朽ち果てるまで Book
□ルーベンス邸
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あれから何とかシエルの手を引っぺがし部屋に戻ると、「遅いです。もっと早く戻ってください」と文句を言われ、散々マディソンに着替えだの化粧だのさせられた。別に公式な夜会じゃないからそこまでしなくともと言うと、相手はあの公爵だとか確かにお嬢様は可憐で美しくて賢くておまけに家柄も申し分ないお嬢様だけれど年頃の娘なのですからもっとお洒落に気を遣わないと駄目です結婚出来なくなりますよまあそれならそれで私は嬉しいですけれどねまったくリチ様は自分に執着が無さすぎですだとか、一言ったら十返ってきた。...疲れた。ついでに今日の衣装はいつもよりコルセットがきついし髪も重い。
「ミス?」
「ミス・ファントムハイウ゛?」
「え?あっ、はいルーベンス公爵。すみません。いかがなさいました?」
慌てて愛想笑いを加えて答える。しまった。ぼんやりとしていて話しを聞いていなかった。やわらかな午後の西日が差し込むルーベンス邸、上の空で紅茶を啜っていた自分を叱咤する。気を抜くな。社交での一瞬の気の緩みは命取りになる。
「いえ、あの」
ルーベンス公爵はそう言うと、目を逸らして下を向いた。だがよく観察すると彼は少しもじもじしながらちらちらとこちらの様子を伺っている。どうしたものかと首を傾げて覗き込むと、目が合った瞬間彼は赤面し、大慌てであさっての方向を向いた。何となく私に我が儘を言おうとしてもなかなか言えないでいるときのシエルみたいだなと思いながらしばらく返事を待っていたが、間があまりにも長くて気まずいので私から声をかけようかとした時だった。
「あのっ!」
「はい?」
キッと顔を上げ、まるで舞台から飛び下りるかの勢いで公爵は意を決したようだった。...だがその勢いはどこへやら、私が返事をするとまるで空気の抜けていく風船のようにみるみると絞んでいった。
「お加減がよろしくないのですか?ならば無理なさらないで下さい。私、失礼させていただきます」
「い、いえ、そうじゃない。そうじゃなくて、つまりその、ええと、何といいますか...とにかく、そういうわけではないんです」
「?」
「...あの、ミス・ファントムハイウ゛」
「はい?」
「少し庭を散歩しませんか」
散歩に誘うためだけに彼はこれほどまで吃っていたのか。何となく腑に落ちない。というか、本当は公爵の体調不良に託けて帰りたかったのだけれど。
「ええ、喜んで」本日何度目かわからない愛想笑いを作りながら、重い腰を上げた。すると紳士な彼は当然のように私に向かって腕を出した。エスコート。そういえばシエルも練習してたな、この間。なかなか上手に出来ずに四苦八苦していた弟を思い出して苦笑する。伸ばされた手を取りながら、過去のあの日に思いを馳せる。