短編

□CDウォークマン
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緩い振動に時折重い金属音。手垢にまみれたガラス窓からは流れる外が一望出来る。彼女が遠くを見ていることは、その瞳の動きから見て取れた。
黒く肩に流れた髪の隙間からは白いイヤホンが見え隠れする。
ふと、彼女の唇が動いた。呟きを聞き取れた者は、ただ訝しげに眉を潜めるだろう。
「逃げたら、じゅうざい。」
公道の、ひき逃げ防止の電子掲示板の文字を読んだらしい。
天気は晴れ。輝く光の中。どこまでも見渡せる事の出来る風景。まるで、彼女の迷いを嘲笑う様に、彼女に道を示すように、真っ青な空はそこにある。
彼女が頭を動かした。
揺れ動いたのは、空気だけじゃない。
髪が、肩から背中に流れ、白いうなじと、日にさらされない耳元をあらわにした。
白いイヤホンに、そのコードに何か赤黒いものがこびりついている。
爪で擦ればそれは、ぱらぱらと粉末状になるもの。
彼女がぴくりと身動きした。唇が軽い吐息と共に、開く。
「逃げたら、じゅうざい。」
あ ぁ、そうだ。逃げたら、逃げたら、そう。じゅうざいだ。
私は、それに値する?
君はそぅ、値する。
君はそぅ、僕のもの。
彼が好きだった音楽に、違和感無く混じる甘い囁きに身を委ねる。久しぶりに聞く声に、涙さえ浮かぶ。
すきだったのね、
あいしてたのね、

でももう、何を言っても

届きはしない。

彼が好きだった音楽。
嘲笑う真っ青な空。
逃げることを許さない赤い文字。

だから、そぅ。

貴方と共に。



少年が、つぃ、と首を跳ね上げた。それは、恐らく視界の端に何かが通ったことを確かめる仕草。
ついで、少年は微かに後ろを振り向いた。それは、恐らく何かに呼ばれた様に思った時の仕草。
そして、少年は、体の軸をにっこりとした笑みを浮かべ、反転させた。それは、恐らく知り合いを見つけた時の仕草。

それから少年は、
それから少年は、

それから…………?


彼女は薄く笑った。彼だけを、残して、いけるわけがない、じゃないか。
それは、逃げること。彼から。


少年は、口ずさむ。
時折、彼女への思いを伝えながら。



時折、彼女に愛を囁きながら。

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