徒言

□溺れるキス
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「んっ……んん……」
 息を継ごうと口を開けるとすかさず舌が入り込んで来る。
 逃げようとすればするほど後頭部の髪を掴んだ手に押し付けられ、口付けは深くなる。
 触れ合っているのは舌同士なのに、まるで全身を愛撫されているかのように愉悦が広がって行く。

「あ……ふ、…………ん、セバ……」
 息苦しさともどかしさに堪えかねてセバスチャンの肩を掴んで押し退けようとすると、逆にベッドへと倒され、体重をかけてのし掛かられた。

「あなたが、キスが欲しいと言ったのですよ」
「違っ……ぁ、んんっ」
 言葉を紡ぐ時間も与えられずに再び唇が塞がれる。
 吐息が零れるのさえ許さないと言うような深いキス。
 名無しさんが言ったキスとは、決してこんな意味ではなかった。

 それは数時間前に遡る。
 シエル仕事の関係で、セバスチャンも共に名無しさんは珍しくオペラ観賞に出掛けた。
 舞台は、ある女性に惚れた貴族の男が懸命に想いを伝えようとする内容だった。
 抱えきれないほどの薔薇の花束、ドレス、宝石、ありとあらゆる贈り物をしても男の想いが伝わることはなかった。
 最終的に女性は何も持たない貧しい男を選んで終わるのだ。

 そしてその夜、いつものように名無しさんの部屋へやって来たセバスチャンは、気まぐれなのか「あなたなら何が欲しいですか?」と訊ねてきた。
 少し考えた名無しさんは「キス一つでもあれば十分ですね」と答えた。

 優しく抱擁され、唇を触れ合わせる。
 それだけで十分心は満ち足りる。

 そんなつもりで言ったのに、実際は……。

「セバスチャン……も……」
 舌を絡め合わせて唇を喰まれる。
 こんなに濃厚なキスを続けていては体のそこここが熱く高まって、平常でいられなくなる。
「どうかしましたか?」
「もう……体が……熱くて…………」
「どうして欲しいですか?」
「ボタンを…………外して下さい……」

 キスを続けるだけでいつまでも服を脱がしてこようとしないセバスチャンに焦れて、名無しさんは自分からねだる言葉を吐いていた。

 キスが欲しいとは、決してこんな意味ではなかった。
 いいようにセバスチャンに遊ばれているのだろう。

 でも……。

「あなたの欲しい物とは、中々大胆ですね」
 セバスチャンはクスクスと笑う。
 何とでも言えばいい。

(あなただって、我慢できないくせに!)

 心の中で悪態をつきながら名無しさんの手もセバスチャンのネクタイを解く。
 濃厚な触れ合いでも、軽いスキンシップでも、何でもいい。
 お互いの心が通じ合うなら、こんなに幸せな事はない。

 自分が天使で相手が悪魔であることを忘れてしまいそうになる。
 そんな幸福の海に溺れながら、同じように溺れるている紅い瞳の瞼に、名無しさんは柔らかく口付けた。


END


(※オペラの舞台は捏造です。調べていないので分かりませんが、こんな演目はありません、多分)

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