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落陽に燃える裏山。運動場の朝礼台の影は斜めに長く延びている。


校舎の一塊の大きな影が校庭を覆い、それを見ていたボクは影に飲み込まれるように玄関に向かっている。
鉄線を張り巡らせた強化ガラスを嵌め込んだアルミ戸を押し開け校舎に入る。


整然と並んだ下駄箱の間を抜け、窓から射し込む夕陽に染まった校内を進んでいく。

ひと気のない校舎はひどく寂しく、ひんやりとしている。
しかし、不安や恐怖といった負の感情はすっぽりと抜け落ちて、理由も目的も解らないままただ、何かに背中を押されるように進んでいく。


錆びが浮き出た鉄製の階段の手摺、その手触りを懐かしみながら踏み上る。
廊下のコンクリート壁に目を遣れば、所々剥がれて表面が欠け落ちている。
欠けたその形、模様が別世界の地図に見えて、よく空想をしていたことを思い出した。



三階、三番目の教室。
自然にそこに足が向かっていた。見覚えのある入り口が見えると懐かしさが溢れ、あぁボクのいたクラスじゃないかと思わず呟いた。
仄暗い教室内を見渡し郷愁に浸っていると、鳴き声ようなものが聴こえてくる事に気付いた。

窓際で一番後ろのボクの席だった机の上に、バレーボール程の大きさの黒い塊があり、その辺りから聴こえてくる。
それが何なのかを確認しようと机の前まで来ると、まだ幽かに届く残り陽で、それが何か判った。


猫だった。家で飼っていた黒猫がうずくまって弱々しく鳴いている。

猫がそこにいることの不思議さはどこかにいって、あまり鳴くことのなかったうちの猫がなぜ鳴いているのか、そんなことに思いを巡らせた。

猫の小さな頭を撫でようと手を伸ばすと、指先を刺すような鋭い痛みを感じ慌てて手を引いた。

よく目を凝らすと、猫の身体中に数え切れない程の数の細い針が、まるで体毛のようにびっしりと刺さっていた。
猫はその逃れようのない痛みで動くことも出来ずに、助けを求めているのか、声を絞り出して鳴いているのだった。


ボクは目の前の事態を理解出来ずにいた。
衝撃を受けた脳が視覚情報の受け入れを拒否しているのかもしれない。
防衛本能。
そんな言葉が頭に浮かんだ時、みるみる視界が滲んできて脳とは別に切り離された肉体が、ボクに大粒の涙をぼろぼろと零れさせた。

止めどなく溢れてくる涙を腕で拭い、血だらけで赤黒くなった猫を抱きかかえ、ボクは大きな声で泣きだしていた。


叫びのようなボクの泣き声が響いている校舎に、夕陽はもう届かなくなっていた。






白い天井から吊るしたピンポン玉大の球体と、四枚の雲形定規のようなもので構成されたモノクロのモビールが、少しだけ開けた窓からの風に揺られてゆっくりと漂い回っている。

眠りから覚めたばかりのぼんやりとした頭でそれを認めると、頬が濡れているのがわかった。

半身を起こしてサイドテーブルにある飲みかけのすっかり温くなった缶ビールを飲み干した。


夢と現実から逃れるようにベッドに身を沈めた。
そんな時ふと、14歳の時に買った完全自殺マニュアルがクローゼットの奥にあることを思い出すと、いつの間にかまた眠っていた。




こんな夢をずっと忘れられない
人と、ここについて







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