水色の春風
□乖離
1ページ/6ページ
出口の見えない迷宮。
彷徨い続けて、今ではもう…一歩も動けない。
春の柔らかい日差しが、庭いっぱいに降り注いでいる。
花々がその最盛期を謳歌して咲き誇り、木々は広げたばかりの若葉を風にそよがせていた。
うららかな春の日にふさわしく、ファントムハイヴ家の庭では、幸せそうな笑い声が響いていた。
「じゃあ、いいわね。私が二十数える間にみんな隠れるのよ!」
「はーい、エリザベス様」
「行くわよ。いーち、にー……」
かくれんぼの鬼になったらしいエリザベスが、木の幹に顔を伏せて数え始める。
集まっていた皆は、それぞれに隠れる場所を探して散って行った。
『春になったらピクニックに行きましょう』
そう約束されていたシエルだったが、ここの所忙しくてキャンセルにしてばかりだった。
「じゃあ半日でもいい!」
という彼女の我儘で、こうして自邸の庭でピクニックごっこをしているのだ。
使用人を含めてのかくれんぼ大会。
楽しげな皆の声を聴きながら名無しさんだけは、ただ一人ぼんやりとそれを眺めていた。
春の日差しも、優しい風も、名無しさんの心には届かない。
皆の幸せそうな笑顔は、今の自分には眩しすぎて辛かった。
同じ場所に居ながら、自分一人だけが別の空間にいるような、そんな孤独を覚えていた。
「しーち、はーち…」
揚々と数えていたエリザベスが、ピタリと止めて後ろを振り返る。
「名無しさん、いつまでもそこに立っていたら直ぐに見つかっちゃうでしょ!? 隠れなきゃ」
「え!? あ…失礼しました」
いけない……。
ここの所、昼間でもこのように心が何処かへ剥離してしまう。
仕事中にもぼんやりしている自分を、皆は不審に思っているだろう。
こんな状態であの人の傍にいるのは、もう限界かもしれない…。