Tatsumi Dream

□relationship
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早朝。
尾崎医院を後にして若御院と並んで歩いていた。


「若御院、送ってくださらなくても平気です。
一人で帰れます」


「それは分かってるんだけど…顔色があまりよくないよ」


「別に何でもないですよ…」


本当に何もない。
ただ動悸がするだけ。

ドキドキとこの胸は何かを訴えたがる。
どうしてこうも調子が合わないのだろう。

自身で何かに気が付いている。
でも認めたくはない。それだけなのか。


「…うん。
でも僕も麗奈さんと話したかったんだ」


「……何、ですか?」


不思議だった。

若御院がどうして私に話などがあるのか分からない。
そんなに気遣ってもらう謂れなどないのに。

話の内容なんて大方予想はつくから。


「…敏夫のことだけどね。まぁ分かってるとは思うんだけど」


「………はい」


「君を憎く思ってるわけじゃないんだ」


「…はい。分かってる、と思います。それは」


「そうだね」


「でも…どうしてですか?
昨日何があったんですか?どうして何も教えてくれないんですか?何か言ってくれても…」


「それは、敏夫がいつか言うと思うよ。まだ考えてるだけなんだと思う。
そのことに関しては敏夫に任せたいと思うが…でも、君は聡い。僕はそう思う。
君は極めて近いところに立っていた。
隠しても意味などないと思う。
いずれ自分で気が付いてしまう」


「………そんなことは、ないと思います。
私がもっと賢かったらこんなことにはなっていないと思います」


誰かに何かを言われなくても何でも自分一人で全てが分かればこうして誰かの手を煩わせることなどなかった。


分からないことで悩むこともなかった。
きっと先生のことももっと理解できる。

村のことも私が何とかできていた。

もっと自分がしっかりしていれば。


総じてこんなことにはならなかった。


「…自分を責めるのは少し違うと思うよ、麗奈さん。
敏夫も君にそうしてほしいわけじゃない」


若御院はよく人の感情に気が付く人だと思う。
少し複雑にすら思う。

今はそこまで敏感に感じ取って欲しい訳ではない。

でもこの人には無視できないことなのかもしれない。
理性的というよりもやはり理想的すぎるのだと思う。


「………はい。でも、それなら、どうして?」


それでも答えがほしいとそう思う。

先生がどうしてああなのか。
理由が分からないから、それが辛い。


「……君が敏夫をそこまで慕うからだよ。
敏夫にはそれをどうしていいのか分からない。
君の敏夫への感情は深いものだと思う」


麗奈には静信が何と言いたいのかが分からなかった。

どういう意味なのか分からない。

確かに自分は慕ってはいる。
それは自分自身よく理解する。


「君は敏夫が好きなんだろう。
……麗奈さん」


「……どういう…意味ですか…?」


「そういう意味だよ。
ほとんど恋愛感情だ。違うかい?」


はっとして目を見開く。

真意を知りたくて若御院の顔をじっと見つめてしまう。

そしてその場に立ち止まる。
若御院も立ち止まりじっと見下ろしてくるし、私も目を逸らさなかった。
逸らすことができなかった。


「……恋愛感情……ですか?私が、先生に?」


「…そう。君が、だよ」


突然のことに笑ってしまいそうになっていた。
でも笑えなかった。

それは真実味を帯びているから。
どこまでも、深く深く閉ざされて。

それでも確かに自らでそう理解する。


「…そんなことは、ありませんよ、若御院」


若御院は一度首を振る。


「本当に、そうだろうか?
…別にそのままの恋、ということを言いたいわけではないんだ。
君がどれだけ敏夫を好きでも叶うことはないんだから」


叶うことのない。
その言葉にどこかどきりとしていた。


手をぎゅうと握り締める。
それも勿論理解している。


「叶わないから君は叶えないことにした。
でも、それでも感情は残る。
それが今の状態なんじゃないのかな。
敏夫には恭子さんがいるから」


「………私は…」


例えば先生に奥さんがいなければ、どうだったか。
そういうことを考えたことがあった。
確かにそういうことはあったのだ。


ああそうか。
と妙に納得してしまうほどだった。

自分がもし不倫などを気にしない人間であったのなら、そのまま先生のことを男の人として慕っていたのかもしれない。

でも実際はそうではない。
でも、もしそうなら。

先生を人としてや医者として、など曖昧な理由などではなく、確かに恋愛感情として。

他者にそうはっきりと言明されてしまえば否定しきれない。

先生をよく知る若御院になら尚更。
こんな風に決めつけるように言われてしまえば、もう。


私は俯いていた。
気が付いていた事実だからだと思う。


「敏夫が結婚していなければ、君は…」


「…はい。そうですね」


自分でも意外なほどにきっぱりとそう言い切っていた。

そしてそっと顔を上げて若御院の目を見返す。
この人の話し方はどこまでももの静かで淡々としている。
だから少し怖い。
感情をここまで見せることはないなんて。
言葉の調子も遣い方も、この人からは今感情というものが少しも読めない。

僧侶らしいと言えばらしいのかもしれないが、今だけは感情が読めなくて複雑に思う。
こんな感情を確かに秘めている私を若御院には軽蔑されていてもおかしくはないし、この場合同情を受けてもおかしくはないと思う。

それが少し怖いと思った。
柔らかな態度であることは変わらないのに。


「…いや、麗奈さん。違う。
責めたいわけではないんだ。
申し訳ない。君のその想いは素直なものであって少しもおかしくはない。
人の感情は複雑なものだし、否定すべきものではない。
君が誰を慕おうとそれがいけないことではないと思う。
君がそのことで誰かを傷付けたわけではないし、君自身複雑なんだろうと思う。
そう意識的であったとも思えない。
ただ始まりは謝意なのだろうから。
僕は君のその感情を極めて自然なことだと思う」


「……でも、見透かされてしまうんですね。
人の想いをこうして暴くなんて…
…さすがです、若御院」


誰にこうして気付かれたとしても、若御院でなければ自分はとぼけていたのではないかと思う。
この感情すら自分でも些細なことであって、そう心に留めてしまうようなことではなかったはずなのに。

こんなことがなければ通り過ぎてしまう感情に過ぎなかった。

だから若御院でなければ私はそのまま目を向けずにいた。

というよりもこの人だけには嘘を付けない気がしていた。
意味がない。


隠せない。
何もかも暴かれてしまいそう。

それが少し辛い。

深く心の奥底に閉ざしていたものまでも。


「…済まない」


若御院は謝罪の言葉を口にする。

私は首を振る。

若御院からの謝罪を否定する。
若御院にそんなことを言わせたいわけではなかった。
でも私は暗い表情をしているのだろうと自分で分かっていた。

でもどうすることもできないでいた。

まるで先生への思いをこうしてはっきりと肯定することは今のこの想いを否定するかのようだったから。

そんなはずはないのに。
こんなにもあの人のことが大好きなのに。

でも歪みを感じて止まないのも真実だった。
先生がもし本当に結婚をしていなければ。

私は想いに絆され流されるまま、まるで相手のことを自分への慰めか何かのように利用していたのか。
そんな想いに駆られて悲しくなっていた。

好きなはずだ。好きなのだから。

会えなくなると、寂しくなるほどに、好きだ。


「………麗奈さん、やっぱり君は敏夫の言うことを聞くべきなのかもしれない」


「え…?」


「逃げられるうちに逃げておくべきなのかもしれない。
それは敏夫の思いでもあるからね。
それでいけないはずもない。
状況を考えても、それはそうなんだろうと僕も思う」


「それだけは、受け入れられないと思います」


「……そう。確かに君は強情なんだろう。
でも確かに真実を知る前に選択もできないと思う。
僕もそれは分かる」


「若御院、違います。選択なんて関係ありません。
私一人が逃げるわけにはいかないんです」


「…君はこの村の人間ではないのに」


「若御院?」


若御院は微かに微笑む。

どこか儚い表情だった。
でも若御院が何を思うのかが分からなかった。
若御院の立場はもっともっと、自分が思う以上に複雑なものだったのに。

それをそのときの自分ははっきりと了解していなかったのかもしれなかった。


「若御院」


「僕が君の立場だったら、どうしていたかな…とそう思った」


「若御院でも逃げなかったと思いますよ、そんなの…」


若御院は何も言わなかった。

否定も肯定もできない。
そんな様子が意外だった。

先生は村を護りたがる。
立場を同じくする若御院もそう思うのではないのか。
たとえ今の立場をなくしていたのだとしても、それはそうなのではないのかと感じていた。
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