
村の現場はもうどうなっているのか分からない。
沙子は順調だという風な感じで言っていたような気がする。
それならば、皆逃げなければ死に絶える。
尾崎医院の人間も皆、そうだ。
自分は裏切り者だ。
こうして人としてのうのうと生きている。
生きててはいけないような気がした。
でも遅かれ早かれたぶん自分も死ぬ。
先生もたぶん殺される。
あってはならないことと思う。
それでも自分に何が出来るんだろう。
屍鬼の殺害、人狼の殺害はきっと殊更に残酷なものになると思う。
そもそも可能なのだろうか。
治癒能力が異常に高い。
敵わないのではないかと思う。
辰巳を間近で見ていると。
そんな風に考えながら、麗奈は眠りに落ちていく。
眠りの中は現実とは違う。
このまま目覚めなければ苦しいことも辛いこともなくなる。
この愛おしさも忘れることができる。
起きて生きているから苦しいのだ。
このまま目覚めなければ、いいのに。
そういう救済方法しか思いつかない自分が嫌いだ。
でもそれ以上にあの人を求めている。
知りたくなった。
今起こっていることの全てを。
いつのまにか眠っていて目が覚めた頃には夜がどっぷり更けていた。
眠ると更に時間が分からなくなる。
ここに来てから何日経ったのかも分からない。
丸一日会えないだけでどうしようもなく切なくなる。
それもこんな生活だからだろうと思う。
することがあれば気も紛れたはずだ。
誰かに依存していたくはないのに、それでも今の自分にはあの人しかない。
こうやって閉じ込められて自由を奪われても尚も乞い求めるのは自分でも不思議に思う。
そのときドアを叩く音が響いて麗奈は億劫そうに扉の方を見る。
そして仕方なく体を起こした。
辰巳ではないのが分かればどうでも良いように思えた。
彼はノックはしない。
暫くして顔を出したのはいつか見たことのある人だった。
麗奈は不思議そうにその顔をじっと見つめる。
「たまには人間と話をしたくなってね」
「……ということは、人間なんですか?」
「そうだ、わたしは人間だよ」
この人は確か桐敷正志郎だ。
自分は外で見かけたことはないが、村で目撃したことがある人もいたはず。そういう噂話を耳にした。
本来この屋敷の主人のはずだ。
その人は椅子をベッドの近くに置いて座った。
麗奈も居住まいを正して仕方なくベッドに座り直す。
「どうして私に構うんですか…」
辰巳ではなく。
別の人物がやって来る。それはどうしてなのか、分からない。
自分は未だ人間のままで今は殺されるような気配もない。
それは不都合なのではないか、と思う。
和服姿の女性もこの人も自分に悪意も殺意も向けることはなく、ただ淡々としているように見える。
「辰巳が気を許しているからじゃないかな」
正志郎は少し考えるようにそう言っていた。
麗奈は目を伏せる。
訝るような気持ちでいた。
「気を許す、とは違う気がします。
そうだったらこうして閉じ込めないでしょう。
………辰巳さんは、
いつ来てくれるんですか。
この村の災厄は、いつ終わるんですか」
麗奈は顔を上げて正志郎を見る。
この災厄が終わらなければ、良くも悪くも自由はなくあの人に会うことも出来ない。
そして終わったとして果たして自分はあの人の傍にいられるのか。
考えれば考えるほど疑問しかない。
「そんなに遠い未来じゃないと思う。辰巳ももう直ぐ来られるようになるだろう。
今は葬儀社やクリニックが出来て昼間も忙しいんだ。
昼間に堂々と動ける者がそんなにいないからね」
なんともリスクの高いことのように思える。
昼間に動けるものがほとんどいない状況なんて。
人狼が稀有な存在ならこの先だってそれは変わらないのだと思う。
「あなたは、
どうして人間なのに、屍鬼に協力するんですか」
「さぁ。
人間より彼らの方が好きだからだろうか。
…わたしは屍鬼になりたいんだ」
正志郎は熱を込めた口調でそう当たり前のように言っていた。
そうやってはっきり言えることが麗奈には堪らなく不思議で仕方なかった。
人間でここまで言えてしまう人がいるのだろうか。
「だったら、人のまま協力するのはどうしてなんです」
「たぶんわたしは起き上がれない。起き上がる確率はほぼ0%と言われたんだ。
両親は起き上がらなかった」
「……まさか、親を犠牲にしたんですか」
非難を含んでいることが分かって、正志郎は苦笑を零して麗奈は微かに顔を顰めた。
「そういうことになるね。
君だって村が犠牲になると分かって望んでここにいるんだろう」
そんな風に言われれば否定のしようもなかった。
「……そうですね」
正志郎は頷きながら口元に笑みを湛えていた。
「辰巳は君を気に入っているようだ。
沙子も君に興味があるようだった。
豪胆だろう、彼女は。頭もいい。
君は人間なのに人狼の傍にいたいと望んでいるんだろう。
わたしと一緒だと思った。屍鬼に恋をしている。
屍鬼を否定できない」
「・・・・・・・・・・・・」
「まぁ、わたしには葛藤はない。起き上がれないことは残念だが。
君は人と屍鬼の狭間で苦しんでいる。
そのまま手放せないでいる。
屍鬼を否定もできず、辰巳のそばを離れられない。
そのことに苦しんでいる。
沙子は興味があるようだったよ。君と、辰巳のその関係に」
麗奈は首を振って言葉を漏らす。
「初めは、騙されたことが許せなかったんです。
今までのことはなんだったのか、
人間ではなかったのか、どうして私に近付いたのか、
人を殺していたことも許せなかったと思っていたけど、
でも食事なんだと言われて仕舞えば、否定しきれなかった。
殺さないと生きていけないって。
辰巳さんに死んで欲しくないと思った。辰巳さんの血を見て、死んでしまうと思うと耐えられなかった。
あの人を失うのが怖いと思ったんです…」
あの時の恐怖がまざまざと頭に蘇った。
失いたくない、とそう思う。
でもこんなことがまだ続いていくならきっといつかは喪われてしまうのではないか。
「わたしも千鶴を失いたくない。その気持ちはよく分かる。何より、大事だ、わたしにとって」
同じだと、言うのだろうか。
いつかこの矛盾が溶けてなくなる時が来るのだろうか。
それが分からないから苦しい。
でもただただあの人に会って抱き締めて欲しいと強く願っている。
「そうなんですね。
人なのに人じゃないものを愛している人がいるって分かって、少し良かったです。
………許されないことのように思っていたから。
…お願いです……辰巳さんに、
忙しいんだとは思いますけど、会いたいって伝えてもらえませんか」
正志郎は頷いていた。
麗奈は俯く。
自分は決して屍鬼を受け入れている訳ではないと思う。
確かに否定はしきれないのかもしれない。
そんな単純なものではないのだと思う。
死にたくはない。起き上がりたくもない。
でも辰巳の傍にいたい。
相反しており矛盾を孕んでいる。
いつか破綻するだろう。溶けてなくなることはない。
このままだとしても。このままでは無くなってしまったとしても。
暫くして正志郎は部屋を出ていく。
麗奈はそれを黙って見送った。
そして小さく息を吐く。
このまま災厄が続いて終わったとして、そうしてその後何が残るのだろう、と思った。
分かっているんだろうか。
こんなことは不毛だ、と思う。
いつか終わる。
そんな風に思えて仕方ない。