CLANdestine
□了承と了解
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――その日。
枢の様子はいつもと違っていた。
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静まり返った部屋。
静寂のみが耳をうつ。
微妙な時間に目を覚ましてしまったわたしは、寝台で浅い呼吸を繰り返しながら枢が尋ねるのを待っていた。この時間は憂鬱。やることも無く一日中睡眠と覚醒を繰り返しているわたしは、これ以上眠ることも出来ず、かといって起きる気にもならなくて、さっきから仕方なく目をつむっている。
(今日も来るのかな)
両膝を抱え、自分を抱き締めるように毛布に包まりながら、来るべき悪夢に身を震わせている。
しばらくして、ヴァンパイアの鋭敏な聴覚が硬質な音を捉えた。
(――来た)
ドア越しにコツ、コツと革靴が石畳を叩く足音が聞こえた。続いて、鍵穴を硬い鍵が引っ掻く音。暫くして錆びた鉄が軋むのを確認して、枢が部屋に来たのだとわかった。今夜もまた、あの地獄のような快楽に翻弄されるのこと想像し、布団に埋れてわたしは身を硬くする。
(――いっそ五感なんてなくなってしまえばいいのに)
身体を這う指や情事のときのせめぎ合うような呼吸を思い出して、思わず顔を顰める。
幽閉されてからかなりの期間が経つけれど、わたしは未だにこの日常に慣れてはいなかった。もちろん行為にも。執拗に施される枢の遊興はいつだってわたしを弄んで止まない。
(昔から、だったわね)
固く閉じた瞼に数年前の色情が浮かび上がる。
初めて枢に抱かれたのは、十五のときだった。まだ、お父さまもお母さまも、優姫も、ヴァンパイアとして生きていた頃。平和な時代。わたしもまた、こんな場所に閉じ込められてはいなかった。
(…経験でもあったのかしら)
当時は余裕がなさ過ぎて気づかなかったけれど、今から思えば、あの時から枢は手練れていた。陵辱に耐えながら言われた言葉が忘れられない。枢は何も言っていなかったけれど、でも、あれが未経験者の与える刺激だったとは到底思えなかった。
(――っ、忘れよう)
おぞましい思い出に身震いする。
毒のような吐息、心身を燃やす熱、下腹部の、経験したことの無い痛み――。どれをとっても、わたしはあの悪夢を忘れられないでいる。
(思い出しちゃ駄目!)
ぎゅっと目を瞑る。思考に蓋をしようと試みても、焼きついた感覚は数年経った今でも消すことはできなかった。あれから幾度となく身体を重ねても、初めて感じた時の感触は上書きされない。
(――拒否権なんて無かった)
初めて迫られたあの日のことを思い起こす。
あの時自分は、枢に抱かれることを選んだ。だって仕方がなかった、拒んだ時の代償があまりにも大き過ぎたから。だから、やり切れない思いはあっても、自分のその選択に後悔はしていない。でも。
(『あんな事』を知って、――言われて、拒めるわけ、ないじゃない――)
身体に染み付いた感触以上に、あの時の、心も壊されていく痛みは思い出しただけで死にたくなる。
(いやっ!)
思考を蝕む毒から解放されたくて、わたしは振り切るように考えるのを止めた。代わりに無理矢理現状に目を向ける。
そういえば、さっき枢が入室してからしばらく経つけれど、彼がこっちに来る気配がしない。足音も聞こえない。いつもなら即、わたしの方へ来るのにどうしたんだろう。
不審に思って耳を澄ませていたけれど、やっぱり革靴の音は聞こえなかった。けれども、確実に枢の気配はするから、ここにいるのは間違いない。もう一度気聞き耳を立てると、僅かに規則正しく空気の揺れる音がした。
(寝息?)
そろり、と目を開ける。長い睫毛が布団に擦れた。乾いた音がして白のシーツが視界を覆う。僅かに頭を持ち上げると、安楽椅子に腰かけている姿が言えた。動く気配は全く無い。
眠っているのだろうか。
わたしは音を立てないよう、そろりと身体を起こした。きしん、スプリングが軋む。慌てて枢の様子を伺ったが、彼が音に気付いた素振りは無かった。足首に繋がれた鎖が床に擦れないように細心の注意を払いながら、枢の方へ、ゆっくりと歩みを進める。