Tatsumi Dream
□again
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家に入り、リビングでも辰巳さんは抱き締めてくれていた。
だからそのまま大人しく辰巳さんの胸に収まっていた。
拒否できるはずもなかった。
「酒臭い」
「…そんなに飲んでませんよ…」
それだけを言ってその胸に頬を寄せる。
暑苦しい位でもういい。
存在を感じられるのが幸せだった。
舌の根の乾かぬうちに
この様か。
頭の中でそんな風に言われているように感じていたが、そんな声は当然のように無視をしていた。
「これからは飲みたいのなら家で飲むんだ」
「……嫌です」
そんな風に反抗してみれば、溜め息が返って来る。
でも一人ではやっぱり飲みたくない。
「何かあればどうする気だ」
「こんな村で何があるって言うんです」
ぼうっとしてくる思考回路のままそう答えていた。
本当にこんな平和な村に何があるというのだろう。
「…僕が言うのも何だが、酔って記憶のないまま抱かれた癖に」
「…本当、辰巳さんがそれを言いますか…
それに私は辰巳さん以外に隙を見せることはもうありません」
この人がいるのなら、これ以上の幸せはない。
この村にいられて、そしてこの村で看護師をして、誰かの役に立てて、その上で大切な恋人もいるのなら、それ以上はないと思う。
この村が好きだった、尾崎医院が好きだった、そのスタッフみんなが好きだった、ここに住む自分を受け入れてくれた人皆が大事だった。
そして辰巳さんが好きだった。
でも。
はっと頭の中を揺さぶる。
今はこんなにも死人が多い。
毎日のように誰かの訃報が耳に入る。
今日は誰なのだろう、とそう思いながら。
「そうですよね、人がたくさん亡くなっていますね…」
平和とは言えない。
それなのに今は自分のことばかり。
その上でこの人を責めてばかり。
夜に多い死者。
どうして、こんなことになるのだろう。
辰巳さんから軽く体を離して、そっと見上げれば、目が合う。
「……どうして、来てくれたんですか」
「来て欲しかったんじゃないのか」
「…はい…」
そう。
来て欲しかった。
でも何かあったのではないだろうか。
村での異常は見過ごせない話なのだ。
「何かありましたか、大丈夫ですか、体に異常はありませんか?他の桐敷の方たちは…」
麗奈はそっとその体に触れ直す。
辰巳さんは擽ったそうにして、笑う。
そして私の手を取ってやめさせるように握る。
私は不思議そうに辰巳さんを見上げていた。
「…悪い、少し忙しかっただけだ。
ずっと来たかった。会いたかった。
それなのに漸く来てみれば君はいないし…
心配した。何かあったのかと思った。
でも、よかったよ、一応は何ともなくて」
「本当何があるって言うんですか…」
「…本当に危険だ。飲みたいのならこれからは僕がつき合うから」
辰巳さんはそっと私の頬を緩やかに撫でていてくれる。
それが心地いい。
「…え…本当ですか?辰巳さん」
顔を上げてその瞳を覗き込む。
「夜遅くに帰って来られては敵わない。
毎日一度は来ることにするから」
「あ…ごめんなさい…
でも、浮気なんてしてませんよ?本当に心配することなんて…
辰巳さん以外に、私は…
仕事のことでしたら私、体は丈夫ですし、あれ以来飲み過ぎないようにしてますから…」
「分かっているよ。そんなこと。
そんな心配はしていない」
「じゃあ…」
「会いたかった、と君はそう素直に言えばいい。
僕には本音で話すといいよ」
「……別に来てくれなくてもよかったです」
そうされたのなら、そのまま忙しさに気を紛らわせてこの人のことを忘れて上げたのに。
辰巳さんは笑っていた。
言葉に意味などないのだと実感する。
言葉だけで伝えられることなど今の自分には少なすぎる。
こんな態度で、こんな表情で、こんな声ならば、会いたかった、傍にいて欲しい、と全てが伝わってしまっているに決まっている。
「素直だな、君は」
「辰巳さん…」
酷い人。
本当に酷くて、狡い人。
こんなに放置していたくせに、簡単にまた私の心を手繰り引き寄せてしまう。
本当にこの人の心に私のことが引っかかったりするのだろうか。
確かに心配するようにはしてくれた。
先ほどの得体のしれない感覚をぼうっと思い出す。
何があったのかは自分自身よく分からない。
先ほどの恐怖に近い感覚は今では嘘のように感じていて、全部気のせいであって勘違いだったのではないか。
それに、もしあれが何か危険なことであったのだとしても、辰巳さんが護ってくれるのではないかと、信用などできないこの人のことを思う。
きっと信用させてくれることなんてない気がする。
いつか置いていかれるのではないかと。
憎らしい。
そんな感覚に浸されながらも、どこか仕方ないと思う。
腹を立てても会ってしまってこんな風に優しくされると、信じたくなってしまうのだから。
惚れてしまったのだから後戻りなどきっとできはしないと思った。
「麗奈が好きなんだ、信用してくれて構わない」
信じられない。
でも信じたい。
でも毎日来ると言ったことを約束してくれたのなら、その想いを信じてみようと思う。
でも自分はどこまでも愚かしいことをしている気分にさせられる。
「私も、辰巳さんのこと愛してます」
今はだから、自分の想いが真実だからそれでいい。
想いを無碍にされてしまっても、もう仕方ない。
そんな人に惚れてしまったのだから。
「辰巳さん、今日は傍にいてくれるんでしょう」
「ああ。今日は朝までいられるから」
少しだけ驚いた。
目を丸くする。
朝までいてくれるのか。
そのことが酷く嬉しいと思う。
今日だけは全部忘れてこの人のことだけを考えてもいいだろうか。
辰巳さんに体を預けるようにすれば、優しく口付けが降って来る。
泣きそうになるほどに嬉しかった。
その優しさを嘘ばかりだと感じながらも、それでも縋り付きたくなるような、そんな優しさだった。
ふわりと体が宙を浮くのが分かった。
そのまま運ばれていく。
辰巳さんに全てを預けるつもりだった。
今は記憶も全てある。
なくしたりしない。
酔いも十分に冷めていると思う。
でも頭がふわふわするのはきっと全部辰巳さん自身のせいだと思う。
これからされることが分かるから。
忘れないでおこう。
忘れてしまったことで、余計に何か不安を煽っていくから。
本当に何もかも忘れたくなかった。
ベッドに体を預けられ、すぐにキスをしてくれる。
それに応えながら、服に手を掛けられる。
これからの行為は本当に私にとって初めてに近いことばかりだった。
確かに辰巳さんに愛されたこと。
忘れずにいられたら。
きっと好きなままでいられる。
信じていられる。
以前を何も覚えていないから、全て感じるものは辰巳さんとの初めてのことだった。
*****
早朝、ぼんやりと目が覚める。
その暖かさに寄り添う。
冷房が効きすぎなくらいで、寒さを素肌に感じて身震いすれば、優しく抱き締めてくれる。
「…あ、おはようございます。起こしちゃいましたか」
「いいや、ずっと起きていたよ」
「………そ、そうですか」
寝顔を見られていただろうか、と思うと気恥ずかしさが増す。
夜中のことを全て記憶しているから、もう恥ずかしくて堪らない。
全てを暴かれてしまった。
忘れていない。
あったこと、されたこと全て。
それにそうしてほしくてこの人に抱かれたから、余計にもう気持ちは乱されていく。
でも幸せだった。
満たされる想いが全てを優しく侵食していきながら、それでもこの酷い人に自分は縋ってしまいそうに感じるのが怖かった。
誤魔化すようにその胸に頬を寄せていた。
辰巳さんの香りに辺りは溢れていく。
もう忘れない。
全部記憶してしまっている。
「麗奈、まさか記憶がないなんてことは言わないだろうな?」
辰巳さんはおかしそうに笑いながらそんな風に意地悪なことを言っていた。
確かに以前酔って記憶がないと言ったのは自分だが、今また記憶にないなどとは言わないに決まっているし、辰巳さんもそのことは分かっているはずなのに。
「お、覚えてますから…」
「…そう。それならよかった」
辰巳さんは満足そうにそう言って、逞しいその腕で抱き寄せてくれていた。
温められるその体温が愛しいと思う。
酷くて、優しい人。
愛しくてどうしようもない人。
こんな風にされて、もう離れたくないと思った。
きっと守るから。
この村を巣食う病を解明して。
そうしないといけない。
誰にも死んでほしくない。
こんな風に人が死んでいいはずもないから。
麗奈は辰巳から離れて、体を起こす。
体をシーツで覆い隠しながら。
もう夜も明けている。
体の重さが緩やかに纏わり付く。
辰巳さんも体を起こしてそっと抱き締めてくれる。
触れ合う素肌にどきりとする。
夜には散々、とは思っているが、それでもそのことをまざまざと思い出してしまうから余計にドキドキと胸は高鳴る。
ほうと息を吐く。
気持ちを落ち着けたかったのに少しも収まらない。
「辰巳さん…」
「今日は仕事だろう」
「はい」
「残念だな、本当に。
心臓の音がすごいことになっている」
辰巳さんはそんな風に言って、からかうように笑いながら力を籠めて抱き締めてくれる。
私はそのまま緩く目を閉じる。
恥ずかしくなる。
この音が全部聞こえているなんて。
確かに自分はおかしいくらいにドキドキしている。
夜のことをやっぱり頭に思い浮かべるから。
でも別に今この人に何か期待してるわけじゃなくて、これは単に不可抗力なのに。
全部辰巳さんが悪い。
悪いのに。
「辰巳さん、朝ご飯何かご用意しますね」
「いや、構わないよ。僕が何か作るから」
そう言って優しく背中を撫でてくれて、そのあとすぐに辰巳さんは私から離れていた。
「でも…」
「いいんだ、君は何もしなくていい。
体が辛いだろうしね」
辰巳さんは躊躇なくベッドから降りる。
小さくベッドは揺れる。
隠されることもないその裸体。
辰巳さんは惜しげもなく目の前に全てを晒して、私は恥ずかしくなって目を逸らす。
綺麗な体だ。
触れれば硬い筋肉を感じる。
私はこの人に。
そう思うと胸が締め付けられる。
落ち着けるようにそっと息を吐く。
どうして構ってくれるのか、どうして、こんなにも。
愛されたという感覚に支配されている。
でも思うよりも酷い愛情である気がした。
やっぱり、とそう思う。
今日もまた来てくれるのか、分からない。
ぼんやりと視線を落としながら、考え込む。
そのとき再びベッドが小さく揺れるのが分かって、辰巳さんがベッドに乗り上げてきて、額にキスをしてくれる。
もう既に衣服を着ていて、少し安心した。
「もう少ししたらベッドから出ておいで。
先に風呂にしてもいいけど。
一緒に入ろうか?」
「………結構です」
冷静を装ってそう返せば、辰巳さんは微かに笑うようにしながら、頭をくしゃりと撫でてくれていた。
もうどうしようもないな、と自ら感じてしまって、私までそのまま吊られるように笑ってしまっていた。