敵同心。

□1. 現実と推論は混在する
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現実と推論は混在する


私の見つめる男は酷く高貴な様相をしていた。夕暮れの、普通科と夜間部の入れ替えの時刻。紅く美しい、消え失せる直前の最後の輝きを放つ太陽を背に、彼は長い脚を、ゆっくりと、優雅に、でも何処か詰まらなそうに運びながら、顔が映るほど磨かれた革靴で悠々と黒岩の道を踏む。恐ろしく整った顔からは何の感情も読み取れなかった。純白の制服を身につけ、バックルの固定が甘かったのか、彼は僅かにずれた分厚い本を持ち直した。何気無い仕草も嫌に流麗で、同じ、洗練された白色の制服を纏った集団に囲まれようとも、酷く目立つ。

孤高の王。

それが私にとっての玖蘭枢という存在だった。

――――――――
―――――
―――

「お疲れ様」

夕闇の空。赤く燃える太陽とは対照的に、感情の乏しい呟きは宙に吸い込まれていった。独り言のような響きで私が声を掛けた相手は、錐生零。17歳で、普通科で、愛想というものが欠落したような雰囲気の青年…あまり似ていないけれど、正真正銘、私の従兄弟である。錐生、という苗字も同じ。振り返って声の主を確認した色の薄い瞳は、多分逆光もあって、さして興味がなさそうに細められていた。

「…お前か」

「あら、それが従姉妹に向かって言う言葉?」

お世辞にも愛想が良いとは言い難い従兄弟に茶化して返すと、彼はその形の良い眉を僅かにひそめた。相変わらず可愛くない。そういう不機嫌な表情をしなければモテるだろうに…憐れみというか呆れを込めた眼差しで彼を見つめると、それを感じ取ったのか、益々零の眉間のしわが深くなった。

「…うるせ。理知。何しに来た」

不機嫌丸出しの態度には変化が無かったが、呼び方が礼を欠く二人称から私の名前に変わった。一応、まがりなりにも血のつながった従姉で年上な私は気を遣われているらしい。信頼はされていないだろうけれど。零の口から自分の名前を聞いた私はゆっくりと夕日に身体の向きを変えて、真っ赤な陽光を全身で受けながら答えた。

「『仕事』…いつも通りの監視よ」

「…」

「『上』から頼まれているの。学園には一応貴方もいるけれど、私の場合は正式な命令。『黒主学園のヴァンパイアを監視しろ』ってね。趣味で風紀委員をやっている零とは違うわ」

私がきっぱりと言うと、零は存外に嫌そうな表情を浮かべた。趣味、という言葉にぴくりと反応したらしい。何か言いたそうだったけれど、逆に私が、なに、と尋ねるような視線を投げかけると、ぐっと押し黙った。

「とりあえず今日の仕事は終わったから戻るわ。早朝の入れ替えがあるからまた来なきゃいけないけれど一旦寮に帰る。まったく…一晩中拘束されるなんてごめんだわ」

暮れかかった夕日を眺めながら私は言った。空の赤に混じって宵の明星ーー金星がてらてらと輝いていた。

「ねぇ零、ずっと気になってたんだけれど。

貴方ひょっとしてドM?…あぁそれとも趣味だっけ。別に人様の趣向にあれこれ口出しするつもりなんてないけれど…実の従姉としてそれはちょっと…。

まあ、でも、とりあえず、アレね。ご愁傷様」

言いたいことを言うだけ言って、私は一方的に話を切った。逃げるが勝ち、くるりと背を向けて足早に去っていく。夕暮れ時のそよ風に乗って「…この、ドS女」と聞こえた気がしたが、そんなものは無視だ。日の寮を目指して歩調を速めていく。夕闇に黒く浮かび上がる寮は、幼少の頃から見慣れたハンター協会本部と酷似していた。外門を覆う蔦、色褪せた外壁、古めかしくも逞しい灰岩石の外観――見る者を圧倒し他者を寄せ付けない排他的な雰囲気は狩人の中枢を為す協会本部そのもののように思えた。

(夜間部のヴァンパイアもそう思ったりするのかしら)

狩人の学園で学ぶ猛獣。でも、懐に飛び込んで来た小鳥を殺せぬように黒主理事長に飼われた彼らを狩ることは叶わない。敵も去りながら随分巧くやったものね、と思った。最も、彼らも簡単に仕留めさせてはくれないだろうけれど。いつもの皮肉の効いたシニカルなジョークに、思わずくすりと笑った。

ヴァンパイア。
人の生き血を啜る、人の容をした、猛獣。人獣を喰らい、捕食し、同族までもを容赦なく殺し、奪う、残虐極まりない生き物。だからこそ狩りがいのある獲物でもある。彼らを狩ることがハンターの仕事だ。

(ヴァンパイアに近づいてはいけない――)

ずっと、幼い時代から繰り返し聞かされていた教訓だ。何故だか突然、その言葉が蘇った。逢魔が時の魔力に当てられているのかもしれない。過去から吹いた生ぬるい風のように、古の教えが思考に絡みついた。

(ヴァンパイアに近づいてはいけないーー)

何故だったか。理由は忘れてしまったけれど、嗄れた老人のおかしな呟きのようにその言葉は何度も何度も脳裏を過った。ヴァンパイアに近いてはいけない。

(ーーそんなこと、わかってるわ)

禅問答のように繰り返される声に頭の中で返事をする。

風が強くなった。遠くの方でカラスが鳴いた。悲鳴のような、嫌に甲高い声で、私は思わず顔をしかめた。風の唸りと脳髄の奥に突き刺さる鳥声が不快で、耳を塞いだ。

夕闇の中、遠ざかる私の背中に、普段は寡黙な従兄が呟いた。

「『趣味』って…どっちがだよ」

ぽつりと零れた言葉は、風に掻き消され、終に、私の耳に届くことはなかった。


Saturday, May 19th, 2012
理知

 

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