オリジナル

□日
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母が、死んだ。

 夏の真中。路上に蜃気楼が出る、暑い日だった。
下校途中の児童が飛び出し、それを避けての事故だと聞いた。即死なのだという。
くちゃくちゃになった車の中からぐちゃぐちゃになった母。
苦しまずに死ねたのがせめてもの救いか。

 否、避けなければ少なくとも生きていたのだから、母にとって、そんなことはどうでもよかったのだろう。

 霊安室を出ると数人の親族がいた。
私の妹もそこで待っていた。
「死」という意味を知るにはまだ早い。父の判断で妹は、廊下に備え付けられた椅子の上から動けなかった。
父が、母の娘で妹の姉である私にそう言ったとき、私は心内で歯を剥き出しにして嗤った。

 幼い子供が皆「死」を知らないと。
違うね、違うよ、父よ。
妹は「死」を知っている。むしろ私たちのように年を重ねた人間よりは遥かに「現」に。
 足を装ったヒールがつめたいリノリウムの床を叩く、静境な空間に数度単調な音を続けて、ようやく私は妹の前に立った。
途端、親族や医師たちの声が耳に入ってきた。もはや誰も私たちに目を遣っていないだろう。無論、父も。
 妹は私を見上げ、私は妹を見下ろした。
土壌を塗りこんだような瞳は澄んでいた。
彼女は口を開いて言った。


 「明日のご飯、どうしようか」



_(完)
 

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