Toshio's ROOM

□his home
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ふと目が醒める。

髪を撫でられているのが分かって、斜め上を見やる。


「先生…」


先生は先に起きていてこちらを見ていたようで、気恥ずかしくなり、先生に擦り寄って顔を隠す。
また髪を撫でられて、そして抱き締められる。



「君が俺の前で寝てるのは珍しいな」


「そうですね、いつもの逆ですね」



そう言って顔を上げれば、先生は笑っている。



「何がおかしいんですか」



「いや、かわいいなと思って」



朱音はそう言われて顔を顰める。

頬を撫でられて額に口付けられる。
こそばゆい想いがする。


頬に当てられる手に触れて、朱音は目を伏せる。

暖かい手だと思う。いつまでも触れていたい。
いつまでも傍にいたい。

服は着ていなくて、くっ付けば素肌が触れ合って、それが気持ち良い。



「先生のお母さんは、いつ帰ってくるんですか」



「明日の夕方くらいだから、気にしなくて大丈夫だ」



多分寝ていたのは1,2時間くらいか。
窓から見える外は暗くなっているのが分かる。

真夜中という感じもしない。

それなら、ここで朝までは一緒にいられるわけか、と思う。
そんなに長く一緒にいられることは今までなくて初めてのことだった。

それが堪らなく嬉しいと思う。
何も気にせずに堪能できるのが、幸せに感じられる。


でもきっとこんな日は2度とこないだろう。

そんな風に思う。


やっぱりこんなことはしてはいけなかったと思う。


この部屋にも入ってはいけなかった。

周りを見ても何処を見ても女の気配はない。

家の中にもそんな気配がないなんて、この人に妻がいるのが信じられないような気持ちになる。


本当はそんな人など存在していないのではないか、と思えるくらいに。

先生が指輪をしているのも見たことがない。

好きな人の手に触れてもただただ暖かいだけで、何もない。

良くも悪くも出会った頃から女の気配がなかった。
そうでなければ、きっとこんなことにはならなかった。


いくつも言い訳が思いつく。

妻がいるとしても、この人のそばにいないのが悪いと思う。
結婚をしていても、別居していてここにも普段から帰ってこない。
指輪もさせない。
そんな隙を作るのが悪い。
夫婦関係が破綻しているのかどうかは側から見るだけでははっきりとは分からない。

お互いがそれでいいと思っているなら、きっとそれも夫婦の関係として成り立ってしまう。


それならば、間違っているのは自分の方だ。



この先、どうしたいのか。

どうもしないからまだ続けられるのだと思う。

それにどうしていいかも分からない。

会いたい時に会えない、傍にいたいときに傍にいられない。
それを絶対的に不都合だと言ってしまえるほど子どもじゃない。

それなりの距離感はたぶん必要で、都合の良いときには会えて、後腐れはなくて、それでたぶん問題はない。
今はその状態だ。少し、制限が普通よりは厳しいだけで。

何かが生じれば封じ込めてしまえれば、傷にはならない。

でも、終わりを迎えるとき、心はどうなるんだろう。



「お腹、空きましたね、先生」


「ん、ああそうだな」


朱音はそっと体を起こす。
散らばった服を集めて、身に付ける。

先生は横になったまま、こちらを見ているのが分かる。


「キッチン使わせてもらうのは良くないかなと思って家から何か持って来たんです。
準備してますから、起きてきてくださいね」



そう言って、部屋の電気をつける。
こうこうと部屋が明るく照らし出される。

あんまり物がない部屋だ。



「生活感がない部屋ですね」


たぶん先生以外にはほとんど誰も入らないんだとわかった。
だから、先生以外のなんの気配もない。

服が少し積んであるのと、医学書やらの本がその辺にあるだけ。

それが嬉しいと思うのか、どうなのか複雑な気持ちになる。


やっぱり本当に先生に奥さんなんているのだろうか。


そんな夢想が始まって、笑えてくる。


先生は突然灯された明かりに眩しそうに目を細めている。



「先生って本当に奥さんいるんですか」


「…何言ってるんだ……当たり前だろう」



先生はなんとも言えない複雑そうな顔で答えていて笑ってしまう。

当たり前だと思っているのは貴方だけです、と朱音は思いながらも何も言わずに部屋をあとにする。



暫くすると先生も起きてきて、一緒に食事をしていた。

いつまでこうしていられるのだろう。


そんな風に頭の中では反芻しながら、きっといつか失ってしまうことを想像すれば、今ある幸せを堪能するしかない、と思って朝までを先生と2人きりで過ごしていた。
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