Fleur D'Anemone Book

□私の本音
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夢見心地で差し出された手を取ろうとしたときだった。


「……理知」


よく知った、低い声が響いた。


「…枢」


振り返ると、大好きな人がいた。

大好きだった人。

静かに、少しだけ咎めるように、寂しそうに、私を見ている。
もの欲しそうに。
確かに、私を。


……どうして、そんな目をしているの。


枢は優姫のモノで。
優姫は枢のもので。

枢の居場所は、優姫の隣のはずで。


そんな彼が、なぜ、此処にいるのかが理解できない。


「一条、ご苦労。姉の相手をありがとう」

枢が低く静かに言い放つ。

「……何をしようとしていたのかな、一条」

地の底を這うような、低く珍しく怒気を含んだ声。それだけではなくて、対象を射殺しそうな鋭い眼光で拓麻を睨んでいる。…間違いない、枢は今ものすごく怒っている。けれどもさすがは拓麻で、わあこわーい、と彼は少しだけおどけてみせて、お手上げだよとでも言うように両手をあげた。

「ごめん、ごめん。理知さんがあまりにも可愛かったから、」

つい、ね、
拓麻は悪戯っぽく笑った。そして去り際に枢の肩に手を置き、何かを耳打ちする。その一言に、枢は何も答えずただ少しだけ鋭い視線を拓麻に送った。その反応に満足したのか、拓麻は、じゃあごゆっくり〜、と能天気に言い残して去った。

バルコニーには二人だけ。
夜風と、それに乗って少しだけ響く音楽。

丸い月が、私たちを柔らかく照らした。


「何の用。枢」

視線を合わせないように注意しながら冷たく、突き放すように問いかけた。でも何の返事も返ってこない。

「…彼女、放っておいたら駄目でしょ」

この男はどこまでも意地悪なのだろうか。私にこれを言わせるなんて。


「……優姫が、待ってるよ」


ああ。
わかっていたのに。

これは罰。
優姫を傷つけた私に対して、
人一倍、大切なものを守り抜こうとする、枢の。

私への制裁。


――こんなにも、胸が痛むなんて。


いつの間にか微かに吹いていたはずの夜風が止んでいた。それなのに遠くから響いていたはずの夜会の音韻は聞こえなかった。やわらかく照らしていたはずの月は雲に隠れて、私はまるで孤独という真っ暗な箱に閉じ込められているような気がした。

「…だから、はや、

『……姉さんはそれでいいの』

……え?」


ありえない言葉に思考が止まる。
気のせいだ。そうでなければ、冗談だ。そう思って思わず枢の顔を見る。けれど枢のどこを探しても、冗談の欠片も見当たらない。…いや、だけれどそれは私の思い過ごしかもしれない。そうに違いない。私は枢のことを見誤ることはない絶対的な自信はあったけれど、それは「私」という一人のあくまで相対的な基準にしか過ぎない。枢が欲しい、きっとただその欲動の為だけに私がみた幻に過ぎないだろう。

それでも、枢の有無を言わせない眼差しに私はその否定の言葉を押し込めることしかできなかった。

「……」

沈黙が流れる。テラスを駆け巡る夜風にのっていたはずの音楽すら聞こえなくなった気がした。

「……」

今更、何を言っているのだろう、この男は。
自分から離れていったくせに。

私を捨てたくせに。

やっと、やっと少し立ち直れたと思ったのに、


――どうして、こうも心を揺さぶるのだろう


「……、」

痛い。
いたい。
イタイ。

心臓が抉られたように痛む。


「……っ」


胸が、焼けるように痛い。


「……っ!」


込み上げてくる言葉を抑えるように、ぎりりと唇を噛んだ。生ぬるい感触で血があごを伝っているのが分かった。


……優姫の元になんか、行ってほしくない。


優姫といた方が、枢のためになるなんて、


そんなの、そんなの、
ただの、口実。




でも、できない


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