短篇

□╋‥飛雪
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愛憎



「兄が憎くないのか」

そう言った彼はどこか辛そうで、私はすぐに答えることが出来なかった。

‥‥‥‥‥‥‥‥‥

氷泪石を返しに来た飛影さんは、「兄は死んでいた」と言った。つまり彼はあの広い魔界を探してくれたということ。私はそれだけで、心が温かくなった。
本当は受け取ろうと思ったけれど、なんとなく、あの石は彼の手にあるべきだと思い直した。母の形見ではあるけれど、そのほうがいいのだと。

あれから、彼は度々私に会いに来てくれるようになった。忙しい筈なのに、時には1日と空けずに来てくれることもある。
他愛ない世間話をして、二人きりの時間を過ごす。
今日もいつもと同じように世間話をしていて、うっかり魔界のことに触れてしまった。彼は私が魔界に行くことをあまり良しとしていないらしく、その理由は痛いほどよく分かっていたので、私もあまり口に出さないようにしていた。

「憎いなんて…そんなこと、」
「兄なんかがいたから、お前は母親を喪った。それどころか忌み子の片割れと扱われ、兄を探すと言ったために国を追われた…」
「………」

全て事実で、私は口をつぐんだ。それだけではない、そうじゃないと思うのに、上手く言葉にすることが出来なかった。

「憎めばいい。お前にはその権利がある」
「違いますっ!!」

自嘲にも似た笑みを見た途端、口が勝手に動いていた。

「私は…っ、しばらくですが母と過ごしました!国では泪さんがよくしてくださいました!兄を探したいと思い、それを咎める国を見限ったのは私の意志です!」

兄は生まれてすぐに母を失い、忌み子と疎まれ、国に捨てられた。
改めて考えるだけで、涙が視界を滲ませる。

「むしろ私は兄に憎まれるべきなのです。…兄には氷河の国を、私を、憎む権利があるのですから」

ぽろ、と零れた涙は石になり落ちた。兄も泣いたのだろうか、それとも憎んだのだろうか。理不尽な掟に引き裂かれた片割れを、私はいまだに諦めきれずにいた。

「…確かに独りで逝ってしまったことは悲しいです。…私は、謝ることも伝えることも許されなかった……」
「伝える…?」
「……私が、…兄を必要としていることを…そして母が、本当に兄を愛していたことをです」

逢いたかった。生きて逢ってみたかった。夢のまた夢になってしまったけれど、兄と逢えたら叶えたいことがたくさんあった。
飛影さんは無言で私の懺悔を聞いてくれていた。それはまさしく兄のようで…私を静かに見守ってくれているようで、場違いに嬉しさでいっぱいになった。

「憎くなんてありません」

はっきりと言えたことに誇らしさを感じていたら、視界が黒に覆われた。抱き締められたのだと分かるまでに少し時間を要した。
そんなことをする人じゃないと思っていたから、あまりに驚いて大分間抜けな顔をしていたと思う。

彼はなにも言わず、ただひたすら私を抱き締めていた。どこまでも優しく強い腕に、私も安堵し身を任せていた。

(このまま時間が止まってくれれば…─)

うっかりそんな非現実的なことを考えてしまうほど、やすらかで幸せな時間だった。



(複雑な心情)
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