Toshio's ROOM
□first day
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心筋梗塞の疑い、ということで心臓カテーテル検査を受けることになり、カテーテル室出頭まで見届けると朱音はタクシーで尾崎医院に帰着した。
先生が迎えてくれるが、医院の方も人が多く忙しそうだった。
「ご苦労だったな」
「いえ、こちらこそ、ありがとうございました。本当に助かりました。
とりあえずは、カテ室に入るまでは、見届けてきました。
心電図見る限りは心筋梗塞だと思います。
緊急でそのまますぐカテになったので、そのまま治療になっても昼過ぎには終わるだろうって…」
朱音は大きく溜息を吐く。
「全く、朱音ちゃんがいてよかったな、
そうじゃなきゃ、今頃は、」
「まだ、治療終わってませんからね、先生」
油断はできない、と嗜めるように朱音はそう言って、先生は漸くおかしそうにしながらも口を噤む。
「はぁ、
でも、とりあえずは、なんとか」
「とりあえず休憩していて構わないから」
「いえ、働きます、
患者さん、多いみたいですね」
「いや、ありゃ、野次馬だよ」
先生は呆れてそう言って、顎で人だかりになっている待合室を指す。
国広律子が入ってくる。
「おかえりなさい、朱音ちゃん、
お疲れ様。
なんかね、さっき聞きつけた人が次々来てて…」
「えっ…」
「本当にどこで聞き付けてくるんだろうな、あの暇人どもは」
「もう先生ったら」
「状況が聞きたいんだろうが、まぁまだ分からんだろうからな、適当に追い出せ」
夕方になれば、人が漸く引いていく。
実際の患者もそれなりだったが、往診もなく本来なら比較的空いている日だった。
夕方になって医院の方にも患者家族から電話があった。
「カテは無事成功。
渡邊さんは目も覚めてて意識もはっきりしてるらしい」
先生が早口でそんな風に言った。
皆が安堵の溜息を吐くなか、朱音は机の上に突っ伏して顔を伏せて同じように大きく息を吐いた。
よかった、と思いながら。
ここでもし助からなければどうなっていただろう、と想像すれば体が震えそうだった。
皆が仕事を終えて帰る用意をする中、朱音はどうしてか休憩室でぐったりしていた。
「大丈夫か」
先生はおかしそうに笑ってそう言っていた。
朱音も漸く顔を上げて先生を見上げた。
「いえ、こんなことは、初めてだったので」
「救急病院だったら、こんなこと日常茶飯事だろう」
「いや、そこは医者もいますし、他に看護師もいますからね…
一人で対応するって実際のところは、中々ないものです。
看護師ですから、医者の指示あってなんですよね、本当、情けないですけど。
でも、先生がすぐに来てくれて、本当よかった…」
「いや、実際のところほとんど対応したのは朱音ちゃんであって、」
「いえ、本当、先生は私にとってヒーローでした、大袈裟かもしれないですけど」
はぁーーーと長い溜息を吐いて朱音は顔を伏せる。
どうしてか、涙が溢れそう。
安堵と、情けなさと、先生への尊敬と、色々なものがない混ぜになっていく。
まだまだ一緒に仕事をして間もないけれど、自分は心底この医者を尊敬してるんだ、と染み入るほどにそう思った。
それほどに先生がすぐに来てくれたことが心強かった。
「特別ボーナスでも出してやりたいくらいだが」
そんな冗談を言って先生はおかしそうに笑っていて、朱音は少し呆れたように目を瞑る。
今日は今までで一番疲れた、と思いながら。
そして朱音は思いついたように顔を上げた。
先生はぎょっとして、ボーナスは冗談だぞ、みたいな顔をしていて朱音は思わず顔を顰める。
「飲みに、行きませんか」
先生からすぐには返答はない。
「ボーナスなんて、いらないです、
先生からはいい給料貰ってますから。
でも、なんか、今日はめちゃくちゃに疲れたので、飲みに行きたい気分です」
歓迎会以来ここのみんなと飲んではいないし、と呟くように言う。
先生は目を細めて、自分を労うように笑っていた。
「いいぞ、飲みに行くか」
「えっ!いいんですか!」
朱音は突然元気になったように立ち上がる。
「あ、ああ、別に構わんが」
「じゃあ、律子さんとか雪ちゃんは…
あ、帰りましたよね、
電話してみます!」
そうは言ったが、突然だからか誰も掴まらずで、朱音は落ち込んだように椅子に座ってまた突っ伏した。
一人で飲むしかないか、と思いながら、先生の顔を見て言う。
「まあ、仕方ないですね、別の日にしましょうか、残念ですけど。
また今度、絶対奢ってくださいね?」
「俺は別に2人でも構わんが」
「えっ」
「まぁ、それは嫌か」
先生はそんな風に首を傾げながら言っていた。
「いえいえいえまさか!全然!いいです!
2人で!!!」
そう言って、飲みに行ったのが最初の日。
別に初めからそんなことを期待して考えていたわけではない。
この日は本当に気疲れしてしまったから飲みたかっただけだ。
命が助かったことに安心はしたが、運が良かっただけかもしれない。
こういうことがあると、自分はちゃんと看護師なんだ、と実感する。そんな日だった。
ただ今になって思えばそもそもが先生自体に興味がなかったわけではなかった。
それでも人に対する配慮は足りなかったと、そう思う。