Tatsumi Dream

□premonition
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この日、麗奈は仕事終わりにドライブインちぐさに一人来ていた。

店のドアを押し開く。
店の切り盛りをしている店主の加奈美さんが驚いたように私を見て、私は小さく苦笑してしまう。


「どうも、お久しぶりです」


「どうしたの、麗奈ちゃん。
本当久々じゃない」


「…はい。ずっと来たかったんですけど」


そう話しながら店の中に入ってカウンターに近付く。

客はいない。
そこで気が付く。
今日はまずかったかもしれない。


「あの、もうお店閉めるつもりでした?」


「いや、いいわよ、別に。客が来ないなら閉めるけど、麗奈ちゃんだってお客さんでしょ。
付けで飲んでく客よりよっぽどいいわよ、歓迎するわ、座って」


そう機嫌良く加奈美さんは声を掛けてくれてカウンターに勧めてくれる。

申し訳ないと思いながらカウンターの椅子に腰掛ける。

その瞬間に深く溜め息を吐いていた。

すると加奈美さんは驚いたようにしてグラスを手にしていた。

しまったと思うがどうしてか気が抜けてしまっていた。


「珍しいわね、いつも麗奈ちゃん元気なのに」


「本当すみません、もう何だか飲みたい気分で…
でも明日も仕事ですし、あんまり飲めないし、でもここなら、と思って…
この時間になるともう商店街でお酒も買えないし」


それに誰かに傍にいてほしかった。
自分は誰かに話を聞いて欲しいのだと思う。


「そうなの」


麗奈は一つ頷いて深く息を吐いていた。


村の状況は少しもよくはならない。

人は相変わらず死んでいく。

止まるところを知らない。
本当にこの村を死滅させてしまうんじゃないかというくらいに。

そんなはずはないと首を振る。
加奈美さんがいれてくれたビールのジョッキに口を付ける。


「……本当疲れてるみたいね」


「ええ、まぁ…」


「仕事大変そうねぇ…」


加奈美さんもグラスを用意して、口を付けていた。
焼酎なんじゃないかと思った。


加奈美さんはお酒も強い。


「最近死人が多いわよね」


「……そうですね、この暑さですから」


加奈美さんの探るような目付きには気が付いていた。


「ふぅん…」


加奈美さんの声色は納得した風では少しもなくて申し訳なくなる。

こんなの誤魔化しても同じだし、加奈美さんになら、とそう思い始める。
一人パニックになって誰かれ構わず巻き込んでしまう人ではない。

自分よりもずっと大人な女性だ。


「…いえ…すみません、加奈美さん。
私からは今のところ何も言えないんです。
村のことですから先生の判断を必要とすることですし…
でも、これだけは。
…もしどこか不調があればどんな症状であっても軽くは見ずにすぐに病院を受診してくださいね。
今村で死人が多いことは、確かに事実ですから」


オブラートに包みながらそれだけを口にする。


「…そうなの。
…伝染病って言ってる人もいるらしいんだけど」


「ええ、そうですね、もしそうだと確かに断言できるならそう言うんですけどね…
どうにもまだ判断が付かないんです。
でも本当に気を付けてくださいね。
それに越したことはありませんから…」


「何だか大変なことになってるみたいね、本当」


「まぁ…否定はし切れませんがまだ分かりません。
…ところで妙さんはお元気でしょうか?」


「ああ、ピンピンしてるわよ、気にしないで。大丈夫よ、私たちは」


「そうですか、それなら…
でも、本当にお気を付けて」


加奈美さんは私の言葉にも苦笑していた。
やっぱりこんなことを聞いてくるにしても、本気にしているわけではないのか。
たぶん自分のこととして捉えるのは難しい。

それはよく分かる。

こんなに患者と接している自分でもどうしてまさかそんなわけの分からない病に自分が罹るなどあり得ない、とそう思っている気がするのも確かだった。


それでもどこかこの病には違和感があるからだとは思う。
それも大いにある。

麗奈はジョッキを持ち上げてビールをぐいと呷る。


「でもここまで飲みに来るって珍しいわね、遠いでしょ」


「……はい、まぁ…」


麗奈は苦笑する。
何となくあれ以来大川酒店には顔を出していない。

おそらくあのとき醜態を晒したはずなのだから挨拶にでも行くべきだったのかもしれないが、行きにくいのと、仕事が忙しいのとでずるずるとしてしまって、今日も結局こちらの方に来てしまっていた。

確かに国道まで出るとなると遠いといえば遠い。
それはそうなのだが。


「大川さんとこの方が近いでしょ?明日も仕事なのに、大丈夫?」


「……あーえっと……はい…飲み過ぎそうになったら止めてくださいね、加奈美さん」


「ああ、いいわよ。私も飲みすぎるわけにはいかないしね、見てるわよ。ここで寝られても困るし、ね」


麗奈は曖昧に笑っていた。
やっぱり加奈美さんとなら息抜きになる。

この病の原因も分からない。
先生も疲れている。
医院のスタッフも一杯一杯だろうと思う。

今この時に至っても、麗奈はさっぱり分からない病気の原因を頭を悩ませていた。
どうにかしたいと思う。

ゆっくりしたいと思っているときでさえ頭の中はそのことばかり。

先生も、他のスタッフもそう思っているはず。
どうにかしたい。

でも雁字搦めにされたように前には一向に進めない。

このままではいけない。


「何でも聞くわよ?ここまで来てくれたわけだし」


麗奈は頷いて苦笑しながらビールを更に呷る。
加奈美さんは軽々と焼酎一杯を飲み干してしまう。


「……私、ね…この前大川さんのとこで飲んでたんですよ」


「ふぅん、近いもんね。麗奈ちゃんとこからなら歩いてもそう掛からないでしょ」


「ええ。それで、私そのときそこで一度やらかしてて。それ以来、少し行きにくくて…」


加奈美さんは意外そうに私を見てきた。
困ったように笑うしかない。


「どうしたの?」


「そのときかなり飲んでしまったんですよね、たぶん。
酷い飲み方をして、かなり酔っていたはずなんですよ。
私、そう強いわけじゃないのに…」


「珍しいじゃない。普段は自制して飲んでるんでしょ?」


「……ええ。そのときは、少し羽目を外しすぎました」


「まぁ、別にたまにはいいでしょ。
この村の看護婦さんなんだからさ、それくらい…
これから村の人間はみんな散々世話になるんだから…みんな麗奈ちゃんの人柄についてはよく分かってるでしょうし…」


「ええ…私もずっとこの村にいて、皆さんと関わっていたいんです」


だからこの死の連鎖を何とか絶たなければ。
自分が立ち直れたのは先生や、周りの人たちのお陰なのだから。

自分にできることをするまでだと思う。


「……それで?どうして元気ないの。仕事だけのせいじゃないしょ」


飲み干してしまったジョッキにビールを注いでくれる。

麗奈は礼を言ってそのジョッキを受け取っていた。


「はぁ…ええ…そのとき、実は兼正の方とお酒を飲んだんですよ」


「兼正?それはまた…」


加奈美さんは軽く首を傾けながら少し不思議そうに見てくるのが居心地悪かった。


「…でも、私そのときの記憶ってなくて」


加奈美さんは目を丸くしていた。
それもそうだろうと思う。

自分がまさか何を言うつもりなのか分かるはずもない。


「それで…
……目が覚めたら私、兼正だったんですよ」


「………………は?」


その反応こそ正しいもののように思えてしまう。

麗奈は浅く息を吐いていた。


「私、このこと初めて人に話します」


「…誰にも言わないわよ、心配しなくても。安心していいわよ。
ええ?でも兼正?」


麗奈は一つ頷くしかなかった。
そして一度息を吐く。


「そういうことなんです。
私、兼正の屋敷に連れ込まれてしまったんですよ」


肘を付きながら、視線をビールのジョッキに落とす。

あの人は来ない。
最後に会ってから。

また来る、とそう言っていたのに。

想いが胸中を渦巻いていく。
自分ばかりが。

それを思うと悔しい。
待つなんて自分には向いていなかった。

好きならば傍にいてほしいと思ってしまうのに。


「それ…麗奈ちゃん…」


「好きになってしまったんですよ、私…
実際に関わったのその一回じゃないんです。初めは忘れるべきだと思いました。その一度だけなら。
でも、初めてのそれ以来あの人家に何度か来るようになって…」


「ま、まぁ好きなら別に…
私も一回きりの関係とか若いときにはなかったわけじゃないし、それにつき合ってるんなら…」


「いえ、そんな関係でもないです、たぶん」


「え、遊ばれてるの」


「そうでもなくて…家に来るけど何もしてなくて…
むしろご飯を作ってくれてて。
どうなんでしょうね…どういうつもりなのか分からないんですよ。
意味がわかりません」


「変な人ね…」


「ええ。本当に」


深く息を吐いてビールを飲み干して、ジョッキを置く。

少し窘めるような視線を感じる。
飲み過ぎてはならない。

よく分かっているけれど。


「ねえ…
それって辰巳、とかって人?」


「そう、その人ですよ。偶然そのとき大川さんとこで…
もうなんであんなとこに…」


あんな場所にいさえしなければ、こんなことにはならなかったのに。

会いたい、会いたいと想いだけが募る。


「麗奈ちゃんも、モノ好きね…
まぁ丁寧で腰の低い人だと思ったけど。
ああいうのがタイプだったの?」


「それ胡散臭いですよ。
丁寧で腰の低いなんてたぶん全部嘘です。演技です、きっと。
使用人だからかな…
まぁそれで私を連れ込むのも絶対おかしいんですけど」


「やめた方がいいわよ、それ」


「分かってるんですけど…
私悪い男にハマってしまうタイプなんですかね?」


自重気味に笑ってしまっていた。


「加奈美さん、お酒ください」


「………仕方ないわね…」


加奈美さんはそう言って、ジョッキを下げてしまう。
待っていると甘いお酒を出してくれる。


「リキュールならそう酔わないでしょ」


そう言って珈琲牛乳のような甘いものを出してくれる。
もうなんでもよかった。


「カルーアですか…」


もうなんでもいい。

グラスを持ち上げて、口に含む。
コーヒーリキュールに加えてミルクの甘さが喉を伝う。


「忘れた方がいいわ、麗奈ちゃんならもっといい人いるって」


「そうですよね、もっといい人がいます。
それに私は今とても忙しいんです!
先生の力にはなりたいし…
私は先生の方が好きですよ!」


「それも不味いとは思うけどね…」


「でも恭子さん帰っていらっしゃらないし」


「まぁ…あそこも色々あるんでしょ」


じっと見上げるように加奈美さんを見る。
男女のことは加奈美さんの方がよく分かっているだろうか。

一度結婚していた、とは聞いていたから。


結婚したことのない自分には分からないものがあるには違いない。


「…私、お話聞いてくれる人がいてよかったです…」


本当は誰かに言ってしまってよいことではなかった。
この村にいたいのなら、黙って忘れるべきで。

でも初めこそ自分はそうするつもりだった。

それなのに家まで来るようになったのは向こうで。
だからこんなに好きになってしまった。
手遅れになるくらいに。

忘れたくなんてなかった。
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