CLANdestine

□瞳
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「ねぇ、どうしてりちの瞳は青いの?」
 

幼い日の疑問に、父はただ寂しく微笑むだけだった。
 

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――――
 
 
「理知は本当に可愛いね」
 

長く流麗な指で黒髪を梳きながら、父は事ある毎に囁いた。遊び疲れた四歳のわたしは、今日も優しい腕に包まれてまどろんでいる。悠お父さまの膝に座り、頭を預け、広い胸に上半身ごと寄りかかっているとき、わたしは最高に幸せだ。この場所、父の腕の中はわたしの特等席であり、世界一安心できる場所であるから。降ってくる心地良い感触に満たされながら、とくとくと巡る鼓動に耳を寄せていた。
 

「お父さまも、とってもかっこいいよ」
 

呂律の回り切っていない舌でわたしは言う。日々繰り返される会話の常套句だったけれど、それでもわたしの本心であることには変わりは無い。

包容力のある父は世界一格好良かった。誰の目から見ても、きっとそうだ。もしも例えるならば、そう、『幸福な王子』も霞んでしまうくらい美しいのだ。
 

「ねぇ、お父さま」


そういえばと、さっき良い終えたばかりの童話を思い返して言った。そういえば、幸福な王子の瞳もサファイアだったっけ。
 
 
「――ねぇ、どうしてりちの瞳は青いの?」
 
 
ふと、軽い気持ちで尋ねてみようと思った。四歳、ようやく言葉という什器を獲得し、言語――人語的表現のもたらす恵沢を本格的に確保しはじめた時期。何も知らない、何の言語も存在しない無色透明な空間が胸の中にはあって、日々、まっさらなキャンバスの上に世界が急速に立ち上がっていく様子はいっそ瞠目的感覚であったと記憶している。

そんなわたしにとって質問とは流入する膨大な情報を秩序づけるための手段であった。どうしてわたしの瞳は青いのだろう、口を出た小さな問いは、何故月が丸いのかという類のものとさして変わらない程度の意味しか無かった。

 
「…?」
 

小さく、とても小さく、父の心臓が跳ねたのがわかった。注意していなければ決して気付かない程度の、規則性の、一瞬の乱れ。おそらく普通のひとならば気付かなかったと思う。でも幼いがゆえにわたしはその微かな変化を感知することができ、穏やかなリズムを刻む動脈の音が惑ったことに一抹の不安を覚えた。
 

「?お父さま?」

 
小さく首を傾けながらわたしはお父さまを見上げた。訝しげに目を向けると、見慣れた紅い瞳は、何故だろう、少し寂しそうだった。
 

「…理知は青い瞳が好きではないの?」


優しく微笑みながら悠は言う。
 

「…きらい、じゃ、ないけど…でも、お父さまとおんなじ色が良かったなぁ」
 

小さくぼやくわたしに、お父さまは可笑しそうにクスクスと喉を鳴らした。
 

「そう?でも僕は理知の瞳が好きだよ。とても綺麗な群青色」
 
「ぐんじょう?」
 
「夏の、昼の空のような色だよ。晴れ渡った空の色。いつか一緒に見られるといいね」
 
「ふぅん」
 

群青というものがどういう色だか露程も分からなかったから、わたしはとりあえず頷くだけしかしなかった。想像しようとしたけれど、夏どころか昼の空すら見たことも無かったため無理も無かったと思う。けれど、お父さまがきれいというのだから、きっと、とても美しい色なのだろう。お母さまも、お兄さまも、「きれい」って、そう思うのかな。
 

「かなめお兄さまはいいなぁ」
 

心の奥底で生まれた呟きは小さなため息と共に言葉となって口外へ滑り出た。小さな幼い羨望。人生で初めてお兄さまが羨ましいと思った。

 
「うん?」
 
「だってお父さまと同じ色の瞳をしてるんだもん。おかあさまも。いいなあ、深紅の目。りちも紅がよかったなぁ」
 

何度もいいなぁ、と呟いた。幼心ながら、家族で自分だけ違う瞳の色にコンプレックスを抱いていたのかもしれない。すると、お父さまは思いもよらない事実を告げた。
 


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