Tatsumi Dream

□proof of the devil
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節子さんの入院一日目。


節子さんは夕食は済ませてからの入院だったため、病室を準備する以外にすることもなく皆帰宅していた。


麗奈も帰宅してソファに座り込んでいた。

ぼうっとしながら先ほど尾崎医院院長に渡された封筒を見る。
テーブルの上に置かれたそれ。

見ていたくなくて麗奈は目を瞑り手のひらを合わせて組む。
この忙しいときに解雇なんて絶対におかしい。

雪ちゃんや聡ちゃんはこの村の人間じゃない。
私だけ逃げ出すなんて。

二人の方だって私とそう変わらない。
どうして私だけを遠ざけるような真似をするのだろう。

本当に邪魔なのだろうか。

もし迷惑を掛けているのなら先生は言ってくれるはずだと思う。

直すべきところがあるのなら教えてくれるはずだ。

でもそれもないということは、本当にこれ以上の看護師は不要だということなのか。
私はこの村の人間ではない。

切るならば私からだろう。
勿論そうだ。

確かにここに来る前はずっとこの村に居座る気はなかったような気がする。

特に私は医者なんて信用していなかった。

地域医療というものに興味があっただけだった。

ひっそりとしていられる。
その上で人と近く関わっていられる。

でもそれだけだった。


それなのに、ここに来てしまえば、それも変わって行くのが分かった。
確かに初めは周りの目が痛くて痛くて仕方なかった。
狭い村だからそれも当然だと思う。

でも、時が経つに連れて、この村がどういうものかを理解して、そして少しずつ少しずつこの村の人たちの暖かさを知った。

先生が好きだった。
やすよさんや清美さんは本当にいい看護師で、見習うべきところも多くて、律子さんもとても優しくて、雪ちゃんや聡ちゃんは年も近くて、仲良くしてくれた。

村の人たちはまだ私に対して含むところがあるのかもしれないが、大部分の人たちは私に親切にしてくれる。

私からの点滴を断られたり、そんなことも確かに今まであったりはしたが、それは当然なことであって、それも段々と減っていくに連れて、この村の人たちに認められていくような錯覚を覚えていた。


クッションを抱き抱えて顔を埋める。


離れたくない。
離れたくない。


ぎゅうとクッションを握り締めながら、そのままどうすることもできずに眠ってしまっていた。









次に目を覚ましたのは、肩を軽く揺すられていたからだった。

ゆっくりと目を開いて焦点を合わせれば、今一番会いたい人が目に写った。

その姿を捉えた途端に目頭が熱くなっていくのが分かったが、奥歯を噛み締めて耐えた。


「…どうした?泣いていたのか」


「え…?辰巳、さん…?」


「濡れている」


辰巳さんはそっと屈むようにして目尻に触れてくる。
優しく拭うようにして、頬を包まれる。

眠っている間に自分が泣いていたなんて気が付かなかった。


体を起こして辰巳さんを見る。


苦しくなってきて、胸を抑えていた。

呼吸が乱れ心音が乱れそうになる。


辰巳さんは私の背中に腕を回して、抱き寄せてくれた。


酷く安心する。
また縋ってしまう。
それでどうにか胸の鼓動も呼吸も正常に収まる感覚を覚える。

これでは辰巳さんは精神安定剤だ。
それが苦しい。


その暖かな胸に頬を寄せる。
涙が零れてくるのが分かった。
もう涙を抑える気もなかった。

ただ抱き締めてくれている。
どんなに酷くてもこの人は今だけは私を否定したりしない。
それがよく分かって、それがまた辛かった。


宥めるように背中をさすられれば、嗚咽が零れていた。

辰巳さんは更に強く抱き締めてくれて、安心させるように頭を撫でられる。


「ふっ…うっ…辰巳、さんっ…っ…」


辰巳さんの背中に手を回してぎゅうと抱き付く。

涙は辰巳さんの服に零れて染み込んでいく。
辰巳さんはそんなこと全く気にしたりしなかった。


甘えてもどんな我儘を言っても、きっと受け入れてくれる。
そんな勝手なことを頭で思いながら、縋り付いて泣いてしまっていた。


一番晒したくない格好だったと思うのに。
誰にも知られたくない。見られたくない。


でもこの人になら、大丈夫だ、なんて、もう私はどこから間違えていたのかなんて分からなかった。





*****





尾崎医院にて。深夜。

安森節子は回復室に入院させてあった。


敏夫は規則正しい寝息を確認して、回復室を後にして静信と二人で2Fナースステーションに詰めていた。

温めた湯で珈琲を淹れる。
単なる眠気覚ましに過ぎない。


「…なぁ、静信。
連中、病院まで来ると思うか?」


椅子に座ってテーブルに珈琲カップを置く。

静信は否定を表すように首を振っていた。

いや、否定というよりは寧ろ。


「まだ信じたわけじゃないって顔してるぜ」


敏夫は微かに笑うようにしながら静信の顔を見る。


「まぁいい。
いずれはっきりするだろう。
必ずまた襲いに来るだろうからな。
連中から節子さんを守るんだ」


「なぜそう言い切れる」


静信の怪訝そうな表情は少しも変わらなかった。


「いいか?これまでの症例から考えると連中は犠牲者を一気に殺すわけじゃない。
恵ちゃんは8月12日に貧血で倒れ徐々に悪くなって15日に死亡している。
……その間4日」


敏夫は指を四本立てる。


「つまり4回血を吸われたと考えていいだろう」


「4回……」


静信は神妙そうにそう呟く。

考えただけで確かに気分の悪くなるような話だとは思う。

吸血などと普通じゃない。


「人間の全体の血液を4リットルと考えると一般に50%の2リットルが失われると心停止すると言われている。
連中もさすがに2リットルも吸血できないんだろうよ。
おなかいっぱいってな」


敏夫は手にしていた珈琲カップに口を付けていた。
そして口を離して、その珈琲カップをまじまじと見る。
言い表すには丁度いい例だと思った。


「まぁおそらく一回でこいつに二杯程度のお食事なんだろう」


敏夫は静信に珈琲カップを示しながらそう言った。

静信は口元を抑えて顔色を変える。
確かにこれに例えるなんて分かりやすいと言っても心情的にはいいものではないと思う。


「だから単純に考えて初日で貧血。
二日目か三日目で20%以上が失われてショック症状を起こし、だいたい四、五度目の襲撃で心停止に至るってことだな」


「でも…そんなことされたら寝てても起きるだろう?
なぜ犠牲者は何も言わない?」


静信は当然そういう疑問を呈する。

確かに、と敏夫もそう思っていた。


「…そこを指摘されると痛い」


それでもそのことに対しても一定の解釈を与えていた。
別にあり得ないような化け物が存在することを認めてしまえば、答えなんて辻褄さえ合えばなんでも良くなって、それは考えるならば無尽蔵だった。


「ひょっとしたら血を吸う時麻薬のような物質を注入するのかもしれない。
それで連中は犠牲者を操ることができるとしたらどうだ?
村の外に通勤するヤツらを辞職させることも辻褄が合う」


そう。それしかありえない。

それが曖昧でも化け物がいる、という解だけがあるのならそれでよかった。

化け物がありなら、それもありだろう。


「…確かに」


静信も頷くしかないようだった。

そのことに対してはもう論理的解釈は与えられそうもないと静信も理解するしかなかった。

そもそも化け物、ということ自体が常軌を逸しているのだから。


「古典的な吸血鬼ものにそういう話があるよ。
襲われた者は吸血鬼の意のままになるんだ。
呼ばれれば窓辺に向かって血を吸われに行ったり、身を守るためにベッドの脇に置かれたニンニクを取り去ったり…」


静信は思い出すようにしながら言葉を紡いでいた。

その話が実際に架空であっても存在するならば都合が良い。
敏夫はそう思った。

大部分の者が否定しても、実際はそういうことが伝説であっても存在するのならば、それはかつて本当にあったことなのかもしれないからだ。


「静信。
その手の話は詳しいのか?」


敏夫は静信に確認をするように言う。


「うん…
今ちょうどそういう小説を書いているから…」


静信は目を伏せがちにする。

何かを考えるようにしていた。
そして視線を僅かに上げる。
それでもその瞳はあり得ない世界を見ているかのようにぼやけている。


「…屍鬼という」


静信はそう呟くように小さく声を洩らして、そのまま言葉を切っていた。
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