Tatsumi Dream
□fatigue
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数日経っても村の状況は全くよくならない。
というより、以前より悪化しているのは目に見えて明らかだった。
これは伝染病だから、それは当然だ。
解決策を施す前からよくなるはずがない。
それでも原因がさっぱり分からないままだった。
若御院は報告があったので今ここにいる。
私もその内容を聞き終わったところだった。
息を吐きそうになり、それを耐えるために敢えて言葉でその思いを吐き出していた。
「…先生、気が立ってるようですね」
「…ああ、そうらしい。それにすら腹立たしいらしいから…それが見ていて辛いね」
若御院が落ち込んだように息を吐いていた。
先生の疲労困憊具合は確かに目に余る。
私も心配だ。
奥さんは本当に帰って来ないのだろうか。
「先生を支えたいんですけど…ね」
「そうだね…」
「若御院だって支えたいですよね?
幼馴染ですもんね、そりゃそうですよね…村のことですし」
ぼうっと肘を付いて、私まで息を吐いてしまった。
若御院は少し驚いたように私を見ていた。
「麗奈さんもお疲れみたいだけど…流石に顔に出てるみたいだ」
「うわ…
本当ですか…気を付けてたつもりだったんですが…
でも、若御院もお疲れのはずですけど、何だかあんまり顔に表れないですね…」
「いや、疲れてないだけかもしれないよ」
「いえ、お疲れだと思います。
通常のお仕事に加えて、執筆の方もお忙しいでしょうし、それにこの件に関しても若御院に掛かる負担は大きいでしょう」
「…そんなことはないんだけどね」
「そんなことはありますよ。
自覚なしが一番不味いんですよ?
ある日急に高熱出したりするんですから…
若御院、私たちは一蓮托生なんですから、体には気を付けてくださいよ?」
「ああ。分かってるよ。
体調には気を付けることにします」
若御院は観念するようにそんな風に言ってくれて、笑ってしまう。
この人はすごく穏やかで、物腰も柔らかい。
そういえば、と結婚していなかったことを思い出す。
どうして結婚していないのか、意外に思う。
若御院なら相手などいくらでもいそうだ。
それなのに、そんな気配も見えない。
実はいるんだろうか。
穏やかな人だけれどどこか読めない人だ。
この人も生活感がない。
村のことには詳しくないけれど、それでも村の重役に当たる人ならば、結婚を急かされたり、子どもを望まれたり、といろいろあるのではないだろうか。
そう思ったが、先生ですらあの状態だ。
それを考えれば村自体はそう煩くはないのかもしれない。
そのとき、ふと傷のことを思い出していた。
この人は若い頃に手首を切ったらしい。
何かの折に耳に挟んでいたことを思い出していた。
そのことを忘れていたが、唐突に思い出していた。
好奇心に駆られてしまうのは悪い癖だ。
見てみたい気がしたが、不躾すぎると思い、考え直して息を吐いた。
それでも頭の中では若御院は確か右利きだったと思い出して呆れてしまっていた。
それでも自殺未遂なんて意外に思う。
この物腰の柔らかな優しそうな人が、なんて信じられない。
もしかしたら単なる噂かもしれないと思いつつ、その噂を聞いた時の状況を思えば、どこか真に迫る思いがする。
その話を聞いたのは村人の間の噂だった。
その噂の仕方は断定的であったし、どこか人の目を憚るような、そんなところがあった。
確かにあまり耳にいい話ではない。
若御院は慕われていると思えるし、副住職としては素晴らしい人だろう。
そう思う。
だからこそそういう事実はタブーだ。
そのとき盗み聞き状態だったから、声を掛けたときは飛び上がるように驚かれてしまっていた。
それを考えても真実味があると思う。
それに、若御院の小説を読んだことがあった。
珍しい作風だが、それでもどこか寺の住職が書いたとなれば何となく頷けてしまう。
小難しい文章が羅列していて、辟易してしまったことは内緒だ。
そういえばミーハーにもサインをもらってしまったのだった。
少し早まった気がする。
あんまり印象がよくない気がする。
若御院からの私の印象が、だ。
それでもこんな風に接してはくれるのだから、とそう思った。
嫌われていなければいい。
人を嫌うようには見えないけれど。
私は思うよりずっと自分が迂闊な人間だと思う。
行動を改めないから、いろいろと問題を起こしてしまい勝ちなのだ。
気を付けなければならないと思う。
辰巳さんとのことも。
最近は顔を見ないままだった。
それが胸に重くのし掛かる。
本気じゃないから。
「若御院、最近はどのような小説を?」
興味があった。
読みにくいとは言いつつ、この人の作品は嫌いではない。
何だかんだで先生に頂いて、全て持っているし、エッセイも読ませてもらっていた。
読みにくいが印象的な文章を書く。
"村は死によって包囲されている"
何となく頭に残るフレーズだった。
それに言い得て妙だ。
ここは土葬であり、加えてその墓はこの村を囲むような位置にある。
それに角卒塔婆はこの村をぐるりと囲む樅を材料に作られている。
死んだ者はこの村を囲む位置に埋葬される。
樅は何だか死の象徴のように思えてしまう。
土葬に関しては、私にはない習慣だから、初めは驚いてしまったものだ。
海外ならそのような埋葬方法も一般的だが、日本の中では珍しい。
それに土葬を少し怖いと思った。
しかし、この土地の人たちは、逆に火葬を恐ろしい、と評した。
意外だった。
価値観のズレを感じた瞬間だった。
話を聞くと、どこか妙に納得してしまうところがあった。
「起き上がりの話を、ね」
若御院がそう言って、すぐにピンときた。
そういう話を聞いたことがある。
この土地に残る昔話だ。
ホラー色の強い話。
くすりと笑みを零せば、若御院は少し困ったようにして私を見下ろしていた。
「あ、馬鹿にしたわけじゃないですよ、確か、土葬とか関係あるな、とそんな風に思っただけですから」
「そんなに慌てて否定しなくても」
逆に馬鹿にしているかのようだったか、と思う。
「ち、違いますってば、若御院。
あの、ほら、起き上がりって、何でしたっけ?」
「そうだね。土葬の習慣のある土地だからこその話なんだろうな」
そう言って話す若御院には厳かな雰囲気がある。
ぞくりと背筋が震えた。
この人がそういう話をするなら意外と迫力がある、そんな風に思った。
線の薄いその佇まいも、色素の薄い肌も、髪も、何もかも。
やはり彼は彼の書く異端者の話通りの、"異端者"なのかもしれない。
だから、手首に傷があっても、それを思えば納得させられる。
文章はその人そのものを表すこともある。
あの文章の書き方ならば、尚更だ。
きっと見事に内面を写し切っているはずだ。
それでもピンと来ないのは、この人の物腰の柔らかさや、言葉の丁寧さや、穏やかさがそれを否定しているような気がするからだろう。
あの文章を書いたのが別の人物だ、と言われても、どこか信じてしまいそうだ。
違うと言われたなら、そう思ってしまう。
そして傷がなければ、異端者とは思えない。
少し線の細い、そんな男の人だ。
それは仮面なのだろう。
きっと、そう。
誰にでもあるはずの暗黒を隠し通すための、仮面だ。
それが怖いと思う。
どうしてか唐突に辰巳さんの顔が浮かんでしまっていた。
私の元にやって来ない人。
それを振り払って、若御院の話に集中することにした。
「起き上がりっていうのは別にそういう化け物的な要素は本当はないんだ」
「そうなんですか?」
「昔で言う、疫病の隠喩なんだよ」
「ああ。聞いたことがある気がします」
「…そう。屍体が墓から起き上がるって聞いたんだろうけど、主にはそういうことなんだよ。
昔は疫病は化け物みたいなもので、得体の知れなくて恐ろしいものだったはずだから、それにこの土地は昔から今に至るまでずっと土葬だったからね、そういう話が残ったんだと思うよ」
「…なるほど。
昔から、疫病とか、あったはずですもんね。
この土地にも…」
昔と違わず。
また今のこの村を襲っている。
起き上がりだ。
ぞくりと背筋が震えた。
今度、若御院に怖い話をしてもらおう、とそんな風に思って、少し怖いと思ったことは忘れるために頭を振る。
「当時流行った疫病っていうのは」
「コレラとかだろうね。ころり、だっけ。当時は」
「…そうですよね」
特にヒントにはならなさそうだった。
コレラなら治る病気だし、症状が一致しない。
衛生面でもコレラが発生するなんて思えない。
頭の中で否定した。
昔と今をごちゃごちゃにしてはならない。
「はぁー…
起き上がりかー…
墓から起き上がるんですね。
何かすごいホラー話ですね」
「今でもその話が残るのは子供を怖がらせるためだよ」
「いつの時代も子供を怖がらせる話はあるものですよね、本当、大人って仕方ないですねぇ…
子供のとき怖い思いをしたはずなのに」
「でも怖い話、好きだったんじゃないのかな、麗奈さんは」
「嫌いじゃないですけど、ね…」
笑みを洩らしていた。
「今でもこの村を苦しめるためになんだか起き上がりが復活しちゃったんですかね、もう…昔とはまた形を変えて…?」
それがまた現代を苦しめる。
病気は突然変異などによって、形を変えていくものだ。
実際にインフルエンザの形は毎年のように変わっていくし、変異によって薬が効かなくなることも必至だ。
ないことではない。
だからこの村で未知の病原体が発生しても、ないことではないのかもしれない。
全くの未知の。
元々の形のない、完全な新種の病原体。
あるかもしれない。
海外にある死の病も、人の入らないような奥地から発生した。
外場村が奥地だとは言わないが、それでもないことでもないのかも。
「やっぱり国に預けるべきかもしれないですねぇ…」
「そうだね。このままでは本当に」
「先生の疲労も見てられないですよ、もう」
「…そうだね。近くで見てる分君は辛いかもしれないね」
「若御院のこともですよ。
この村の要でしょう。
自分のことに少し無頓着すぎません?
本当はお疲れなんでしょ?」
「そうでもないよ。人を救いたくても救えない君たちの方が余程に辛い位置にいる」
そうですか、とぽつりと呟いていた。
確かに救いたくても救えない。
この位置は確かに遣る瀬無い。
患者が次々と死んでいく。
それでも実感が薄くなってしまうのは、医者に掛かる期間が短すぎるからなのか。
短期決戦。
数日で手に負えなくなってしまう。
医者一人ではもう足りなくなる。
尚一層、自分が支えなくては、とそう思っていた。
辰巳さんがいなくても、一人で立てるようにならなくては。
そう思った。