CLANdestine

□前
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わたしが檻から出たのは、それから一週間ほど経った後だった。


「ほ、本当に外に行くの?」

「そうだよ」


どうも疑りの抜けないわたしは、つい、その日何度目か分からない問を枢に尋ねた。いつもの習慣で少しだけ上目遣いになる。弱弱しく絞って出た声は、ホワイトで統一された柔らかいバスルームにぽつりと響いた。

あっさりと返事をした枢はバスタブの淵に膝を着きながら慣れた手つきでわたしの髪を洗っている。先ほど突然起こされたわたしは、有無を言わさずバスルームに連行され、お風呂に入れさせられていた。柔らかいシャンプーの香りに包まれて、少しだけ、気が抜けていたのかもしれない。熱くもぬるくもない、丁度良いお湯に漬かりながら、わたしは戸惑いを隠せずにいた。


「不安?」


図星を指されたけれど、そんなのじゃない、と目を逸らしながら答える。居心地が悪い。赤らめた頬を紛らわすように些か乱暴に顔を濯ぐと、横から、くしゅくしゅと髪を洗う枢が意地悪そうに笑った。


「出なくてもいいんだよ?」

「出るわ」


弱気に付け込んでわたしの意志を曲げようとする枢に即答した。ようやく手に入れた外に出るチャンスを、こんなところでみすみす不意にしてしまううつもりは無い。迷いも無く言い放ったわたしを、枢はそう、と微笑みながら洗髪を続けた。


「外は危険だよ。隙あらば君を――純血種を利用しようと企むヴァンパイアばかりだ。…理知は、そんな世界に出たいの?」

「そんなこと枢に言われる筋合いは「目を瞑って。泡を流すから」」


ぬるいお湯が頭に注がれたのを感じ、わたしは慌てて眼を閉じた。口も塞ぐ。それを待っていたかのように洗面器一杯の液体が瞼の上を伝った。


「…いつでも戻ってきて構わないよ。理知が望むなら、また閉じ込めてあげる」


身体に付着した石鹸を残さず洗い流した枢は、そっと、まるで大事なものを扱うかのような手つきでわたしを湯船から持ち上げて言った。一瞬暴れてやろうかとも思ったけれど、反抗するのも面倒くさくなってただだるそうに眼を流した。さっきから彼の言葉には疲れを感じる。浮き世離れした台詞に突っ込む気にもなれず、ありえない提案に閉口した。

マットに立たされ、ばさりと大きなバスタオルに包まれたかと思うと、身体をきれいに吹かれ、髪にドライアーを当てられ、気付くとされるがままに服を着せられていた。


「…うん。こんなものかな」


最後に胸元のリボンを結び終って枢が言った。それで、ああ準備が終わったんだと悟った。いつもお風呂から上がると、一体どこから持って来たのか、ドレスだったりワンピースだったり、とにかく色々な服を着させられる。あとは髪を結われたり、爪を研がれたり。別に頼んでもいないのに、彼の手によって甲斐甲斐しく世話を焼かれるのだ。まるで子供だ。…実は、枢の手でお風呂に入れられるのも、認めたくは無いが習慣だったりする。わたしが嫌がる様子が楽しいのだろうか。何で枢がここまでわたしに構うのかはよく分からないけれど。


一歩下がり、頭から足元へ行き来する視線を感じながら、彼のどうでもよい称賛にけだるく頷いた。


「やっぱり服は赤がいいね。暗い髪には良く似合う」

「…それはどうも」


枢を見ること無く返答する。碧眼に赤い服は似合わない気がしたけれど、正直どうでもよい。ちなみにわたしが今来ているのは、ディープ・ローズのワンピースだ。長袖ローウエストの、胴にぴっちりフィットしたデザインで、膝丈の裾は段になってふんわりと広がっている。胸元だけ白いレースが覘いていて、深紅色のリボンで装飾されたブラウスは首まで閉まっているのも特徴だ。なんだかちょっとしたメイド服みたいだ。…念のため言っておくが、断じてわたしの趣味ではない。


「僕としては首元がもう少し開いている方が好きなだけれど。噛みつきやすいからね。…まあ、他の男を誘惑されても困るから今回はそのデザインにしたんだ。君は僕のものだし」


聞かなかったことにしよう。


「…本当は他の娘にこの服着せたかったんじゃないの」

「うん?」

「何でも無いわ。とにかく早く連れ出して」


振り払うようにそう告げると、せっかちなお姫様だ、と枢が笑った。無言で睨みつけると枢はぴたりと笑いを止め、すっとわたしの背後に立った。驚いてうしろを振り返ろうとするのを制され、まるで背後から法要されているような状態になる。なんだかいたたまれなくなり彼の腕から逃れようとすると、枢はさらにわたしを抱き寄せ、もう片方の手でわたしの目を覆った。


「ちょっ、」


塞がれた視界に不快感を覚え、抗議の声を上げると同時にもう一度振り返ろうとした。けれども、その矢先、突然かくりと力が抜けた。膝が折れる。

倒れる身体を支える腕を遠くに感じながら、意識は闇へと落ちて言った。



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