CLANdestine
□後
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「…う」
枢の使い魔から解放されたのは牢に戻ってからだった。急に明るくなった視界に辺りを見回すと、見慣れた牢の中に立っていた。数時間とはいえ久しぶりに無人になっていた仄暗い部屋は、やっぱり、何の変化も無かった。
「分かる?地下に戻ったんだよ」
耳元で囁かれた声に、やっぱり枢に連れ戻されたのだと確認した。同時に彼と向き合おうと振り返る。枢に聞きたいことは山程あった。
「夜間部って何?」
質問を予想していたのか、まるでわたしの尋ねた内容が酷くつまらないものであったかのように、僅かに視線を外された。それとも不快だったのだろうか。驚くほど心理の読みとれない目付きの枢を睥睨すると、彼は溜息を吐いた。それでも、一泊の沈黙の後、彼はわたしの質問に答えてくれた。
「…夜間部は、黒主学園に併設されたクラスだよ。デイ・クラスとナイト・クラスがあって、夜間部にはヴァンパイアが通っている。貴族階級以上の、平和主義の若いヴァンパイアたちだ。
春から本格的に稼働する事が決まってね。創設者の名前は黒主灰閻。元ハンターの学園の理事長で、『黒主』優姫の義父だよ」
やっぱり、あの黒主灰閻だったのか、と昔見たことのある凶悪なハンターを思い起こした。記憶の中の彼は、やけに刃の目立つ刀で吸血鬼を片っ端から切りつけていた。近寄っただけで、並のヴァンパイアなら震えあがって逃げ出したくなるような存在。そんな人物が平和主義とは、何だかとても胡散臭く思えた。
「…枢は、あの娘の為に黒主学園に行くのね」
一匹だけ残っていた蝙蝠が、キリキリと、硝子を引っ掻いたような声で鳴いていた。鳥肌が立った。思い出したかのように枢が片腕を上げると、手に吸い込まれるようにして使い魔は消えた。室内が静かになる。唇から零れた声は、何故だろう、自分が出したものとは思えないほど遠くから聞こえた。
「ナイト・クラスは、人間との共存を望む若いヴァンパイアのための教育機関だ。僕はそんな理事長の考えに賛同しているからクラス長になるだけだよ」
驚くほど落ちついた様子で枢が言った。それが気に入らなくて彼を睨む。昔から優姫がお気に入りだったのだから、今さら隠す事も無いのに。飽くまで知らぬ存ぜぬを通そうと、白を切る枢に憤りを覚えるも、わたしにはそれを非難する理由も無い。頑なに認めない枢に半ば呆れつつも、餞別の言葉を紡いだ。
「そう。上手くいくと良いわね。せいぜい頑張って」
「何言ってるの。理知も行くんだよ」
「え」
「『え』じゃないよ。若いヴァンパイアの集団の面倒を僕一人に押しつけるつもり?そもそも、僕が君を一人で置いて行くとでも?
当然君にも一緒に編入してもらう」
「なっ!」
「嫌とは言わせないよ。理知も夜間部に入学する。――否と答える権限は無いはずだ」
事実を立てに権力を行使してくる枢に閉口した。でも、彼の言うとおりだ。敵対する者は有無を言わせず叩き潰すという覇者の精神を持ち合わせた枢は、本当に、これ以上無いほど純血種らしいと思う。観念したように表情を歪めると、満足したかのような表情の彼が居た。
「…わたしは何をすればいいの」
「僕の傍にいてくれれば、それでいい」
思わず上を向く。うなだれながら聞いた答は、わたしの予想を遥かに飛び越えるものだった。
――学園には優姫がいるから、代わりなんていらないはずだ。それに自分は純血種である以前に李土の娘なのだから、夜間部の助けになるどころか、脅威になるかもしれない。
そんなわたしを隣に置いて、枢は何を望むのだろう。まじまじと彼を観察したが、枢が冗談を言っていないという事実以外、何の真実も読み取れなかった。
「それより、ねえ。さっき一条と親しげにしていたね。――何を話していたの?」
「!」
突然話題の矛先を変えられ、ぎょっとした。ともすれば情とも取れる言葉の後に、ぱっと火の点いたような悔恨を孕んだ台詞が耳に飛び込んで来たのだから当然だろう。すっと差し出された腕が恐くて、慌てて一歩後ずさると、何かに躓いて思わず仰け反った。
(――転ぶ!)
受け身も取れず、直後に襲ってくるであろう衝撃に身体を強張らせたが、ぽすっ、と間抜けな音がして、気がつくとベッドの上に転がっていた。
「きゃっ、」
起き上がろうとしたが、大きな手に押し戻されてもう一度ベッドに倒れ込んだ。枢だった。両腕を強い握力で固定され、組み敷くようにわたしを見下ろす瞳は酷く冷たかった。この、体勢は。
(――いやっ!)
幾度となく繰り返されてきた情事が脳裏に浮かび、思わず目を瞑った。何度身体を重ねても枢の行為に慣れることは決して無い。一旦捉えられてしまえば、あとはもう、彼を愉しませる玩具となるばかりだ。
だが、いくら待っても身体を弄ぶ感触は襲って来なかった。そっと瞳をあける。すると、何とも形容し難い表情の枢をわたしを見下ろしていた。
「――いいよ。今日は疲れているだろうから。久しぶりに外に出て本調子でない君を抱くほど、僕は思いやりが無いわけではないからね」
この男は。誰のせいでこうなったと思っているのか。皮肉を込めた台詞がいくつも脳裏に浮かんだけれど、凌辱されないというのならこのまま黙っている方が得策だと思った。罵言を呑み込み、代わりに、悔恨の念を含んだ瞳で睨む。それでも枢はたじろくことは無くて、それどころか、まるでそんな反応ですら面白いかのように小さく瞳を細めた。
すっとわたしにのしかかっていた身体を退かし、代わりに、慈しむような手つきでわたしの双眸を覆った。
「それじゃあ理知。ゆっくりお休み」
優しい声が聞こえる。同時に、指の間から見えていた枢の顔がぶれ、意識は思索の森へと沈んていった。
『外の世界』後編
Sunday, August 26th, 2012
理知