オリジナル

□白の遺書
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01


 暗い、暗い、そこは暗い。
どこまでも続く様に見えるそこで、私は生まれたままの姿で赤子のように小さな身を丸めてどこかに蹲っている。
何もないのを知っているのに外の世界は私を迎え入れようと刻々と準備を整えているのが伝わってくる。
そこには何もないのだと皆が教えてくれたことだというのに。
 柔らかな胎動の中で私は眠りから覚まされる。
目覚めとは程遠い、強烈な力で私は何もない世界に引き摺りだされる。
そこには何もないと知っているのに。
しかし、私にはそれから逃れられる術を知らない。
その昔、彼の方達が永久の楽園から突き放されたように。
私もまた母親の母体という小さな楽園から何もない世界へと追放されるのだ。


  何もない世界へと。

4限目の終了を告げる鐘の音で目が覚めた。
机の上にすっかり沈んでしまっていた重い頭を持ち上げる。
数回首を回して周囲を見渡すと既に帰る準備をして鞄の蓋を閉めている友人が目に付いた。


 「どうした、知徳(とものり)。今日は一度も起きなかったじゃないか。」


そういいながら、今度は鞄から手を離してマフラーを首に巻きつけている。
相変わらず流行もなにも気にしない巻き方をして、と言ってやるとソイツはやはり何時もと同じようにきれいに揃った歯を見せ付けて二カッと笑う。
もうどうでもいいよ、と返すと今度は笑っていた顔を引っ込めて、真剣な声で「大丈夫なのか」と聞くからこっちが笑ってしまう番になってしまった。


 「何言っているんだよ、そっちこそ。
あああ、くそ。
今日これからバイトがあんのに。遅れたらお前のせいだからな。」


軽く奴の肩に肘鉄を食らわしてやると、同じように返してきた。


「そっちこそ何だよ。
っつうか、遅れたなら居眠りしていたお前が悪いだろ」

「俺はそんなことしらねえ」


お先に、と叫びながら駆け出すと、馬鹿みたいに一瞬呆けたアイツも駆け出してきた。
これは俺が日頃の運動不足が祟って足がつるまで続く、最長記録は東向のこの教室から大学の西門まで。

それが俺の日常風景。


すっかり暗くなってしまった道を歩く。
バイトが終わるのはそれほど遅くはないが長い乗車時間のおかげで自宅に着く頃には人気もない深夜だった。
月も眠ってしまった今、知徳(とものり)の周りには人気はなかった。それなのに刻々と自分に迫る何かを知徳は感じていた。
コンクリートの地面を踏みしめる自分の足音だけが響いている。
それなのにこの肌身に迫る圧迫感はなんなのだろう。


「気持ち悪い」


 気持ち悪い。気持ち悪いってなんだ。


「何言っているんだ。俺」


急に自分独りでいることが途轍もなく恐ろしく感じられた。
身を震わせ周りに目が行き届くと何も存在しないことに気づかされる。
コンクリートの道に突き刺さっている点滅する切れかけの街灯はいつもなら只、道を示してくれているのに。
いつもなら硬い人工物に遮られて太陽の光を貰えなくなった雑草が美しいと思うはずなのに気持ち悪いと感じられてしまう。


「これは、何だ」


答える声はない。


家に帰ると母が数年前に買い換えた炬燵に潜り込んでいた。
隈のできた目は引き戸の前で動かない知徳を捉えていた。


「なにやっているの、あんた」


当たり前の母の言葉に何故かそれすらも嫌悪を覚え、まともに彼女を見ることができない。
反抗期なんかじゃない、それそのものは当の昔に終えた。
その時もこんな風に感じることは決してなかった。
肩に掛けていた鞄をその場に取り落としたことも気づかずに知徳は自分の部屋に急いで向かって、眠っている弟や父や祖父を起こすかもしれないのに大きな音を立てて板を貼り付けただけの安っぽい扉を思いっきり閉めた。


存在=無なんて考えるなんてありえない。


安っぽいと扉は母の自分を呼ぶ声を遮ることなく伝えてきた。
身震いするほどの寒さに瞼を開かされると漸く、太陽が東の山から現れたところだった。
 
「昨日そのまま寝ていたのか・・はは、体に悪いな」

寒さで固まってしまった体を少しずつ解していると突然体が揺れた。驚いて扉から身を離すとどうやら母が起こしに来たらしい。
 

「ちょっと、知徳(とものり)。貴方、今日は1限から授業じゃなかったの?」


おまけに昨日の夜せっかく作ってたご飯食べなかったでしょ。
愚痴と言うよりは心配してくれているのだろう。
そんな母の気遣いも嬉しく感じた。
昨日は虫の居所が悪かったんだな。自分でいうのもなんだけど。

「ゴメン、今行く。」と一言謝り、ドアを開くと正面に母の顔がヌッと現れた。


「うわっ!びっくりした。何やってんの?母さん?」


自分を見つめたまま一歩も動こうとしない母親を不審に思い声を掛けると二回目の詰問を受けた。


「アンタ大丈夫なの?」


「だから何が。」そう思って口に出して聞いた。

「ぇ、いえ。何となく…。」フウンと頷いてみたものの、昨日のアイツといい母といいさすがに気になってしまう。
困惑した顔をしたのだろう俺は。母は何でもないわ、といい直して居間へと歩いていった。
 大学の授業は正直退屈だ。ただ単に経歴を付けるための入試合格だったし。
何より、俺には成りたいものなど何もなかった。
 一応弁解しておくが、同じような気分で入った奴なんてゴマンといる。こうして今大教室で同じ机に並んで座っている奴なんて一体何人いることだか。
 心底、クダラナイ。
熱心に持論を繰り返す教授から目を反らすと、西向かいに付けられた硝子窓越しに大きな烏がとまっていた。
ギョロンとした目を向けている。まるで動物園で騒いでいる子供の横で現実を知っている大人の冷めた視線だ。
思わず薄笑いを浮かべた。


「何笑ってんの。知徳、思い出し笑い?
いや〜ん、徳ちゃんたらえっち!」
昨日と同じく隣に座っていた友人が茶化した。
知徳は薄笑いを浮かべたままそちらを見た。


「知徳…、あのさ。お前やっぱり変だ」


「どこが?」

いや、なんかさ…。


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