Tatsumi Dream

□proof of the devil
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*****




泣き止んでから、辰巳さんは傍に座ってくれて私の話を聞いてくれていた。


一通りあったことを全て話し終わって、また優しく抱き締めてくれる。

先生に言われたこと、全部。


辰巳さんは黙ったまま全部頷きながら聞いてくれていた。

心は静められていく。

安心感に浸されていく。

本当にこの人には甘えてばっかりだ。
情けない。


「でも…どうして尾崎先生は君に辞めるように言うんだろう?」


「は、い……でも、前にも言われてたといえば言われてたんです。
他の病院に紹介してくれるからって、今日はこのお手紙まで…」


辰巳さんに示すようにテーブルを指差すと、少し皺が付いた封筒を取り上げて少し不思議そうに見つめていた。


「忙しいのに?このタイミングで?」


「はい…やっぱり変ですよね?」


「まぁ…そうだな…でも…じゃあ君はこの村から出るのか?」


「い…嫌ですけど…でも…」


でも仕事がなくなるのなら確かにここにはいられないとは思う。

辰巳さんは慰めるように私の頬をさすって撫でてくれる。
涙を拭うようにしてくれる。


「…それなら、僕のところに来るかい?それも悪くない。
仕事も辞めて、それで、僕のところに」


辰巳さんの言葉は優しい。
思わず頷きそうになるほどの魔力を帯びている。

でも私にもまだ微かであっても確かに残る矜恃があった。
意思はまだ残る。諦めたくなどなかった。


「…………い、やです」


麗奈はそのまま辰巳に対してそう答えてしまっていた。

彼の口元は緩んで弧を描く。


「…君ならそう言うと思った」


辰巳さんは微かに笑って私を抱き込んでくる。

そっと背中を緩やかに撫でられる。


「………全部、お見通しですか」


そう言って麗奈は目を瞑る。
分かってくれる存在が大切過ぎた。


「そうだね。何となく。君はそう簡単には手に入らない」


辰巳さんはおかしそうに笑っているようだった。
その声だけが届く。

小さく体を揺らしているようだった。
酷く安心する。


「………でも本当に先生の方に何かあったんだろうか」


辰巳さんは少し笑うようにしながらも不思議そうにそう疑問を呈していた。


「…さぁ…何かあったのはあったんでしょうけど…
何も言ってくれなくて…
でも、私のこと本当に邪魔なのかもしれないです。
今日だって、節子さんの入院を突然決めて…
確かに夜に死者が多いですから私もそれがいいと思ってたんですよ。
でも明らかに人手は足りてないですし…
でも入院してもらうなら看護師が必要じゃないですか。
それなのにそれすら先生断るから…
分からないんです。
だから今日なんて若御院が病院の方に一緒に詰めてて…」


「………なるほど」


辰巳さんは納得したようにそう言葉を洩らしていた。


「はい。それで…」


話そうとすると遮るように辰巳さんは体を離して見下ろしてくる。
頬を柔らかく撫でられる。


「いや、君が邪魔とかではないんじゃないかな。
たぶん違うと思う。
いつも無理をするから、君は。
だから先生も心配なんだと思うよ」


「…そんなの、無理じゃありませんし…
私がそう望んでるんです」


「だろうな。若先生も分かっていない」


「……はい…先生は…でも…」


私は何と言ってよいのか分からなくて口を閉じていた。

先生の本当のところなんて分からないから。

辰巳さんは柔らかく頬を包んで撫でてくれる。
この人はどこまでも優しくて酷い愛情を与える。


「……いや、悪い、麗奈」


辰巳さんは本当に申し訳なさそうにそう言っていた。


「…え…?」


「本当に悪い。
…用事があるんだ。
今はこれ以上には一緒にいられない」


そっと包まれていた辰巳さんの手のひらは私の頬から離れて頬は外気に冷やされる。


「え?あ、はい。そうなんですか」


少し拍子抜けしてしまう。


「また来るよ。約束する」


「……分、かりました。でも、その用事ってお嬢様の?」


「…そうだよ。君も全部お見通しだな」


「…それは、そうですよ」


分かっている。

この人は度々彼女のことを口にするから。

自分自身で嫉妬だろうな、とそう思った。

詰まらない嫉妬だ。
どれだけ愛を伝えようとも誰かが自分のものになることはきっとないのに。


でも私は辰巳さんに会えたことで少しは落ち着いていた。

用事があったのに辰巳さんは話を聞いてくれたのだと思う。

早く帰るつもりだったのかもしれない。


「悪い。泣いてる君を置いていくのは本当に申し訳ないんだが…」


「いえ。話を聞いてくれただけで随分楽になれました。
ごめんなさい、長いこと引き止めてしまって」


涙を自ら拭うように頬を擦る。

もう大丈夫だと伝えるように。


「いいや。
また来るよ。僕だけは君の味方だから。安心してもいいよ」


「…はい。とても心強いです」


辰巳さんは最後にもう一度抱き締めてくれるとそのまま出て行ってしまっていた。


私もそのまま余韻に浸ることもなく立ち上がっていた。


このまま引き下がってなんていられない。

そんなの私らしくない。


先生たちは今も病院に詰めているはず。


私だってまだ病院を辞めたわけじゃない。

今すぐ追い出されるわけじゃない。


今だって今からだってできることはあるはず。


麗奈はそう思って頬を擦って涙を拭いながら、キッチンに立っていた。





*****





尾崎医院。



何事も起こらないまま、ただ時間だけが過ぎていく。

だからといって敏夫は起き上がり説を捨てる訳はないし、まだまだ不寝番を諦めるつもりもなかった。
静信がそのことに対して文句を言うつもりもないことをよく分かってもいた。


「敏夫……そういえば麗奈さんは何か言わなかったのか」


静信は呟くように言った。


敏夫は静信に対してよく気が付くヤツだとそう思った。
あまり触れられたくないところだった。


それでも麗奈の気性を思えばこの場にいないのは確かにおかしいだろうか。

それもそうだと思った。

静信に隠したところで尚更意味などない。


「彼女はやっぱりこの村から出すべきだと思ってな。
今日、彼女に村から出るように言った。
新しく病院を紹介してやるからと言ってな」


「………」


静信は何も言わずに視線だけを寄越す。

微かに非難の色を帯びているような気がしていた。


「…何だよ」


「…目に浮かびそうだ。彼女の食い下がる姿が」


「……まぁな」


敏夫は一つ息を吐いていた。

確かに彼女は食い下がった。
そうすることも分かっていたと思う。


「麗奈さんが納得するとはとても思えないな」


「ああ。泣かれるかと思った。まぁ泣かなかったが…
でも相当に恨めしそうだった」


「…酷いな、お前」


「でももし起き上がりなら彼女がいたところで仕方ない。
できることがあるのか?彼女に?
まさか。あり得ないだろう?
手遅れになる前に出すべきだと思った。
彼女ならどこでだってやっていける」


「…そうなんだろうな。
でも、それは彼女には関係ないかもしれない」


「関係ないわけないだろ。
今日はまぁ彼女も引き下がったが、納得したとは確かに俺も思わん。
もし説得し切れていないなら起き上がりのことをきちんと話す。
そうすればできることもないことは分かるはずだろう。
村からも出るはずだ」


「納得するだろうか?起き上がりだと。
…それに相当に特別扱いだ。お前は彼女に対してだけは」


「…否定はしないさ。確かに、特別扱いかもしれない。
どうしてか必要以上には気に掛けていると自分自身そう思う。
それはそうだ。
…でもな、俺自身これ以上特定の人物に入れ込みたくはない」


「…自分の都合か」


「元々いずれはこの村から出す気ではいたんだ。前にも言ったが…」


「……そうだったな。でもあのときは彼女をここから出す気もなくなっていただろう。あのときそれで納得したはずだ」


「状況が変わったんだ。そう言うなよ。
この村から出せば安全だ。
お前はまだ起き上がりだと信用などしていないのかもしれないが…
疫病ならまだ、と思ったが、起き上がりだぞ。
看護師にいてもらったところで関係ないだろう」


「でも麗奈さんが納得するはずないだろう。
どうして自分だけ、と思うはずだ。他にも村外からの者はいるはずなのに」


「だから麗奈に関しては前々から」


敏夫の言に静信は遮るようにする。

静信が口にしたことは到底受け入れられないようなことだった。


「……麗奈さんの、お前への気持ちは恋愛感情に近いものがあると思う」


静信は静かにそう言葉を口にしていた。
そして考え込むようにその目は伏せられる。

反して敏夫は呆気に取られて静信を見やる。


「…はぁ?」


「……苦しんでいた時に支えて助けてもらったんだ。
そうでなくても彼女のお前を見る目は特別だとすぐに分かる。
…恋愛感情を持っても少しもおかしくない」


「……いや、そんなはずはない」


麗奈には多分特別に思うヤツがいるはずだ。

この村か、どこかに。
それが誰だかは分からないが。


まぁ確かにそれを抜きにして考えても、麗奈は自分を慕っているのだろう。
医師としてか、恩人としてか。

その程度だ。


しかし自分自身それを擽ったいとそう感じる。

真っ直ぐなあの感情をどうしていいか分からないのも事実だ。

もう自分に感謝する必要もない。
そうは言っても麗奈は首を横に振るだろう。


どんなに酷くてもここから出せば彼女を縛るものはなくなるし、自由だ。

危険はなくなる。


起き上がりなら、遠ざけるのが一番だ。

そもそもこんなところにずっと彼女を置いておくつもりも更々なかった。


戻すべきだ。

元あるところへ。
彼女には家族もいる。
心配しているはずだ。


自分の裁量だけで彼女を引き止めてはおけない。
確かに特別扱いだ。


他の看護師だってここから離れたがっているかもしれないのに。
それは分からないが。


ここから離れればそれで安全なのだとそう信じていた。

不当解雇であっても、仕事がなくなれば彼女はこの村にいることはできなくなる。

そうすればここから離れるしかない。


新しい土地でまたやり直す。
きっとやり直せる。
大丈夫だ。

ここでも彼女はやっていけた。
度々気になるところはあるにはあるが、問題だとは思えない。

弱さを確かに抱えてはいるのかもしれないが、それでもその弱さを捉え直す強さもある。


大丈夫だと思う。
あの人柄ならどこででもやっていける。

そう信じていた。
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