Tatsumi Dream
□answer
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辰巳さんは言葉通りに毎日のように少しでも家にやってくるようになっていたし、そのときは私の全部を受け入れるようにする。
優しいは優しい。
確かにそれはそうだった。
でも今まで誰からも感じたことのない優しさだった。
複雑だった。
それに甘えてしまう自分が少し怖くなる。
依存ではないのか、と感じてはいたから。
でも辰巳さんといればそれもどうだってよくなる。
それくらいにこの人は優しくて暖かくて、でもたぶんだからこそ、酷い。
気付かせないほどにさりげない。
「辰巳さんはどうしてこんなに優しいんですか」
「君が好きだからだろう。
それだけだよ。
不思議でも何でもない」
「…それが、不思議なんですよ…私じゃ辰巳さんには何もしてあげられないのに…
私じゃなくても、と思うんです。
今まで、もっといい人いたんでしょう?」
「いないよ。いなかった。
君は自分に自信がないんだろうな。
どうしてそこまで、と思うが」
そっと辰巳さんの膝に座って、辰巳さんの胸に耳を付ける。
規則正しい心音に安心してしまう。
それに同調するように私の心音も安定していく。
安心感を覚えていた。
目を瞑ってその音に集中する。
確かに私は自分に自信がないんだろう。
いつか消えてしまいそうに、不安に襲われることがある。
「もっと自信を持ってもいいのかもしれない。
君は本当によくやっていると思うし、大した人間だと思う」
「…そんなこと、ありませんよ」
昼間はこの村のためといい、働く。
でも夜はこの人に甘えている。
甘えてしまう。
疲れてしまっても、そのあと辰巳さんに会ってしまうとこの人になら甘えてもいい、晒してしまっても、いい。
そう思ってしまう。
「私に、何かできませんか?辰巳さんのために」
「…何もいらない。僕の傍にいると言うのなら、それでいい」
その逞しい腕で力強く抱き締めてくれる。
その暖かさに縋る。
この人の死んでいく恐怖に晒された村。
夜もこの人がいるから怖くないのかもしれない。
自分だけは死んだりしない。
そんな風な錯覚を覚える。
この人だって死んでしまったりしない。
私がきっと死なせはしない。
「守ってあげるよ、だから大丈夫。
僕だけは何があろうとも君の味方だよ。何の心配もいらないから」
欲しい言葉だった。
今までずっと、人から欲しくて欲しくて堪らない言葉だった。
私はここにいて、生きていて、誰かに認められて、そうして。
人は誰かの存在を感じられて生きた心地を得るのだと思った。
この村に来て、そして居場所を得て。
そうすればまた私は生きられる。
その上でとても大切な人を得たから、平気だ。
これが真実であるかなど誰にも分からないのに。
でもこの人は嘘をつかない。
そんな風に思ってしまう。
本当なら、こんなことを言ってもらう筋合いもなければ義理もないのではないか。
こんなことを言ってのけてしまう人もそうそういない。
この人は特別だった。
「辰巳さんが、好きです。
好きなんです」
辰巳さんは答えるように更に強く抱き締めてくれる。
もっと強くなれるまで傍にいてほしいと思った。
きっともっと強くなる。
誰かのこと守ってあげられるくらいに。
そう思いながら目を瞑る。
また一日が終わってしまう。
何もできはしなかったくせに。
この人の腕の中で眠る許可をもらうのだ。
*****
だんだんと外場村も秋めいてくる。
永遠に続くように感じられた暑さも少しづつ、日に日に和らいでいく。
それでも死が止まることはなく寧ろ加速していく。
敏夫にはそんな風に感じられて仕方なかった。
その日、尾崎医院への往診の帰りの道すがら、敏夫は夏野に会っていた。
尾崎医院の手前で夏野が何かを探すかのように尾崎医院の建物を見てその場に立ち止まっていたのだった。
「君は…
確か結城さんのところの息子さんじゃなかったかな」
敏夫は微かに驚いたようにして夏野に声を掛けていた。
こんなところで見かけるなどとは珍しい、とそう思っていた。
以前に病院に来て以来ではないかと思った。
「はい…
ちょっと先生に訊きたいことがあるんです」
夏野は敏夫をじっと見ていた。
夏野は何かを問い掛けるかのようなそんな目をしていた。
少し、内心が何故か騒つくのが敏夫には分かった。
「清水…
清水恵さんのことですが…
先生が診察したんですよね?」
敏夫は頷いてそのまま言葉を紡ぐ。
目を細めて真意を探る。
「診察もしたし死亡診断書を出したのも俺だ」
「それって、あの確かに死んでました?
……その、脳死とかあるでしょう?」
夏野からどこか迷うような言い淀むような感じを覚えて敏夫は怪訝な瞳で夏野を見た。
敏夫には夏野が何を言いたいのかがやはり分からなかった。
ただ妙な感覚だけが募っていく。
どうして今更彼女のことを、と思わないではいられない。
「脳死を死んでいないと言う医者はいても心臓死を死んでいないと言う医者はいないだろうな。
死斑や死後硬直も見られた。
ちょっとでも生きている可能性があるなら家族が止めたって治療するよ」
「じゃあ清水さんが生き返ることは絶対にないんですね?」
「あの状態で生き返ったらゾンビか吸血鬼だよ」
そう自分で言ったとき、どうしてか血の気が引く思いが自らしていた。
自分の言ったことが信じられなかった。
これはただの冗談のはずだ。
それなのに。
どうしてか動揺する自分が確かに存在していた。
頭で考える前の感覚的な解釈が想いの中だけで紡がれていく。
でも答えはすぐには出せない。
でも、どうしてかぞっとするような思いに晒されていた。
積み上げられる今までの違和感や、矛盾が一気に表出していく。
全て今までの常識などが崩壊していく感覚を覚えていた。
「分かりました。
すみません。変なこと聞いて」
「君、何だってそんなことを訊きに来たんだ?」
敏夫の中で妙な思いは消えなかった。
敏夫自身この違和感に答えが欲しかった。
しかしそのまま夏野は走り去ってしまう。
それ以上に声を掛けることはなかった。
ただ立ち止まって、頭に湧いていく今までの感覚や事実を思い返していく。
自然と溢れてくる。
走馬灯のように、次々と。
その中で繋がる事実を当て嵌めていく。
頭の中にある全てをパズルのピースのように繋げて答えを出すのは、意外なほどに早かった。
そしてそれは確信に近いものがあった。
医者のくせに、と確かにそうは思ったが、おそらくこの答えは検証に値すべきことだと感じた。
自分自身脈が早くなり、熱くなっていくのを感じた。
高揚感と、まさか、という疑心が生じる。
それでもそれ以外には考えられない。
ここまで引き摺られ振り回されたのだ。
これで駄目ならそれまでなだけであって、悪くはない答えだと思った。
この現状に当て嵌めるだけならば。
「これは単なる疫病じゃない?
疫病じゃなかったのか?」
それしかない。
初めから、この答えしかなかったのではないのか。
*****
敏夫は尾崎医院に帰り着くとそのまま目にしたものに対して思わず顔を背けたくなった。
いつもの光景のはず。
でも彼女はここにいる。
数年前まではここにいなかった。
それでも、今彼女は笑顔を浮かべて自分に近付いてくる。
「おかえりなさい、先生」
少しも変わらない明るい笑顔。
高揚感は沈められていく。
すぐに彼女をこの村から遠ざければならないのではないか、とそう感じていた。
どうやって。
この強情な彼女を。
「先生?」
「ああ、いや…ただいま、麗奈ちゃん」
「はい」
麗奈は笑顔でいる。
疲れているはずなのに、最近は尚更元気に見えていた。
きっと無理をしているのだろう。
そう思った。
それとも本当に誰か、いい人がいるのだろうか。
「先生、さっそくなのですけど、患者さんがいらしてます」
どこか心配そうなその目を見て、敏夫は苦笑していた。
別に遠ざける手立てがないわけではない。
それにこれは間違えた答えなのかもしれない。
そんな意識もありながら、これ以外にもう答えは見つけられないような気もしていた。
自分にはこれが精一杯の答えだった。
敏夫は思わず麗奈の頭に触れていた。
一度撫でれば、麗奈は驚いた表情をしていた。
「え、先生?」
「ああ、いや。心配しなくてもいい。
俺は大丈夫だ」
「は、い…」
麗奈はそう言って頷きながら、歪んだナースキャップを直していた。
いつもきちんとしている。
どうしてこんな村のために。
やっぱりこの村に彼女は過ぎる存在だと思う。
これが本当に得体の知れない存在によるものなのだとしてもそうではないにしても、彼女はこの村には関係がない。
そう思った。
起き上がりだという、そんな話を彼女にするつもりは毛頭なかった。