戯作

□コンパート
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ガッタン、と車は大きく揺れて停車する。
後部座席に身を横たえていた垂氷明は、その衝撃で目を覚ました。
「明さん。着きましたわ」
運転手役を務めていた弥生は、柔らかだが事務的な口調で告げる。
この仕事を始める以前は社長秘書であったという彼女は、仕事中はこの口調を崩さない。
「あと十分んん」
「駄目です」
「朝四時って有り得ない」
「列車の一等室を用意してありますから、定時連絡をなさったら存分にお休みなさいな」
眉間に力一杯皺を寄せ、気合いを入れて明は起きた。
「今回の仕事は富士23号に乗っている『夜の帳団』のスパイを発見し、取引を阻止する事です。うちと契約している情報屋の京谷久貴によれば、国家機密だけでなくうちの組の情報が相当流れる可能性があるそうです。この取引は必ず阻止しなくてはなりません」
明の表情が引き締まる。
仕事、の顔になった。
「何も手掛かりのない状態ですが、富士23号はこの国を出たら終点まで止まりません。つまり期日は四日あります。貴男の幸運を祈ります」
そして弥生は列車のチケットを渡した。
明はコートを羽織ると、車から降りた。


旅行客を装って、明はスーツケースを引いていく。
チケットに書かれた一等室を見付けて、蝶を象ったドアノブを引いた。
そして、立ち止まる。
一等室、つまり個室の筈が中には先客がいたのだ。
扉の開く音に顔を上げた彼と明は目が合う。
先客は和装の男だった。
黒地に散る桜の模様の着物に黒い羽織、そして組まれた足元は黒い鼻緒。
はっと目が覚める、という形容が相応しいような美男子だった。
男は膝に開いたまま置いていた、明が読めない言語で書かれた本を閉じると、不思議そうな顔をした。
「可笑う御座いやすねぇ。確かここは個室の筈で御座いやすが」
男が東部訛りを隠しもせずに話し掛けてきたので、明は取り敢えず安堵した。
この近辺の国は、血統的に顔立ちは似ていても全く言葉が通じない事がままあるのだ。
「チケットを交換して確認してみませんか」
「そりゃ妙案」
二人は互いのチケットを取り替えると、書かれた番号を読み上げた。
「3号車C室」
読み上げた内容は全く同じで、二人はどちらともなく顔を見合わす。
「駅側の手違いでやしょうかね。ちょっくら行って来やすんで、掛けて待ってておくんなせェ」
男は明に笑みを見せ、車掌室に向かった。
その間に明は携帯電話を取り出した。
「もしもし、俺だ。ウィルに代わってくれ」
少しの間の後、目的の人物が電話口に出た。
『はい代わりました』
「おい、お前等何やってるんだ」
『何、とは?』
「他にも客がいるんだよ、俺が乗ってる、一等室に」
『ええ?そんな馬鹿な』
「馬鹿なも何も、俺はその客と会話をしたし、チケットが偽物じゃない事も確かめた。どうなってるんだ」
沈黙が落ちる。
ウィルは思案しているようだったが、やがて
『今は何とも言えませんが取り敢えず、その方の国籍を調べて下さい』
「国籍?」
『それから対策を立てましょう。不測の事態ですからある程度は現場の判断に任せますが、くれぐれも暴走しないように。成績と被害を差し引いて被害が大きくなったらいくら貴男が期待の星だって庇い切れませんからね』
「解ってる。そちらこそちゃんと仕事しろよ」
そして明は電話を切った。
カチャ、と微かな音がして男が入ってくる。
「やッぱり駅の手違いだったようで御座ンす。もう他に部屋は無いそうなので、ここにもう一つベッドを運び込む事になりやすが、良う御座いやすか?」
「構わない」
男は助かりやすと礼を言うと、後ろに控えていたボーイに了承を伝える。
たちまちベッド兼椅子がもう一つ入ってきて、元よりあったものと向かい合わせになるように置かれた。
「さ、てと。四日ほどの旅の道連れで御座いやすね。己りゃあ上水流京介と申しやす。お前様は?」
「垂氷明だ」
「明さんでやすか。不本意かも知れやせんが、宜しう頼みやす」
男こと京介は、握手を求めて手を差し出す。
「こちらこそ宜しく」
些かの緊張感と共に、明はその手を取っていた。
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