徒言
□素直すぎる嘘つき
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モップとバケツを手に、名無しさんはがらんとした二階の廊下を見据えた。
ファントムハイヴ邸の、何事もない平和な昼下がり。
セバスチャンは主人のシエルと出掛けている。
バルドロイは階下のキッチンで忙しくしているはずだし、メイリンは洗濯、フィニアンは草むしり、タナカさんは……、多分日向ぼっこで忙しい……はずだ。
今、ここ二階には名無しさん一人しかいない。
「……よし!」
名無しさんは大きく息を吸い込んだ。
ブワリと空気が揺れ、銀色の光が溢れる。
名無しさんの背中には銀色に輝く見事な翼が広がっていて、ひと羽ばたきするとその体はふわりと浮き上がる。
この廊下全てを人間らしくモップ掛けし、乾拭きをして磨き上げるとすれば、二時間はかかるはずだ。
(しかし、天使の力を使えば……!)
モップを手にした天使は、宙を舞いながら目にも留まらぬスピードで廊下を磨き上げてゆく。
たちまち床はピカピカと輝き、十数分も経たないうちに二階の廊下は隅々まですっかり綺麗になっていた。
名無しさんは満足そうにそれを眺めて翼を畳む。
「よし、これで時間を確保できた」
そう呟いてパンと手を打った時、
「名無しさん」
背中から掛かった低い声に、飛び上るほど驚いて名無しさんは後ろを振り返った。
「セ……セバスチャン、もう帰って……!?」
「今着いたばかりです。邸内から怪しげな澄んだ力を感じたと思えば! あなたは一体何をしているのです!?」
「あ、怪しげな澄んだ力って変じゃないですか? 怪しいという表現はたいがい禍々しい物に使うかと……」
「あなたの力は澄んでいるのですからそう言うしかないでしょう? そんなひとの言葉じりをとらえる事よりも、常々人間らしく振舞うようにと注意していたのは忘れたのですか?」
「……すみません」
まるでイタズラが見つかった子供の様に、名無しさんはしゅんとなって謝った。
「大体、何の時間を確保したかったのです?」
セバスチャンは腕組みをしながら、溜息をついてジッと見つめてくる。
その赤い瞳には、嘘や誤魔化しは通用しないという無言の圧力がある。
名無しさんは仕方なく、おずおずと口を開いた。
「仮眠をとろうかと……思っていたのです」
「仮眠?」
セバスチャンは意外そうに、二・三度まばたきをした。