敵同心。
□6. 無限定で曖昧な様態
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6. 無限定で曖昧な様態
新月の闇夜、ナイト・クラスの代表である玖蘭枢は校舎へ踊る道を一人歩いていた。草木も眠る丑三つ時。古くの人が鬼の呪力を借りようと数多の呪術やまじないを行っていた時刻。おまけに、今夜は月も隠れている。
暗闇と静寂。ヴァンパイアである自分にとって闇こそ、海に住まう魚にとっての水のようなものだったけれど、それでも、やはり感じるものはあった。闇に紛れて鬼や物怪が這い出て来ても驚きはしない。もっとも、吸血鬼の王なる己こそ、人の言う「鬼」という最たる存在であるのだけれど。そうこう考えを巡らせているうちに教室に辿り着いた。
「あ、枢お帰りー」
闇夜にはおおよそ似つかわしくない声で彼を出迎えたのは副クラス長の一条拓麻。
「ただいま」
朗らかな金髪の級友に必要最低限の返事をし、そのまま自分の席へ向かう。一条のことは特段苦手でも無いけれど、必要以上に会話をするつもりも無い。単純に面倒くさいからだ。そのことを知ってか知らずか、一条拓麻はその能天気は声で話しかけて来た。
「どうだったー?何か人間の気配もしたからまた女の子が校舎に忍び込んだのかな?
あ、藍堂と架院がむすっとしながらさっき帰って来たけど。あの様子を見るに、やっぱり何かしでかしたんだねぇ」
「…デイ・クラスの女生徒が校舎に忍び込もうとしていたのを風紀委員が止めたんだよ。その途中に優姫が怪我をして、血の香りに抗えなかった藍堂が彼女に噛みついたというわけさ」
にこにこと笑いながら語る彼に感心しながらも、大して目を向けること無く僕は答えた。この男はいつも笑っている。僕は平静を装いながら、でも内心、はらわたは煮えたくっていた。
「うーわー馬鹿だねえ。よりにもよって枢の大好きな優姫ちゃんの血を吸うなんて。命知らずにも程があるよ」
うんうんと柄を閉じ頭を抱える一条に内心相槌を打ちながらも、僕はいまいち釈然としない思いが脳裏をよぎっていた。彼の言葉に確かにそうだと同意しながら、何故か、腹の奥底にそれと同一ではない感情が渦巻いている。「優姫を噛んだ藍堂が腹立たしい」という意識される表像の思考とは異なる情操が立ち上がるが、それが具体的に何であるか掴み取る前に指先からすり抜けていく。
「枢ー?」
「…聞いてるよ一条」
本当は全くと言って良い程聞いていなかったが、口先だけではそう返事をしておこう。教壇では講師が数学的価値感について説いていたが、さっきから浮かぶのは曖昧な感情ばかり。
思考の切れ端からちりちりと焦げるような、まるで、煙草の炎が徐々に巻紙全体を侵食していくような、感覚。はっきりと言葉にはできないのが何ともむず痒い。それとも数字のような厳密性が無いからこそ、こんなにも意を唆られるのだろうか。
怒りではない。
不安とも少し違う。
自分は長すぎる時を生きていたせいか、はたまた長い眠りに就いていた反動か、生き物としての当たり前の感性を忘れてしまっている節があると自覚している。感覚が麻痺しているのかもしれない。
何故あの時、あんな行動に出たのかもよく分からなかった。武器を、アティーナを返却すれば後ぐされ無く済んだのに、とっさに、短剣を簡単には返したくないと思った。
とりあえずあのハンターの少女を見てから、何だろう、決して明示的な知識や言葉では到底言い表すことのできない焦躁感が胸を燻るのは確かだった。
この気持ちは何だろう。
ポケットの短剣が、僅かに熱を帯びた気がした。