Tatsumi Dream
□a girl
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麗奈は夜中に目を覚ましてそのまま寝付けずに体を起こして部屋の明かりをつけた。
ベッド上で背後に枕を並べて背凭れにしていた。
辰巳が持ってきてくれていた本に手を伸ばして表紙を眺める。
室井静信と書いてある。
この村にある寺の僧侶の名だ。
そんなに有名だっただろうか、こんなところにあるのは偶然だろうか、と思いながら表紙を開く。
自分も彼の本を持っている。エッセイを読んだこともある。
たまたま彼の著作が好きな人がいても確かにおかしくない。
ゆっくり開くと本の内側には作者のサインがしてあって、麗奈は驚いてじっと見つめてしまう。
サインをする機会なんてあるのだろうか。
そう不思議には思いながらも、しかしそれだけだった。
自分だってサインを貰ったことがある。
それでも自分は面と向かってサインをお願いした。
なんとなく疑問に思うことはあるが、どうてしもあまりうまく考えられない。
そこには丁寧な文字でフルネームで名前が書いてあるだけ。
サインには慣れている様子はない。
自分がもらったサインと変わらないように感じた。
不思議だ、と思う。
でもたまたま偶然この村に住む僧侶のサインがある本がこの家にあって、辰巳がそれを何とは無しに暇潰しのために自分に持ってきただけ。
そんなこともあるんだろう、と勝手に納得するしかなかった。
麗奈は表紙とサインをもう一度見たあと、そのままペラリとページを繰る。
室井静信著の本やエッセイは尾崎医院にもいくつか置いてあったはずだ。
尾崎医院の医者の嫌がらせだろう。
そのことを思い出してなんとなくくすりと笑みを溢した。
そう思い出したことに対して、自分で驚くほどにその瞬間落胆していた。
思い出した人のことを思うと遣る瀬無い。
どうして自分はここにいるのだろう。
そうして頭を振る。
夜中には辰巳は来ないことを麗奈はよく理解していた。
屍鬼は夜に生きる者だから、今はそういう時間帯だ。
何か役割がある。
辰巳は特別な存在だから昼間も移動できるが普通の屍鬼はそうでもないらしい。
屍鬼は明らかに人狼の劣等種だ。
夜の村を跳梁跋扈する屍鬼。
そうして人を次々と引いていく。
そう簡単に今では想像がついて背筋が震えた。
この一連の死の原因が判然としてしまったから。
真実は殺人者がいたのだ。
この世ならざるものの手によって殺人が行われていた。
疫病ではちっともなかった。
自分は危機に瀕しても戦えなかった。逃げ出すこともできなかった。
そうして今自分はここにいることを選ぶ。
本を閉じて目を瞑って、立てた膝に頬を当てた。
何ができたと言うのだ、自分などに。
そうして考えるのを辞めた。
そうして仕舞えば、楽になれる。
そのとき、しんと静まり返った中に扉を軽くノックする音が響いて、そして何事もなかったように消えた。
どうしてか背筋が粟立つ。
驚いて目を見開いて体を強張らせる。
こんな時間に誰かが来ることは今までなかった。
辰巳ならばノックもなしに部屋に入ってくるはずだから、おそらく辰巳ではない。
麗奈は扉を凝視したまま目を離せなかった。
鍵が掛かっているはず。
開けられるのだろうか、と麗奈はそのまま身動き出来ずに沈黙しているしかなかった。
内側から開ける術もない。
次の瞬間には麗奈はがばりと毛布を被った。
誰か分からないがもしかしたら部屋に入って来れる可能性がある。
この部屋は広いが逃げ出せる場所があるわけではない。
そうしてそのままゆっくりガチャリと鍵が外れる音がして、ドアノブがくるりと廻る。
開けられるのは辰巳だけではなかったようだ。
薄くドアが開いて顔を出したのは見知らぬ女の子だった。
思ったよりも自分が驚いていることが分かった。
まさかこの屋敷で子供が現れるとは思わなかった。
麗奈は目を見開く。
おそらく小学生か中学生くらい。
こんな子どもがこの屋敷にいたのか、と思いつつ、兼正の家には娘として存在している人物がいると聞いていたことを思い出していた。
村の子供ではなさそうだから、恐らくそうだろう。
村の子どもがここに現れるのも問題ではあるが。
そうしてするりと静かな動作で部屋に入ってくる。
扉はそのままパタリと閉じられる。
麗奈は驚いたままで声も出せずにその子供を凝視する。
辰巳以外にこの屋敷で接触を持ったことはない。
この子は一体。
───でも、きっと、おそらくは。
「こんにちは」
表現が合っているかどうか分からないが、鈴の音のような声をした可愛い少女だと思った。
見た目は可憐で大人しそうな子供のように感じた。
「こ、こんにちは…」
大人として挨拶を返さないのも不自然だったので仰反る声をなんとか抑えつつそう発していた。
その子は可愛らしい笑顔をこちらに向けて近付いてくる。
麗奈は警戒するように一瞬体を引かせる。
でも普通ならば警戒するような見た目の相手ではないはずなのに。
自分の中では警戒音が鳴り響いている。
その子はまだにこりと幼気で可愛いらしい笑顔を溢している。
「ごめんなさいね。驚かせるつもりは、なかったの」
「い、いえ、えっと……」
何かを返したいのに上手く言葉が見つからなかった。
「麗奈さん、よね。辰巳からは聞いているわ。そんなに警戒しなくても、私は何もしないわ」
大人びた話し方をする少女だと思った。
違和感しかない。
この子はきっと。
その子はそっとベッドサイドまで近づいて来て、ベッドの上に無造作に置かれていた本を取り上げていた。
「よかった、見つかって」
その本を見てその子は満足そうに微笑んでいた。
室井静信の著作だった。
「辰巳が間違えて持っていったのね。
これ、サイン入りの初版本なの。よかったわ、見つかって」
そう言って安心したように微笑む彼女を見て麗奈は声が出せないでいた。
普通の女の子にどうしても見えてしまう。
でもこの屋敷の中に普通の子供なんてきっと存在しない。
その子はそのままベッドに腰をかけて麗奈を振り返った。
「ごめんなさいね、当然で。大事な本だったからもしかしてと思って」
「い、いえ…」
そんなことしか言葉に出せない自分を情けないと思う。
それでもどうしても驚いたままの状態で収まらない。
「服も貰えないの?
まぁ、脱走しないようにってことなんでしょうけれど、辰巳も酷いことをするわね」
そう言って哀れみを向けてくる彼女。
単なる子供では決してないことがその雰囲気から分かった。
ふと普通の子供のように見えてもその雰囲気はやはり異質なものを纏っているように感じられた。
話の中身は自分の中にどうしても入って来なかった。
その子の名前はなんだっただろうと思うが知りはしない。
村の誰も知らないのではないだろうか。
しかし、兼正に住む住人の苗字ならば聞いたことがある。
「あの、桐敷、さん」
「いいえ。私は厳密には桐敷ではないの。
沙子って言うのよ」
すなこ、と心の中で呟いて麗奈はそのまま頷いていた。
沙子は満足そうに微笑んでいる。
どうして部屋に1人で来るのだろう。
自分は人間だ。そしてきっと彼女は人間じゃない。
その大人びた空気もきっと見た目の年齢とは乖離しているからだ。
そう思うと麗奈は複雑な顔をしていた。
どうしてこんな小さい子供がこんなことになってしまったのだろう。
しかしそれにも違和感があった。
辰巳、と呼び捨てにしている。不可思議な感じがした。
この子は一体、どう言う存在なのか。
「申し訳ないんだけれど、辰巳は暫くここには来られないと思うわ」
「…え…どうしてですか…?」
漸く出た言葉に沙子は笑みを返す。
麗奈はどうしても笑い返すことができないでいた。
「今ね、次々仲間が起き上がってて、手が足りていないの」
「ど、どうして…辰巳さんばかり…いつも疲れているように見えて…」
「そうね、でも、昼間も夜も動ける人材が不足してるから仕方ないのよ、
あなたもそのまま人間のままでいたいなら、手伝って欲しいくらいだけど、無理よね。
村で顔を知られてしまっているし、きっと人間のままじゃやりにくいわよね。
辰巳もまだ手に掛けるつもりはないようだし。残念だけれど」
ふわりと笑みを溢すとそんな悪魔みたいな存在とは違って見える。
見た目だけなら人と変わらない。
でもきっと沙子は屍鬼で、そして辰巳よりも立場が上に違いない。
そう言うおかしな関係性が存在しているんだろう。
人狼は屍鬼に付き従う。
初めから使用人と言っていたのは強ち間違いではなさそうだ。
麗奈は顔を俯かせる。