novel

□結晶伝説 過去の語り部
1ページ/11ページ

……ここはどこだ?


どこか懐かしい、優しい雰囲気。


『起きて』

透明感のある、しっとりとした女性の声。

『ねえ、起きてアキレウス!!』

そう呼ばれ、静かに目を開けてまばたきを何度かすると、目の前にいる女性をはっきりと確認した。


透明感のあるさらさらした長い髪に、美しく、色素のない艶やかな肌、それから潤んだ翡翠色の瞳。


この人は、無なる魔女バニラメルダだ。



「ああ……おはよう」

無なる魔女とは対照的に、、褪せたような白髪をぽりぽりと掻く。

体格は男らしくがっしりとしており、Tシャツハーフパンツの、ラフすぎる格好をしている。

だが、何より特徴的なのが、左目から頬にかけて走る、一見すると傷のようなタトゥーだった。



彼の名前はアキレウス。

アトラス・ショートピアの前世だった。
















事の始まりは聖歴4251年。


無なる魔女バニラメルダの世界に、どこから入り込んだのか赤ん坊が迷いこんだ。

恐らく、子育てに疲れた母親が、幼き子を殺すために育児放棄をして月女神の湖に投げ込んだのだろう。

だが母親にとって誤算だったのが、その日はたまたま月が意地悪して顔を見せない夜だったこと。


そのため母親は、エーテルで出来たクリスタルワールドに気づかず、子供はここに入ってきてしまった。


私はその子供の始末に困った。

だが、その子供の純粋さを、握ってくれた手のあったかさを感じて、
私は彼を育てることにした。


彼が成人するまで。


そして、月日は流れ、
彼は27歳になった。


バニラメルダは、慣れた手つきでハムエッグを作る。

ほとんど炎のエーテルの力だったが。

人間界での食べ物はわからなかったので、何年か前に来た無なる人間、
ヘイムダールという男に教わることにした。


私は何も食べなくても生きていけるが、アキレウスはそうはいかない。

「はい、どうぞ」

皿の上に乗ったトーストとハムエッグをアキレウスに渡す。

「おう、ありがとう母さん」

彼は手を軽く拭くと、
トーストにがっつき始めた。


今日は特別な日だから、
彼も焦っているのだろう。

「今日から、ヘイムダールのいるアルカンタ教会に入団するんでしょう?
迎えが来るまではゆっくりしてなさい」

「でもさ母さん、やっぱこう、気持ちが高ぶっちゃうんだって!!」

口の周りを玉子でよごしながら、慌ただしく顔を拭く。

ふう、とため息をひとつ。

彼はもうすぐ三十路になると言うのに、何も知らない私の育て方が悪かったのか
優しく健気だが行儀が悪く品がない。


その度、月に2回はここにやってくるヘイムダールに、軽く叱責されたりもした。


当然私は、こんなんで外の世界でやっていけるのかと思い、しばらくの間彼を外に出さなかった。

ところが最近になって、
ヘイムダールが教会を設立した。


それがアルカンタ教会。

人のため、自然のため、
そして世界のために作られた施設。

そのためまだ団員はほとんどおらず、彼の交友関係を通じても6人しか集まってないらしい。


『迎えに上がりましたよ』

湖の世界の外から聞こえる、爽やかな青年の声。

それを聞いてアキレウスは、ニッと笑った。


「じゃあ、行ってきます!!!」

「ええ。行ってらっしゃい。いい人になってね、アキレウス」


そうやって、私は彼を見送った。




















2時間かけて移動し、馬車から降りると、そこは楽園と呼ぶに相応しい場所だった。

童心に帰り、思わず瞳が輝く。


「どうかな?アキレウスくん。そんなに悪いとは思わな………」

ヘイムダールが振り返って笑顔を繕うも、彼はすでにそこにはいなかった。


ため息をつき、頭を掻く。

「まぁ……いいか」

そしてアキレウスが向かった場所はと言うと、裏庭に広がる花畑。


色とりどりの花達が舞い、
草木が笑い、風の妖精たちが遊んでいる。


まさしく絶景だった。


その中に、1人佇む女性に、アキレウスは気づいた。


寂しそうな雰囲気を持った、どこか儚げな女性。

頭からはすみれ色の羽が生えている。


「おーい。何してるんだ、
こんな所でー」

呼びかけると、女性はゆっくりと振り返った。


母親バニラに負けない、
美しい容姿をしていた。


「あなた、…は…………?」

彼女の第一声がこれだった。

アキレウスも笑顔で答える。

「私はアキレウス。
今日から、ここに入ることになった。君は?」

女性の、新しく芽吹いたような緑色(りょくしょく)の瞳が景色に映える。

そして、こう答えた。


「わたしは……ユスティティア。周りからは、ティアと呼ばれているわ」


彼女の名前はユスティティア。


エリーゼ・シンプソンの前世だった。
次へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ